ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2018年02月18日
 雄飛 ゆうひ 13 (ビッグコミックス)

 あまりいわれていないのでいっておくと、ここ最近、ヤクザ・マンガってすげえ充実しているんじゃないですか、と思う。長期連載で世評が定まっているものはともかく、小山ゆう『雄飛』たーし『ドンケツ』大武政夫『ヒナまつり』馬田イスケ『紺田照の合法レシピ』薩美佑『侠飯(福澤徹三による同名小説のコミカライズ)』小西明日翔『来世は他人がいい』等々、ヤクザをモチーフにしつつ、掲載誌はバラバラ、傾向もバラバラ、おそらく読者層もバラバラに違いない作品が目白押しなのだ。

 当初は、小山ゆうにとって久々のボクシング・マンガということでは注目を集めていた『雄飛』だが、物語が進むにつれ、主人公である雄飛が、大垣組の親分であった養父のあとを継ぎ、実の家族を奪った極道、峻堂に復讐を果たそうとするまでを主な筋立てとしてきている。11巻、12巻に描かれた烈(いさお)の生涯は悲しかった。ボロボロ泣くね。しかし、この世界に居場所のなかった人間がようやく得た微かなぬくもり、それさえ呆気なく断ち切られてしまうのを見、ああ、さすが『あずみ』の作者だな、と感じ入る。勝太郎とともにボクサー崩れのコンビで雄飛の頼れる仲間となっていくパターンのストーリーを期待させる部分もあったのに、この非情さよ。いつどの登場人物が不幸になろうとおかしくはない、という小山ならではの切り口が、裏社会を駆使することで、よく発揮されているところがある。

 確かに『雄飛』を、ヤクザの血生臭いドラマが繰り広げられている、の一面に押し込めるのは控えたい。戦後の日本を舞台にした長尺のラヴ・ロマンスであるかもしれないし、とある家族にまつわる悲劇であるのかもしれない。システムとしてはまだ整理されていないショー・ビジネスの世界を題材にしているともいえるし、無論、ボクシングでしのぎを削るライヴァルたちの物語だともいえる。成功があり、無念がある。成功は青春を眩しい瞬間として輝かせ、無念は青春を暗い色調の逃れられない筆先で彩る。序盤、主人公である雄飛とヒロインである青葉の複数の視点と複数の時系列とが並行して描かれるトリッキーな構成は、満州から引きあげてきた少年と少女がいかなるサスペンスに巻き込まれるのかを簡単に判断させないものであった。それが女優として売れはじめた青葉に北原慎一というボクサーの恋人ができたあたりで、雄飛をめぐる因縁に視座が落ち着いてきた印象である。

 雄飛がボクサーのキャリアを勝ちあがる一方、養父である大垣を含め、親しい人々が次々と死んでいってしまう。殺されていってしまう。峻堂への復讐の根は深くなるばかりである。それでも雄飛は、周囲の人々の愛情に支えられ、悪鬼に身を落としかねない場面を幾度となく乗り越えていく。容姿にすぐれ、頭脳も明晰であり、身体の能力も達者、さらには気配りも兼ね揃えている雄飛は、ある種の理想像である。男性の登場人物の多くが、戦後の貧しさのなかで雄飛にはなれなかった存在として現れていることは明らかだ。あるいは紙一重で雄飛も彼らの立場になっていたかもしれない可能性として現れている。何が違ったのか。それを運命の一言に集約するのは容易い。が、たとえば、作中では、大垣組のような侠客と峻堂が率いる旭翔会のようなヤクザは(対外的には同種とされながら)本質的に異なる式の倫理を通じ、必ずしも強いられた結果ではないことの線引きが試みられている。

 また、幼い頃の雄飛を保護していたまち子と岡田の影響は、血よりも濃い繋がりによって結び直される運命があることを教えている。もちろん、斥けられない運命もある。まち子が危惧するとおり、真っ当な将来に進むことのできた雄飛が、大垣組の中心に立ち、峻堂への復讐を貫かなければならないことが、それであろう。ボクサーとして日の目を見たにもかかわらず、旭翔会との決着のため、雄飛はボクシングと訣別しなくてはならない。13巻では、その覚悟が、慎一との試合となって描かれており、慎一も、やはり、雄飛の合わせ絵といえるようなプロフィールを持っている。
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2018年02月16日
 魔入りました!入間くん 4 (少年チャンピオン・コミックス)

 それ自体の良し悪しはさておき、ギャグのようだったマンガがシリアスなモードに変調する際のダイナミズムを、この西修の『魔入りました!入間くん』の4巻は持っている。不幸な環境で育ったため、どんなにひどい災難にも慣れてしまった少年、鈴木入間だったが、まさか身勝手な両親が悪魔に自分を売り飛ばしてしまうだなんて思わなかった。悪魔とは、比喩でも何でもなく、あのおそろしい魔界の住人のことである。魔界でも屈指の悪魔、サリバンに買い取られた入間は、しかし、サリバンの孫として大切にされ、彼が理事長をしている悪魔学校(バビルス)に通うこととなるのであった。

 ともすれば『小公子』のヴァリエーションであるような設定を借り、ファンタジーの世界に入っていった主人公が、人間であるという正体を隠しつつ、気が置けない異能の存在たちと騒がしい学園生活を繰り広げていく。と、ひとまずは概要を述べられるであろう。持ち前のおおらかさで価値観のまったく異なった魔界での暮らしに順応しつつ、ある場合には人の良さで魔界のルールを掻き乱してしまう。そのトリックスターぶりが、エリートのアスモデウスや周囲から疎まれていたクララ等々、愉快な仲間を引き付けるのである。

 3巻、4巻と描かれているのは、通常の学園ものにおけるクラブ活動編といえる。新入生としてクラブ活動に相応する師団(バトラ)に従事しなければならなくなった入間は、魔力が乏しい上級生のキリヲに共感し、彼が1人で所属している「魔具研究師団」に入団するのだった。もちろん、アスモデウスとクララも勝手に付いてくるわけだ。が、一見気が弱そうな印象だったキリヲが、実は悪魔学校全体を巻き込むほどの後ろ暗い目論みを果たそうとしており、その目論み、そして、その目論みを阻止すべく奮闘する主人公の姿にシリアスなモードへの変調が現れている。

 このとき、参照されたいのは、悪魔学校の生徒会長であるアメリが、かつて入間に投げかけた問い、入間にとっての「野望」とは何なのか、だろう。「野望」は、自分が成し遂げなければならない「夢」の言い換えでもある。入間の「夢」それは具体的に示されているものではない。けれど、キリヲの「野望」との対決を通じ、わずかにも確かにも垣間見られるものとなっている。そう、他人に絶望を強いようとするキリヲに入間が向けた〈僕は絶望しない(略)全部拾いたい 僕は全部を諦めない〉という断言が、ひたすら頼もしいのはどうしてなのかを軽視してはならない。

 非情であるはずの悪魔と人間とが和気藹々できる程度には、ゆるいマンガである。そのゆるさは、どんな悲惨な目に遭おうとぐれることがない主人公、入間の資質を抜きにしては成り立たない。とにかく、めげない。ポジティヴと判断される資質は、シリアスなモードに変調したところで損なわれることはない。『魔入りました!入間くん』の一貫性にほかならないのだし、それこそが人間としては本来間違っている両親によって突き落とされた困難をくぐり抜けることと悪魔としては本来正しい周囲の存在に何らかの感化をもたらしていくこととを並列にしているのだ。
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2018年02月01日
 ブラザーフッド(3) (サイコミ)

 ふむ、やっぱり、1巻にあった「いいか ヤマト・ムサシ」「オレはお前ら2人をクソ大事に思ってんよ… 血ィつながってねーとか関係ねーから!」「オレはお前ら2人を兄弟だと思ってんよ 兄弟(ブラザー)を大事にしろよ 心にメモっとけ!」というタイトルに直結するかのような言葉が、このマンガの柱なんだなあ、と思わされる。村上よしゆき『ブラザーフッド』の3巻である。

 ヤンキーの実情を知らない新しい世代が、古いヤンキーのイメージに憧れ、不良少年ならではの学園生活をがんがん送っていくことになる。と、こうした筋立ての作品だが、目下の魅力は、不良少年の屈託や荒んだ光景ではなく、若いスタンスの内側から自然と溢れ出てくる軽さや明るさを、何よりの基調としている点にある。ポジティヴな意味で、実に騒がしい内容だといえる。

 軽く、明るい。だが、チャラく、浮ついてはいない。どこかにしっかりと重心が備わっていると感じられる。その重心とは、最初に持ってきた言葉のとおり、血縁でなかろうと兄弟(ブラザー)と喩えることが可能な関係、繋がりを結び付ける力学と密接なものであろう。主人公であるヤマト(山中大和)とムサシ(山中武蔵)を見るかぎり、ヤンキー・マンガの常道であるバディの形式をとってはいるけれど、彼らが血の繋がりがない同い年の兄弟であることに、それははっきりとしているし、彼らを取り巻く状況にまで敷衍されている。

 先に引用した1巻の言葉は、幼い頃のヤマトが憧れていた年上の存在、信兄ちゃんによるものだ。同様の意義は、この3巻で、別の登場人物と別の登場人物のあいだに交わされた会話として、以下のように反復される。〈でもまあ お前 気に入ったぜ〉〈オレの舎弟になれよ…〉〈子分… つーか 手下っつーか… 弟子?〉〈じゃあ兄弟(ブラザー)だ…〉〈舎弟… 血のつながってねー仲間(ブラザー)だ… ブラザーフッドだ〉

 ヤンキーへの憧れが高じ、不良少年が多く通っている黒浜高校に転校してきたヤマトとムサシは、一年でありながら学校の頂上に立つため、番長格である三年の赤城に挑もうとするのだが、もちろん、コトは簡単に進んでいかないのだった。赤城や赤城の亡くなった親友、ガガ、そして、ガガの後輩であり、赤城に敵意を向ける二年の木曽川、彼らをめぐる因縁に決着がつくなかで、兄弟(ブラザー)という言葉は反復されている。反復されることで、マンガの柱となるような強度を増しているのだ。

 軽く、明るい、と述べた。それはコメディのパートが充実しているためでもある。コメディのおかしさは、登場人物と登場人物のあいだの認識のズレ及び登場人物と世間の認識とのズレからやってきている。ヤマトが飛び抜けて馬鹿に見えるのは、ズレの大きさが最も顕著となっているがゆえに、だろう。ヤンキーという過去の文化をリスペクトし、邁進していく勢いが、現代的な当然とのズレを際立たせているのである。
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