ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2008年06月10日
 このところ、マンガ批評が盛んである、ような気がする。しかし男性向けの作品における、とくに劇画的な手法の進化について語られているものを、ほとんど見かけない。まあ結局は、ポストモダンと文学批評の関係と根っこは同じで、80年代頃のニューウェーヴ・ムーヴメントを境に、批評の側の水準が変化したためであろう。もちろん音楽におけるニューウェーヴとロック批評の関係性を引き合いに出してもいい。ヒップじゃないからといってしまえばそれまでのお話ではある。だが、よくよく考えてみれば、梶原一騎や小池一夫の原作に代表されるような、あるいは池上遼一以降にも、原哲夫や北条司などが80年代に活躍し、その系譜は、現在も森田まさのりや井上雄彦らに受け継がれている事実があることを忘れてはならない。これはあくまでも大雑把な見立てにすぎないが、だからこそ、もうちょい真剣に検討されてしかるべき領域なのではないか、と思う。

 ところで南信長の『現代マンガの冒険者たち』が、副題に「大友克洋からオノ・ナツメまで」とあるのに、井上雄彦から解説をはじめているのは印象的である。残念ながら、南は〈初めから絵がうまかったわけではない。北条司のアシスタントを経てデビューしただけあって、作画の基礎はできていたが、初の連載『カメレオンジェイル』の頃は、とりたててうまくもなければ魅力もない、よくいる新人の一人にすぎなかった〉にもかかわらず、『SLAM DUNK』の連載中に〈回を重ねるごとに、井上の絵は見る見る上達してい〉き、〈さらに、絵のみならず(略)マンガ表現に関するすべての要素が(略)加速度的に伸びていった〉のはなぜか、を十分に論じてくれてはいないけれども、たとえば『バガボンド』においては「漫画的記号」の使い分けが、その作品の質を左右していることを指摘しているのは、重要だ。じつは森田まさのりもそうなのだが、彼らは最初のヒット作である『ろくでなしBLUES』や『SLAM DUNK』で、劇画タッチでもあるような作風のなかに、頭身をコミカルに描くデフォルメ的な手法を、一時的に持ち込んでいる。しかしその後の作品では、逆にデフォルメ的な手法は極力排除してゆく。このことがつまり「漫画的記号」をどう使い分けるかの分岐、もしくはそれが顕著な点だと見ることは可能だろう。ちなみに井上は、伊藤比呂美との対談『漫画がはじまる』のなかで、自分には大友克洋からの影響がなく、水島新司や小林まこと、池上遼一がフェイヴァリットなマンガ家であること、そして同時代の『週刊少年ジャンプ』作家では森田まさのりにだけ関心がある旨を述べている。

 さて。『現代マンガの冒険者たち』の南は、小山宙哉や木島智、日向武史を井上のフォロワーとして挙げているけれど、おそらくはもっとも井上のイディオムに忠実なマンガ家だといえる古谷野孝雄を、見逃してしまっている(たしかに『GO ANd GO』の時点での古谷野は、初期の小山ほどには井上的はないが、すくなくとも日向よりは井上的ではあろう)。また古谷野には、井上ばかりではなく、森田からの影響もうかがえる。ここで重要なのは、その影響はデフォルメ的な手法を込みのかたちであらわれている、ということである。よりくわしく見ていけば、井上から高橋ヒロシへの影響、高橋から古谷野への影響を、あいだに置くことはできる。

 そのハードな質感のなかでこそデフォルメ的な手法を大事にする感性が、絵のレベルだけではなく、ストーリーの説得力、テーマにともなうダイナミズムにまで、よく機能しているのが、この、ようやく11人揃った市蘭高校のサッカー部と昨年度のインターハイ準優勝校である八津野サッカー部との練習試合を、まるごと収めた『ANGEL VOICE』の5巻である。ここで描かれていることは、しごく単純で、それは試合の終盤における八津野の監督の、こういう言葉で示されている。〈今 始めたんじゃない 今 出来るようになったんだ 久しぶりに見るなあ……なまじ強いチームを率いると なかなかこういう瞬間には立ち会えない 1つのチームが――一気にレベルアップする瞬間〉。と、つまり、一試合の最中にどれだけ作中人物たちが成長できるか、にほかならない。

 さっきまでできなかったことが、ちょっとしたきっかけで、できるようになる。これはスポーツ・マンガを読み、感動がやってくる、一大モーメントではあるけれど、ガッツや努力で何とかしてしまうスポ根ふうの展開が、現代的なメンタルやフィジカルの理論によって、まじめに受け取られなくなり、後退させられて以降、困難になりつつあって、そもそも潜在能力が高い人間をあらかじめ用意しておくことが通例になっている。『ANGEL VOICE』でも主要人物である成田や乾は、まさしくそういうタイプだといえる。だが、先ほど引いた八津野の監督のセリフは、成田や乾に比べれば凡庸であるようなディフェンダー陣の覚醒を指し、言われている。〈またたく間に5失点〉を許してしまった彼らが、ある場面を経て、〈10分――この後 たった10分足らずの間に(略)大幅な進歩をとげる〉のである。ここはかなり魅せる。わずか10分で、それまで歯が立たなかったはずの相手と何とか渡り合える段階にまで達することは、当然、絵空事の範疇だと思う。ましてや、それがハイ・レベルなパス・ワークの阻止という高度に技術的なものなら、なおさらだろう。しかし作者はこれを、現実をデフォルメしたフィクションのなかでなら起こりうる論理的な出来事として、正確に表現している。

 3巻について→こちら
 1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(08年)
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