ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2018年01月09日
 KING GOLF(31) (少年サンデーコミックス)

 ちょっとこれ、異様な作品になりつつあるな、と思わされる。佐々木健の『KING GOLF』(技術指導・監修、谷将貴)である。少なくとも、18巻の後半からこの31巻にかけての読み心地は、非常に説明のしがたいものとなっている。基本的に、ゴルフを題材としたスポーツ・マンガにほかならない。不良少年である主人公、優木蒼甫が、同じ高校のゴルフ部で名を馳せている霞見ひかると出会い、その不敵な眼差しに導かれ、ゴルフの世界に足を踏み入れていくというプロットをスタート・ラインにしており、彼ら2人のライヴァル関係のなかに異端(トリックスター)VS天才(スーパースター)の対比、それ自体はスポーツ・マンガにおいて決して特殊ではない構図が描き出されているのであった。18巻の前半までは、ひかるとの対決を望み、一度敗北し、再戦での勝利を目標とした蒼甫のディシプリン(訓練と成長)が、ほぼ直線状に表されていた。キャディ編がいくらか変化球じみた試みであったとしても、蒼甫の向こう見ずなスタンスと著しい飛躍とが少年マンガ式のカタルシスをまっすぐ示していたことに違いはない。しかし、19巻のアメリカ修行編を経、帰国後のSSSカップ編を舞台にした20巻以降、作品の様相が異なってき、それは次第に大きくなっているのだ。

 アマチュアでありながらプロのトーナメントであるSSS(トリプルエス)カップへ出場することとなった蒼甫は、試合中、快調に飛ばしていたはずだったが、そこで新たな試練にぶち当たってしまう。同じくSSSカップの予選ラウンドに挑んだひかるも、人生の岐路をまざまざと見せつけられるかのような苦境に立たされていた。21巻から31巻に渡って繰り広げられているのは、4日間に及ぶ大会の2日間に起こったことだ。たった2日の出来事が、およそ10巻分の長さを持っているのである。たとえば『風の大地』や『あした天気になあれ』等、1試合が長くなりがちなゴルフ・マンガのなかにあっても、予選のみでこれは突出しているのではないか。けれど、注意されたいのは、その長さなのではない。その長さが、いかに描かれているかという点なのである。それこそが近年の『KING GOLF』を前に、異様な作品になりつつあるな、と思わされるゆえんとなっている。

 SSSカップの予選2日間では、蒼甫を加えた予選7組の3人とひかるを加えた予選6組の3人の2つの試合が主に描かれていく。だが、それは回想を含んだ上での時系列をときにシャッフルし、複数の登場人物の視点や思惑をときにスイッチし、1個の展開を進めるだけのあいだに様々な迂回を挟み込むかたちで構成されているのである。単に内面の描写によって占められる割合が増えたとえいるし、以前から下敷きにされてきたゴルフはメンタルのスポーツだというガイドラインに沿ってフィジカルの動きよりもメンタルの動きに軸足を置いたストーリーが紡がれているとはいえる。結果、少年マンガ式のカタルシスが後退したのは疑いようがない。爽快さ、わかりやすさが減じてしまったので、登場人物にかかる重たさ、つらさ、苦さばかりが目立つ格好をとっている。正直なところ、ここで怠くなったとそっぽを向く人間もいるだろうね、と思う。だが、それで本当に作品の魅力が引き下げられているのかどうか。個人的には引き下げられてはいないと評価したい。

 蒼甫が入った予選7組の試合内容は、大変タガの外れたものであった。悪意と足の引っ張り合い、プライドを地に落とされた2人のプロの選手がトップを走るアマチュア、蒼甫を陥れようとする。しかし、さすがは我らが主人公、どんどんとエスカレートしていく妨害工作ですらも蒼甫は簡単にかわしてしまう。が、それとは違ったレベルの障害を通じ、蒼甫の快進撃にストップがかかるのだった。自分の積んできた経験が、もう1つの人格を持ち、まるでドッペルゲンガーのように立ち塞がり、重要な1打を次々とぶち壊しにするのだ。他方、予選6組でひかるが一緒にホールを回るのは、なんと彼の2人の兄、霞見家の長男、天司と次男、瞬である。天司、瞬ともにエリートとして知られるプロの選手であって、世間では高く買われているひかるだけれど、兄の立場からすると霞見家の落ちこぼれにすぎないことが明かされる。とりわけ、ひかるが瞬に抱いているコンプレックスやプレッシャーは想像を絶するものであった。弟を忌み嫌う瞬は、狡猾にもひかるの無意識にトラップを仕掛ける。それにはまったひかるは、まともにゴルフをやらせてもらえず、ほとんど自滅しかかっていた。要するに、蒼甫という異端(トリックスター)並びに、ひかるという天才(スーパースター)の避けがたい躓きを、SSSカップの予選2日間は、浮き彫りにしている。果たして、彼らは躓きを乗り越えられるのか。

 蒼甫とひかるが躓きを乗り越えられるのかどうか。あらかじめ述べた通り、それは徹底的に先送りされる。先送りにされながら、積み重ねられていくのは、むしろ、敗北するのかもしれない可能性の方だといえる。いや、ただでさえ、アッパーなノリは抑えられているのに、時系列を入れ替えて回想は挟まれるし、視点や場面の変転が多く、アレゴリカルといおうか、シンボリックといおうか、比喩としての描写や抽象度の高いカットが頻出するので、話を飲む込む際、ものすごいストレスがある。盛り上がらないのはもちろん、すかっとしない。もやもやする。しかし、そうした紆余曲折に目を凝らしたとき、はたと気づかされるのは、ああ、そうか。これはストレスそのものを描こうとしているのだ。はずみから苦境にさらされ、踏ん張るたびに無力さを味わい、もがこうとすればするほど絶望に足を掴まれるかのような極限状態のストレスが、登場人物の姿を借り、具現されているがため、それを見ている側にも相応のストレスを強いるのであろう。いかんせん、およそ10巻分の長さでもって、である。たまったもんじゃない。が、ここまでのしつこさでなければ描けなかった説得力が備わっているのも確かなのであった。

 作品の色合いを違えてしまいかねないストレスは、蒼甫やひかるだけではなく、予選7組と予選6組の全員、そして、予選6組の試合を観戦している霞見家の父親へと波及している。たった2日の短さが、非常に長い時間に引き伸ばされているのも、こうした拡大による。おびただしいストレスのなかで、何度も確認されるのは、他の誰かの背中にこの眼差しを向けること、この背中に他の誰かからの眼差しを受けること、であって、それは物語の当初から一切違えていない作品の意義を同時に主張している。SSSカップが幕を開ける間近、ひかるに告げた蒼甫の〈おい 霞見!! 間違っても横を見て オレの背中を見んじゃねえぞっ!! てめェがオレの背中を拝む時は、このオレにぶっ飛ばされた時だ!!〉という言葉は、2人がはじめて出会った段階で既に発されていた因縁の再演であり、先を進む者と遅れをとった者のゆるまざる緊張は、2人と周囲の関係にまで敷衍される。『KING GOLF』の全体像に与えられた線の太い輪郭にほかならない。自分を踏まえた皆が他の誰かに認められべく戦いを続けている。他の誰かは自分を踏まえた皆に認められるべく戦いを続けている。そのようなテーマを絶えず研ぎ澄ませていった先に、異様な質感と読み心地が生じているのである。
posted by もりた | Comment(0) | マンガ(2018年)