ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年07月02日
 これまでにも幾度か述べた気がするけれども、『ギャングキング』にかぎらず、このところ柳内大樹がこだわっているのが、想像力の存在で、想像力といってもそれは、何か行動を起こすさい自分のことのみならず他人のことも考えろ式の、要するに、説教の一種でしかないのだが、作者の想像力が、ヤンキー・マンガは倫理を教えられるか、という問題にまで及んでいないので、うまく伝えられているとは言い難い。この13巻では、主人公であるジミーの弟に大けがを負わせたサリーとの対決に決着がつく。幼い頃から父親に虐待され、ついには痛みを感じなくなってしまったサリーを、ジミーのエモーションとスケールが圧倒する。作中人物たちが、そうした顛末に感動するほどには、いい話である。しかし正直なところ、ケンカすることと無痛症が回復することとのあいだにどのような因果が介在しているのか、ちっともわからねえぜ。むろん、モノローグともナレーションともつかないポエジーによって、ジミーとサリーの内面が対照化され、その結果、腕力だけではなく、精神のレベルにおいてもサリーが敗北したがため、彼が疾患から解き放たれている、というのは理解できる。だが、こちらの立場からすると、その示し方が表現としてすぐれたものだと思えない以上、あまり感動できない。まあ、もしかしたら作者の想像力が、この程度の内容で啓蒙されるに違いない、と踏んでいる読み手にとっては、ひたすら感動するシロモノなのかもしれない。だとしたら、ひでえ話だな、と思う。それこそ、想像力が足りねえんじゃねえの。と、悪口めいてしまったけれど、シリアスなパート以外は、いや、けっこうおもしろかった。すこし前に新規で登場したアバレの存在が、ユーモアな面を、がぜん盛り上げている。マフィアの息子である彼こそが、じつは『ギャングキング』というタイトルを持つマンガの主人公に相応しいのではないか。どうせだったら、ジミーの世代を早めに引退させて、アバレやサリー、竜也(ジミーの弟)の世代をメインに、作品を組み直してくれても良いよ。

 12巻について→こちら
 10巻について→こちら
 9巻について→こちら
 8巻について→こちら
 7巻について→こちら
 6巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら

・その他柳内大樹に関する文章
 「オヤジガリガリ」について→こちら
 『ドリームキングR』(原作・俵家宗弖一)
  1巻について→こちら
 『ドリームキング』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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