ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年08月18日
 『小説すばる』9月号掲載。まさきとしかって正木としかのことかあ、たぶんそうだろうね、名前変わっている(?)のぜんぜん知らなかった、とりあえず、この作者のものをひさびさに読んで、嬉しかった。単行本も出ているらしいので、そちらも近いうちに読もう。〈「たまんねえ」このまちの、「頭おかしくなる」病院で、老人たちにかこまれて死んでいくのかな。それもいい、と思った。どうでもいい、とも思った。世のなかでいちばん死んでほしいひとは、ずっと高史だった。いちばん死んでほしくないのも高史のような気がした。自分がどう望んでいるのかわかならなくて、考えれば考えるほどわからなくなって、その結果のどうでもいいだった〉。まさきとしかの『子猫のお化け』は、関係性が確固たる言葉で、こう、と定着しない状態でいる一組の男女の、だらしなく、それでも他に代え難い、感情の綱引きを捉まえる。沙奈子が高史とはじめて出会ったのは、小学校に入る頃、どこにでもあるような地方都市に沙引っ越してきたばかりのこと、家の近くの川岸で沙奈子が一人、地面の虫を石ころで潰していたときに〈ふと後ろを見ると、子猫を抱いたおとこのこが立っていた〉、それが高史だった。高史の連れてきた子猫を、言われるがまま、川に投げ捨ててから、沙奈子は高史に面と向かうと、自分のへその奥で子猫が鳴いているかのような気分になる。やがて二人も歳をとり、物語は、東京で、インディで、売れないバンド活動をしていた高史が、体を壊して帰郷し、病院から、地元で働く沙奈子に電話をかけてき、はじまる。モラトリアムをこじらせた男の頼みを断れない女の姿と、決して若くはなく恋人同士でもない間柄の不思議な緊張は、たとえば絲山秋子の『袋小路の男』などに通じるところがあるけれど、それが檻もないのに逃げ場がないかのような郊外の情景に重なる。落ちは、やや勢いづきすぎていて、流れに流されているふうであり、もうすこしの皮肉と踏ん張りを加えて欲しく感じたが、しかし、こういうブレイク・ポイントを越えなければ、人の目に現実は以前と何一つ変わらず映じてしまうこと自体を暗示しているのだと思う。

 『天国日和』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(08年)
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