ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年12月12日
 生き方は教えられるか。というのを、最近すこし考えている。たとえば今日においては、そのような問いが立てられたときに「教えられない」と白けてしまったほうが収まりがよいような、そういう風潮である気がして、それはちょっとダサいぜ、と思うからである。それはそうと、熱く生きるってどういうことか。そのことを吉田聡『荒くれKNIGHT 高校爆走編』の8巻は教えてくれる。高校生活にケジメをつけるため、ふたたびラグビーに取り組みだした野呂は、しばらくの間、輪蛇(リンダ)を離れることになった。ひたすらトレーニングに励む彼に、不吉な影が忍び寄る。そこには、野呂の旧友であり、輪蛇に恨みを持つ元輪蛇のメンバー、来原の姿がちらつく。この来原という男が、この巻のキー・パーソンである。来原は、けっして熱くならないことを心情としている。〈燃えねえ男の方が、ケンカは強ええんだぜ!〉。いつもニヤニヤ笑いを浮かべ、クールに振る舞うが、しかし胸の奥では、燃えることの意味をずっと教えてもらいたがっていた。その本心を誰かに見抜いて欲しかった。〈燃えるってなんだよ!?〉。結局のところ来原が、輪蛇を出ていったのは、うまく自分を表に出せないフラストレーションを持て余したためだった。輪蛇のリーダーである善波七五十(ぜんばないと)は言う。〈熱くなんねえフリしてちっぽけな自分を守ってるとよ! 負ける事からは逃げられるがそのウチ誰にも必要のない人間になるぞ!!〉。そんなことはわかってんだよ、だけど、どうすればいいのかを知りたい。あくまでも来原を信じ続ける野呂から、かつてかけられた言葉が、胸中に響くとき、何を思い、何を考えるのだろう。〈これから迷った時、“どっちでも構わねえ事は流行に従えばいい”だが“大切な事はルールに従おう”そして……“燃えるべき事は自分に従おう”〉。はたして来原は、手遅れではない自分に気づき、燃えられるのだろうか。結果をいってしまえば、燃えた。その姿に僕は、エモーションによるアパシーの超克を見る。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ。
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