ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年12月05日
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 『コミックH』とか『コミック・キュー』とか、サブカル受けしそうなマンガを主に扱った雑誌があまり振わないのは、結局、そういった媒体がターゲットにしている層というのは、一部のサブカル受けしているマンガ家を読むことで自らをサブカル化させるためにマンガを読むからなのであり、マンガというジャンル自体に関して、それほど熱を持っているわけではないからなのだろう。たとえばmixiの、そういった人たちが主に集っていそうなコミュニティの使えなさ(情報量のすくなさ)は、顕著に、それを物語っている。とほほ、といった感じになる。まあ、どうでもいい話だ。ところで『コミックH』の最大の功績といえば、この衿沢世衣子をデビューさせたことにある、といっても過言ではない。いい作家さんである。ここに収められたものはぜんぶ、雑誌掲載時にリアル・タイムで読んでいるが、とくに印象に残っているは、よしもとよしとも原作の「ファミリー・アフェア」をのぞけば、「体が育つ」と「明日の空に」になる、と思う。両方とも、女の子を題材にした作品であるけれども、先行する女性作家たちが、屈折した女性性の、あるいは女性性の屈折した部分の、その曲線を下敷きとすることで、たぶん感情移入の領域をつくっているのに対し、衿沢の場合、もっとずっとシンプルでストレートで元気だ。もちろん、登場人物が子供であるケースが多いため、そのようになっているといえなくもないが、それだけじゃないんじゃないかな。生きることのブライト・サイドを眺める視点が、おそらく曲線の先にある未来を、あかるい像としてマンガ化しているのである。だから『おかえりピアニカ』では、全7編のうち、5編までもが、笑顔の獲得によって、物語の幕が閉じられているのではないだろうか。さて、よしもとよしとも原作の「ファミリー・アフェア」であるが、これがじつにナイスな内容なのであった。モチーフ自体は、いっこうに続きの発表される気配のない『魔法の国のルル』と通底する、病巣込みの世界をいかにして引き受けるか、といったものであるけれども、『魔法の国のルル』が、子供の物語として描かれているのに比べると、「ファミリー・アフェア」は、あくまでも家族の物語になっている。つまり、大人と子供の共存した空間が描かれているということだ。ここ数年、さまざまな表現において、どちらか一方を排除し、共感のドラマを形作る傾向が強まっていることを考えれば、そのようなつくり自体、秀逸の域に達している。それはやはり、よしもとのサポートがあり、衿沢の筆力があってこそ、成り立ったものだろう。余談であるが、カヴァーを外すと、デビュー以前の衿沢によるフリー・ペーパーを読むことができる。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ。
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