ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年12月12日
 『メフィスト』1月号掲載。『まよいマイマイ』は、『ひたぎクラブ』に続く、シリーズ2話目である。戦場ヶ原ひたぎの事件から一週間が経とうという、日曜の晴れた朝に〈僕〉こと阿良々木暦は、ひとり見知らぬ公園のベンチに腰掛け、ぼんやりと空を仰いでいた。妹とのちょっとした諍いのせいで、家に居づらくなったためだ。そこで大きなリュックを背負った迷子の小学生と出会う。八九寺真宵である。彼女もまた、〈僕〉や戦場ヶ原と同じく、人外の存在と関わりを持つものであった。正直なところ、これはすこしイマイチだなあ、と思いながら読み進めた。というのも、仕掛けのようなものは、かなり最初の段階から気づけてしまうし、この作品の場合、会話が物語を進行させるのであるけれども、それが軽口に過ぎる、おどろくほど中身のないように感じられたからだった。しかし、読み終えてみれば、なるほど、と説得される。つまりレトリックの連続による真相の迂回こそが、根幹と深く繋がっていることが、わかる。何でもないようなことが、何でもないとして切り捨てられる、そういった所作を否定するがために、前半のひどく無意味なやり取りは、小説内に組み込まれなければならなかったのだろう。レトリックは本質そのものではないが、本質を結果的に反映しているに違いない。とすればこれは、それを糸口にして〈僕〉が、自分のちっぽけな自意識と和解する道筋だった、と解釈することも可能なわけだ。また、そうしたネジレを相対化するために、直截な物言いをする戦場ヶ原が、登場人物のひとりとして配置されているのかもしれない。ふたりのやり取りが気の利いたものであるかどうかは、僕のセンスでは判断できないけれど、あの「戦場ヶ原、蕩れ」っていうところはソー・キュートで、ほんとうに流行るといいなと思いつつ、照れた。悪くない。にしても、さいきんの西尾維新は闇が薄れてきているな。

 『ひたぎクラブ』について→こちら

・西尾維新その他の作品に関する文章
 『ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言使い』について→こちら
 『ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種』について→こちら
 『ネコソギラジカル (上) 十三階段』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――最終回「終落」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第五回「五々」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第四回「四季」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第三回「第三」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第二回「二人」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第一回「唯一」』について→こちら
 『ニンギョウがニンギョウ』について→こちら
 「コドモは悪くないククロサ」について→こちら
 「タマシイの住むコドモ」について→こちら
 「ニンギョウのタマシイ」について→こちら
 『新本格魔法少女りすか 2』について→こちら
 『新本格魔法少女りすか』について→こちら

 『総特集 西尾維新』ユリイカ9月臨時増刊号について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書。
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