ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2017年08月21日
 プレイボール2 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 故ちばあきおの『キャプテン』及び『プレイボール』は、自分にとって正典(カノン)のような作品である。したがって、ちばの家族の後押しがあったとはいえ、その続編を別のマンガ家が描くことには抵抗がある。いや、正直に述べると、コージィ城倉による『プレイボール2』に対し、反対派ですらある。城倉の野球マンガについては(森高夕次名義の原作を含め)決して嫌いではないのだったが、やはり、それとこれとは話が別なのであって、本当にすげえ複雑な気分なんですよ、と思うし、違和感の方が大きい。実際、ちばの絵柄やレイアウトに驚くほど寄せていっているだけに、時折顔を覗かせる城倉らしい語り口に戸惑ってしまうのだ。もしも作者が城倉だと明かされていなかったとしたらどうだったろうか、と想像すると楽しいのだけれど、たとえば、この1巻の58ページ目を見られたい。登場人物のデザインやコマ割り、構図など、城倉の(もしも城倉以外のマンガ家だったとしたら、と仮定するなら、城倉に影響を受けた誰かの)色合いが支配的になっている。こうしたところに難しさを覚えるのであった。しかし、作品の成り行き自体、退屈か否かで判断すると、なかなかに引き込まれるものがあるので、一概には貶せない。そこが弱った点でもある。

 続編を考える際、大まかに前作を知らなくとも入りやすいものと前作を知らないと入りにくいものとの二つに分けられる。『プレイボール2』は、おそらく後者であろう。『キャプテン』で墨谷二中を日本一に導いた谷口が、墨谷高校に進学し、一年生ながらも持ち前のガッツで弱小のチームを引っ張っていくというのが『プレイボール』の概要であって、終盤、谷口は三年生になり、墨谷二中のチーム・メイトだった後輩の丸井やイガラシが墨谷高校の野球部に加わってくると、ようやく『キャプテン』の頃から親しみのある登場人物が揃い、甲子園出場への芽が出はじめたところで『プレイボール』の本編は、終了している。そして、そうした展開のすぐあとを『プレイボール2』は、描いているのである。だが、さしあたり『プレイボール2』では、一年生である井口に対する肩入れが強いような印象を受ける。確かに井口は、『プレイボール』の終盤に出てき、今後の活躍が期待されてはいたものの、活躍それ自体は描かれることはなかった。ファンには周知のとおり、中学校入学以前のイガラシの元チーム・メイトであり、『キャプテン』の序盤、谷口がキャプテンとなって初の試合、イガラシが墨谷二中で一目置かれるきっかけともなった江戸川中のあの井口だ。

 井口は、タイプでいうと『キャプテン』の近藤に近い。高いポテンシャルに比例した自信家であり、傍若無人な態度とトラブルメーカーの資質を兼ね揃えている。問題を起こしかねない井口を危惧した丸井が、まるで教育係を買って出たかのように口うるさく接するのは、『キャプテン』における近藤との関係の反復だといえるし、『プレイボール』の段階で既に墨谷高校のキーになるであろうことを匂わせていたものでもある。城倉は、それを糸口にしながら『プレイボール2』の物語を広げていっている。たぶん、この采配は正しい。他方、生意気なスタンスの井口をめぐるコミュニケーションは、『プレイボール』の引用である以上に、城倉の野球マンガによくある1シーンを彷彿とさせる。先に挙げた58ページ目なども、その一例だといえよう。そこでは『プレイボール』本来の魅力と城倉本人の魅力とが衝突しているのではないか。これが自分の感想になる。もちろん、両者の魅力が合致することで、新しい魅力が生まれているとの感想があっても構わない。あくまでも比喩として述べるのだけれど、谷口と墨谷高校のセオリーに反発的な井口の姿は、『プレイボール』の価値観に向き合う城倉自身なのかもしれない。とするのであれば、両者の融和が本当に現れるのは、まだ先のことであろう。

 いずれにせよ、試合(公式戦)がはじまってみないとわからないところがある。それまでモチベーションのレベルで対立していた野球部の面々が、強敵を前にくんずほぐれつ、試行錯誤することで一丸となっていく姿に『キャプテン』や『プレイボール』のカタルシスはあったという気がする。少なくとも今の時点で、それは現れていない。『プレイボール』は、世評の定まった作品だが、『プレイボール2』の真価が問われるのは、これからの話にほかならないのであった。
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2017年08月03日
 Mourning, Resistance, Celebration [Analog]

 FARのフロントマンであるジョナ・マトランガと元JAWBOXにしてプロデューサーとしても知られるJ.ロビンスの合流は、90年代の(EMOと呼ばれるような)ポスト・ハードコアのファンにとって、おお、と興味を引かれるものであろう。CAMORRAが、それだ。が、ファーストEP『MOURNING, RESISTANCE, CELEBRATION』に特徴的なスタイルをもたらしているのは、J.ロビンスと同じく元JAWBOXであり、ドラムで参加しているザック・バロカスの変拍子を交えたあの独特なリズム感なのではないかと思う。どちらかといえば、ではあるけれど、J.ロビンスのキャリアで見るより、ジョナ・マトランガのONELINEDRAWINGに近いアンビエントな作風となっており、JAWBOXやBURNING AIRLINES、 CHANNELS、FARやNEW END ORIGINAL等々にあったロック・バンド的なダイナミズムは極力抑えられている。ギターの主張も控えめであって、メインのヴォーカルをジョナに任せたJ.ロビンスの役割は、おそらく、キーボードの響きが楽曲の方向性をガイドしていくかのようなサウンドのコーディネイトなのかもしれない。そのキーボードのリフとザック・バロカスによるドラムのマッチングには、プログレッシヴ・ロックの構築美を彷彿とさせるものがある。もちろん、魂からこぼれる血や涙をイメージさせるジョナ・マトランガのナイーヴな歌声は健在だし、希望を手探りするなかに生じうるエモーションを如実にしているのだけれど、それでもやはり、特筆したくなるのは、ドラムのパートなのだった。CAMORRAならではの色合いに、どれだけザック・バロカスが不可欠であるのかは、1曲目「BETWEEN THE WORLD AND ME」の導入から、はっきりと窺える。ア・カペラではじまり、女性のコーラスとドラムのみを加えた3曲目「PARTING FRIENDS」には(小品なのに)胸を衝かれる。加速を得ていくドラムに合わせ、ジョナ・マトランガのヴォーカルが衝動のはち切れた叫びへと達する4曲目「BLACK WHITE GIRL BOY」のクライマックスは、圧巻である。

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