ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年12月08日
 『新潮』1月号掲載。いや、第一部が掲載されてから約半年、待った甲斐があったというに相応しい、「ザ・パインハウス・デッド」、堂々の「ディスコ探偵水曜日」第二部である。

 変な文脈読んだつもりになってアホなところに余計な顔突っ込むなよ探偵。
 水星Cに言われたあの台詞からだ。あれがショックだったんだ。どうしてショックだったかと言うと、俺の信じる運命だとか必然だとかが言ってしまえば《変な文脈》に過ぎないからだ。梢と知り合い、《未来の梢》がやってきて、《ノーマ・ブラウン的勺子》がやってきて、《島田桔梗》がやってきて、《パンダラヴァー》の事件が関わってきて、《星野真人》がやってきて、《手紙》が起ったことにして、俺は運命や必然の確かな存在を感じていたつもりだったのに、水星Cのおかげで唐突に、それを疑わなきゃいけない気持ちになったからだ。


 行方知れずになった6歳の梢(の精神)を追い、彼女が口にしたパイナップルトンネルのヒントを求め、暴力製造マシーンである柔道君こと水星Cとともに、福井県西暁町へ向かったディスコ水曜日であったが、やはりとでもいうように、そこで起っている「パインハウス殺人事件」にコミットしてしまう。

 ミステリ作家である暗病院終了の自宅(通称パインハウス)で起った殺人事件、その真相を、次々に名探偵が推理しては、殺される。誰も解答には到達できないみたいだ。事件をトレースする水星Cのあとを付いていくうちに、ディスコは、梢にまつわる驚愕の真実に辿り着く。しかし、それすらも、ほんとうには、真実ではなかった。

 前半の饒舌で思弁的な語り口は、自意識の物語化を誘発するけれども、その物語を解体してしまう、後半のストーリー・テリングは、舞城王太郎という筆力でなければ為しえなかった、そういう域だろう。
 
 世界の中心とはどこか? 情報と文脈のあいだで、主観と状況がぶれる、揺さぶられる。それに従って、正しさは、その居場所を失う。細かい部分はともかくとして、全体の構造としては、第一部を反復している面が、この第二部にあるよう感じられるのは、すべてを判定する命題が先送りされた結果、疑問だけが事細かく解説されるためなのだろう。ディスコにとって、梢の存在は、あくまでも非決定を意味し続ける、だからこそディスコという主体は、梢なる他者であるところの物語を、ひとつのテクストとして解釈し続けることが可能なのだとして、その可変であることが逆に、主体を規定しうるとき、ではお前はいったい何者なのだ。と、ふいの問いが、読み手である、この僕のほうへと投げかけられた。

 『ディスコ探偵水曜日 第一部 梢』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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