
「音楽について考えることは、自分の人生について考えることより大事やと思う」と、ウマの合わなかったはずの男の子が口にした言葉に、どうしてか少女は耳を傾ける。津村記久子の『ミュージック・ブレス・ユー!!』はちょうど、ジミー・イート・ワールドの「スウィートネス」がテレビのCMに使われて日本のお茶の間に流れるような時代に生まれた青春小説、といったところであろうか。主人公のアザミは、ポップ・パンクというかポップ・エモというか、とにかく、その手のロック・ミュージックに思春期的な愛着を抱く女子高生で、物語は、彼女がベースとして参加しているアヴリル・ラヴィーンのコピー・バンドが突然の解散を迎えたことにより、動きはじめる。それは結局のところ、受験を遠因とする必然でもあった。ここから、一生に一度しかない凡庸で多感な一年の出来事たちが、この作者ならではの、おもしろおかしく、そしてせつなさが後ろについてくるテンポで、かろやかに描き出される。いや、これはとてもとてもキュートな作品で、世代や性別に関係なく、ごく普通にサブ・カルチャーと親しみ、文系の高校時代を送った人間であれば、すくなからず共感することのできるだろう内容だと思われる。何より、猛烈に集中力が欠如し、つねに空回り、でも心やさしくあろうとつとめるアザミのさまが、最高にチャーミングである。これだけ個性に富んでいながら、それでいて誰の身近にもいそうな人物をよくつくれたものだ。彼女の親友であるチユキも、上辺はしっかり者なのに、じつはあんがいぶっ飛んでいる。二人のコントラストに、にやにや、わくわくさせられる。そのほか、とくに魅力的であるような点を挙げていく。ひとつには、やはり、ブリンク182やニュー・ファウンド・グローリー、テイキング・バック・サンデイなどの、ポップ・パンクやポップ・エモの系を音楽的な題材にしていることが、おおきい。たとえば、これがニュー・ウェイヴやグランジの類であったら、もっとずっと暗澹たる雰囲気になってしまったに違いないし、反対にヘヴィ・メタルやハードコアだったりしたら、汗くさい体育会系との区別がなくなってしまう。ポップ・パンクやポップ・エモの、適度にあかるく、適度に女々しく、とかく疾走感あふれるイメージが、登場人物たちが交わす関西弁(大阪弁)のユーモラスなやりとりと相まって、じめっとしてしまいそうなエピソードのなかに、晴れ晴れとした気分を呼び込んでいる。また、そうしたアーティスト群を取り扱うさい、現代的なインターネットの時代が背景にあるのも生きている。インターネットで知り、視聴したことにすれば、誰々のインタビューや新譜、旧譜の評価を何々という雑誌で読んだ、的な記述は必要としなくなる。膨大な情報を一介の高校生が有していることも、まったくの不自然ではなくなっている。アザミが自作のアルバム評をインターネット上で知り合った外国人の少女に送ると〈あなたってだいぶナードだけどすごいね! 尊敬する!〉と褒められる場面があるが、なるほど、こういうのがナチュラルにナードってやつなのかもしれないね、と思える。まあ、そうした表面上のことはともかく、インターネットや携帯電話のメールは、作中において十分に重要なツールとして活用されている。このことの効果も、物語の成り立ち上、たいへんにおおきい。それにしても、津村の文章には、あいかわらず妙な引っかかりがあって、一瞬、あれ、ここのこれ、どういうことだろとか、辻褄合ってるかとか、ページをめくる手が止まる個所がいくつか見つけられるのだけれども、読み進める、あるいは読み返すと、ああそういうことかとか、ちゃんと辻褄合ってるねとか、納得がいく、感心させられることが、翻り、つよいフックになっているのがわかる。
・その他津村記久子に関する文章
「オノウエさんの不在」について→こちら
「婚礼、葬礼、その他」について→こちら
『カソウスキの行方』
「Everyday I Write A Book」について→こちら
「カソウスキの行方」について→こちら
「花婿のハムラビ法典」について→こちら
『バイアブランカの活断層』について→こちら
「冷たい十字路」について→こちら
『炎上学級会』について→こちら
『十二月の窓辺』について→こちら
『君は永遠にそいつらより若い』について→こちら
