ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年09月04日
 門尾勇治は南勝久(『ナニワトモアレ』のね)の元アシスタントである、と紹介したところで、それは必ずしも『真犯人!!』のアドヴァンテージとはならないだろう。たしかに舞台は大阪でヤンキイッシュなテイストを持ってはいるが、基本的には、当世流行りの心理戦もしくは頭脳戦をベースとしたサヴァイバルを題材にしている。近未来、刑法は改正され、〈法務省により無作為に選ばれた国民100名は死刑執行人となり死刑囚を処刑することを義務とする――〉と、つまりはリアル鬼ごっこであるような形式を、冤罪の主人公がいかにして逃げのび、助かるための真相を奪取するか、を描いているのである。最愛の妻が死ぬ、殺される。その犯人として捕らえられたのは夫の冴村亮であった。彼は無罪を主張しながらも、しかし警察の取り調べに屈し、裁判で死刑にまでいってしまう。もしも逆転の目があるとしたら、100人からに追われる死刑執行の最中、真犯人を捜し出すしかない。亮の手元にあるカードは、自分は犯人ではない、という自覚だけ、手がかりはゼロ、この圧倒的に不利な状況下、どういうつもりか、真犯人が挑発のメッセージを送ってくる。いやまあ、はっきりといってしまえば、作中を支配するルールもロジックも粗く、子供騙しの域を出ていない。結局のところ、無罪の逃亡者ネタ自体は、大昔の頃よりあるもので、それが今日にスタンダードなフォーマットでアレンジされている程度の作品に止まるけれど、その大味なつくりに、ひょっとすると村生ミオのサイコ・サスペンスみたいなキマイラになりかねない予感を覚えたりもする、か。とはいえ、多少マジな話をするなら、おそらく物語の根底に流れているのは、暴力と倫理の問題だと思う。強者(男性)と弱者(女性)のヒエラルキーと言い換えてもいい。たとえば、(最初に述べたことに反して)師匠格である南勝久の存在をアドヴァンテージとするなら、近しいテーマを南は『なにわ友あれ』において、被害者(犯される側)を容赦なく辱め、加害者(犯す側)の残酷さを徹底することで、その罪と罰とを問うた、問うている。報復されてしかるべき人間に情けを与えることは必要であるのだろうか。行きすぎた悪が死をもって贖うのでしかないなら、まず死を実感させなければ何もはじまらないのではないか。これがヤンキイッシュな登場人物たちのあいだに、ある種の秩序をつくり出している。『真犯人!!』の公開処刑制度も、〈死刑…近年…死刑者の数は増加傾向にある 死刑囚は殺害された者の絶望を……その身をもって知るべきではないだろうか……〉という説明を見るかぎり、同様の発想に基づいているに違いない。疑似ミステリ的なギミックを用いるだけの薄っぺらいはったりに流れていくのではなく、この点を突き詰めることができれば、シリアスな方向で化ける可能性もある。

 『欺瞞遊戯』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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