ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2018年03月27日
 シノビノ 3 (少年サンデーコミックス)

 あだち充と高橋留美子がダブルで推薦の言葉を出している。まあ、そうしたプロモーションの仕方は、小学館のマンガにとって珍しいものではなくなってしまったけれど、2018年現在、この爺さんが熱い部門にエントリーされるのは間違いないであろう。大柿ロクロウの『シノビノ』である。徳川幕府の下、250年も続いてきた太平で役目を失った伊賀の忍び、その最後の末裔となるのかもしれない沢村甚三郎も既に58歳の高齢であった。今日の基準で58歳を見るなら、それこそ高橋留美子やあだち充よりも若いぐらいなのだから、十分に現役で通る。が、時代が違うのもあるし、技術を必要としてくれる人間も矜持を理解をしてくれる人間もいなくなるほどの長いあいだ、ほとんど孤独になろうと自分を貫いてきた者が、変革期を迎えた事情のなかで八面六臂の活躍を繰り広げるところに最高のスペクタクルがあるのだ。

 1巻から3巻にかけ、つまり、物語の導入を、およそ一晩の攻防に割いた構成は、思い切りが良い。この思い切りの良さが、のっけから捲し立てるかのような勢いで主人公の魅力を全開にしている。顧みられないのが忍びの宿命だとして、それは忘れられ、滅び去ることと同義なのか。実働がないまま老いてしまった甚三郎に初めてくだされた幕府からの任務は、先般浦賀に来港した黒船への潜入であった。成功は困難だろう。が、果たして甚三郎にとっては容易な仕事でしかなかった。結局のところ、甚三郎は想像外の手練れだったのだ。しかし、予測しなかった事態が状況を一変させる。開戦を辞さない吉田松陰の一派が、黒船を奪取しようとし、強引な手段で乗り込んできたため、国全体に及びかねない危機をも甚三郎は回避しなければならなくなったのである。ペリー(ペルリ)が率いる屈強な米兵と吉田松陰に付き従う狂気の集団とが船上を戦場に変えていく。混乱の最中、ひるまずに双方を圧倒していく甚三郎の勇姿を見よ。大変燃えるものがある。

 CIAやスパイが戦争を防ぐべく奮闘する現代の映画を時代劇の設定へと置き換えたかのような筋書きには、スリルが満ちている。そして、着目したいのは、後に新撰組八番隊組長として知られることとなる少年、藤堂平助と甚三郎の出会いである。今井哲也の『アリスと蔵六』や井上智徳の『CANDY & CIGARETTES』における老人と幼女のバディとも異なる。奥浩哉の『いぬやしき』における犬屋敷とチョッコーあるいは獅子神のコンビネーションとも異なる。年齢の開きにかかわらず、敵対し、共闘し、結果、師弟の立場に身を置いた2人の関係には、爺さんが主人公であろうと『シノビノ』を少年マンガたらしめる力学が備わっていると感じられる。
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2018年03月21日
 TOUGH 龍を継ぐ男 8 (ヤングジャンプコミックス)

 父殺しのテーマが内在しながら父殺しを果たせずに連載が長期化した結果、作品の方向性にぶれが出てしまったという(格闘マンガである以外の)共通点を猿渡哲也の「タフ」シリーズと板垣恵介の「バキ」シリーズは持っているわけだ。この『TOUGH 龍を継ぐ男』は、『高校鉄拳伝タフ』及び『TOUGH』のその後を描く。シリーズの直接的な続編となっている。いや、確かに主人公は一新されてはいるものの、やっていることは先の頃と大きく変わらない。宮沢静虎と宮沢鬼龍の双子、あるいは彼らの兄である宮沢尊鷹を合わせた宮沢一家の因縁に翻弄される人々の様子が延々と映し出されているのである。『高校鉄拳伝タフ』と『TOUGH』においては、静虎(オトン)の息子、宮沢熹一(キー坊)が一応の主人公ではあった。それが『TOUGH 龍を継ぐ男』では、鬼龍の息子、長岡龍星に主人公をスイッチしている。スイッチしてはいるけれど、熹一も出てくるし、むしろダーク・サイドに落ちた熹一の物語であるようなところがある。実際、6巻と7巻は、龍星そっちのけで、なぜ熹一がダーク・サイドに至ったのか。回想をメインのエピソードにしていたのであった。そして、再び現在に話を戻しての8巻なのだが、まあ、ほとんどの見せ場は、やっぱり静虎と熹一に持っていかれ、過去の亡霊のごとく尊鷹やガルシアも出てくるよ、といった展開が訪れている。ガルシアは、人工授精によって鬼龍の遺伝子を受け継いでいるというのが『高校鉄拳伝タフ』の設定だった。前述した通り、龍星も鬼龍の血を引いており、龍星の他にも『TOUGH 龍を継ぐ男』には鬼龍の子供とされる人間がわんさか出てくる。そのため、裏社会や米軍まで関与しているにもかかわらず、登場人物の大半が宮沢一家の関係者で占められる異常な事態が発生しているのだ。鬼龍の正統な後継者は誰なのか。これが『TOUGH 龍を継ぐ男』の重要な柱ではある。しかし、それは同時に、果たされなかった父殺しのもたらした迷走を含んでいるように思えなくもない。

・その他猿渡哲也に関する文章
 『Rūnin』2巻について→こちら
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2018年03月15日
 ダーウィンズゲーム 14 (少年チャンピオン・コミックス)

 ポスト・デス・ゲームとすべきか。理不尽なデス・ゲームに投げ込まれてしまった成り行きをゲーム・マスターをやっつけなければならないという目的に帰結させるタイプのフィクションにおいて、それがデス・ゲームであることの意味はどれだけあるのか。少しばかり疑わしくなるときもあるのだが、最近、よく見かけるものではある。FLIPFLOPsの『ダーウィンズゲーム』も、その一例に数えられる。プレイヤーたる主人公は、あくまでもゲーム・マスターを倒すべく、理不尽なデス・ゲームを生き残るのである。狂気を帯びたヒロインが主人公の少年にベタ惚れしている等、類型的な部分は少なくない。けれど、いやいや、類型的な部分がマイナスではなく、むしろ加算されるようなかたちで魅力のたっぷりなマンガになっているんですよ、これが、と思う。あえて喩えるなら、『HUNTER×HUNTER』のグリードアイランドで架空戦記が展開されている感じかもしれない。本質は、特定条件や限定空間のなかで繰り広げられる異能のバトルだといえる。先に述べた通り、その特定条件や限定空間を作り上げたゲーム・マスターを破ることに筋書きは一本化されている。そして、ゲーム・マスターを破るためにデス・ゲームの内部でいくつかに分かれた勢力の統一が必要とされていくのだった。

 スドウカナメは、とりたてて秀でたところのない平凡な高校生であった。しかし、友人であるキョウダからスマートフォンに送られてきたダーウィンズゲームというソーシャル・ゲームの招待URLを何気なく踏んだことで、すべてが一変してしまう。それは決してよくあるソーシャル・ゲームではなかったのだ。現実の世界そのものを舞台にし、各々に与えられたシギル(異能)を駆使しながら、対戦相手を倒すことで、巨額の富に換金可能なポイントを稼いでいくのである。当然、勝利すれば、ポイントを得、敗北すれば、ポイントを失うわけだが、おそろしいのは、ポイントがゼロになったなら、ゲーム・オーヴァー=アカウントの消滅=死が待ち受けている点にほかならない。途中でおりる手段は、ダーウィンズゲームに存在しない。金儲けのために参加したプレイヤーも、事情を知らずに巻き込まれたプレイヤーも、等しく命懸けの攻防を繰り返すしかないのだ。自分が有するシギルの使い方もままならぬまま、初戦、二戦と、まさか、有名なプレイヤーに勝ち続けたカナメは、それでも人間同士が殺し合うことに納得がいかず、どうにかゲームを終わらせる方法はないかと模索するのであった。他方、シギルが現実の社会に及ぼしている影響を察知した国家権力は、ダーウィンズゲームに介入するため、独自の路線を歩み出したカナメへの接近を試みようとする。

 クラン(ギルド、チーム)のシステムがプレイヤーにとってのアドヴァンテージになっているところは『ダーウィンズゲーム』の特色の一つであろう。これにより、個人個人の衝突である以上に共同体と共同体の対立であるような側面が大きくなっている。サヴァイヴァルやコンゲームの色合いよりも擬似的な陣取り合戦、国盗り物語の様相を強くしているのだ。無名であった若者が、さまざまなピンチとチャンスを経、頭角を現し、カリスマを発揮、頼もしい味方を従え、圧倒的な勢力を築き上げていく。ここにデス・ゲームのパターンを正しく踏襲していた序盤とは異なる段階へと『ダーウィンズゲーム』を飛躍させたダイナミズムがあるのは間違いない。エキセントリックで可愛い女性の登場人物が揃っているのは、この手の作品のセオリーだが、芯の通った男性の登場人物が多数、戦国の武将よろしく、ワキを固めているあたりに硬派なニュアンスが出てもいる。主人公であるカナメの立ち上げたクラン、サンセットレーベンズが、渋谷、東京、関東と制圧圏を拡大することで、不用意なダーウィンズゲームの対戦を禁止するというのが、中途のクライマックスになっているのである。

 さて、誰が一体何のためにダーウィンズゲーム(作中ではDゲームと呼ばれることもある)を開催しているのか。その謎に近づき、ゲーム・マスター(作中の綴りではゲームマスター)の顔を垣間見られたのが、13巻だった。ダーウィンズゲームが意図していることの解明は、この14巻で、さらに前進している。〈ポイントと異能(シギル)その二つが人をDゲームに引きつける餌でしょうね〉しかし〈異能(シギル)は餌ではなくDゲームの目的そのものなんじゃないかと〉〈Dゲームアプリは異能(シギル)をばらまくためのウィルスみたいなものなんじゃないかと〉そして〈GM(ゲームマスター)は電波を使う異能(シギル)使い〉なのではないか、と。デス・ゲームを左右するゲーム・マスターとの直接的なやりとりを指向するタイプのフィクションとは、おそらく、メタ・レベルを認識することは可能であり、メタ・レベルに干渉することも可能だという発想、または錯覚と密接である。メタ・レベルへの目配りを織り込んだストーリーは、しばしば時間ループのSFや並行世界のSFを設定に借り受ける場合がある。そうした傾向を、やはり『ダーウィンズゲーム』も覗かせている。
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