ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2016年10月28日
 WHILE THEY WERE SLEEPI

 ぬおお、あのCANDIRIAが帰ってきたぞおおお、という快哉を叫ぶには、いくらか物足りなさを含むものになってしまったかな、正直なところ、である。米ニューヨーク州ブルックリン出身のCANDIRIAといえば、やはり、日本デビューを飾り、初来日公演とも重なった通算4作目のフル・アルバム『300 PERCENT DENSITY』(2001年)におけるあのインパクトであろう。ハードコア、ヒップホップ、ジャズ、プログレ等々、あらゆるイディオムを1曲のなかに横溢させたサウンドには、まるでBODY COUNTとKING KRIMSONとが正面衝突したかのようなスリルがあった。黒人のヴォーカルによるストロング・スタイルなラップやスクリームも特徴的だったが、変拍子の目まぐるしいリズムをアグレッシヴに叩きつけてくる楽器隊の技量も非常に際立っていた。続く『WHAT DOESN'T KILL YOU... 』(2004年)では、広い意味でのラップ・メタルに近づき、『KISS THE LIE』(2009年)については、メロディとアンビエンスをかなり増し、つまりは次第にアヴァンギャルドなアプローチは低まっていった。その『KISS THE LIE』以来、約7年ぶりの作品となるのが『WHILE THEY WERE SLEEPING』なのだ。しかし、これが良くも悪くも、現代版のヘヴィ・ロックを高水準でどうぞ、といった印象になっている。2曲目の「MEREYA」や3曲目の「WANDERING LIGHT」の中盤、ジャジーなヒップホップが飛び出してくるあたりに、ああ、CANDIRIAだな、と思わされるのだけれど、楽曲それ自体の方向性は、スクリームとクリーン・ヴォイスのコンビネーションに支配されており、凝ったリズムを重ね、うねりを出していくアンサンブルは、確かに見事な反面、ジェント(Djent)と呼ばれるような複雑な演奏のスタイルが定着した今日、目を引くほどの異色は薄まっている。エクストリームであるか否かの観点で判断するなら、どうしたって物足りなさが含まれるのである。だが、現代版のヘヴィ・ロックのマナーにジャストフィットした作品として見るとき、極めて高水準であることは既に述べたとおり。アルバム全体に何らかのコンセプトが課せられているらしいが、総じてカオティック・ハードコアの過激さであるよりもプログレ・メタルの機能美をうかがわせる。『300 PERCENT DENSITY』を経、『WHAT DOESN'T KILL YOU... 』にもたらされた変化は、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件や2002年9月のツアー中に起こった自動車事故に関連があるとされている。バンドのキャリアをある段階で区切るとするのであれば、おそらく、それ以前と以後とになるのかもしれない。繰り返しになるが、『WHILE THEY WERE SLEEPING』に、あの『300 PERCENT DENSITY』やサード・アルバム『THE PROCESS OF SELF DEVELOPMENT』(1999年)のインパクトを求めることは難しい。とはいえ、そこから離れていった先のキャリアを総括するのに相応しい完成度のアルバムとなった。

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2016年10月18日
 Sea of Clouds

 約8年ぶりという。かつてはスウェディッシュ・エモの至宝として知られたLAST DAYS OF APRILの来日公演(10月17日、渋谷club乙-kinoto-)を観たのであった。何はともあれ、初期の名曲であり、あの胸ときめくほどの「ASPIRINS AND ALCOHOL」をやってくれたのが最高に嬉しい、と感じ入ってしまう。基本的には、最新作にあたる『SEA OF CLOUDS』(2015年)のリリースに伴うツアーであるため、『SEA OF CLOUDS』の楽曲を中心にしたセット・リストである、というより、『SEA OF CLOUDS』に見られた現在のモードで約20年に及ぶキャリアの代表曲を再構築していた、という印象を大きくしているように思う。

 若気の至りを思わせるパンキッシュなテンションを多く含んだファースト・アルバムの『LAST DAYS OF APRIL』(1997年)はともかく、アメリカのエモーショナル・ハードコアのシーンとリンクしながら、北欧ならでは、と認識されるような哀感を溢れさせていたサード・アルバムの『ANGEL YOUTH』(2000年)と続く『ASCEND TO THE STARS』(2002年)を経、初来日公演に繋がった5作目の『IF YOU LOSE IT』(2003年)以降、フロントマン、カール・ラーソンのソロ・プロジェクト的に(カール自身のソロ・アルバムも存在するが)美しいメロディはそのまま、広義のギター・ポップに近いスタイルを展開してきたLAST DAYS OF APRILである。『SEA OF CLOUDS』に見られた現在のモードとは、つまり、その延長線であり、カントリーやフォークをも射程に入れたトラディショナルでシンプルなバンド・サウンドのことでもある。

 単純に、枯れた、と喩えられるのかもしれない。が、実際にライヴで確認すると、ちょっとニュアンスは違っている。キーボードなどの装飾は除かれ、あくまでもトリオの演奏でのヴァージョンにアレンジされた過去のナンバーに、それは顕著であった。確かに、強弱のゆるやかなコントロールのみで楽曲の表情に変化を付けていく姿は、いくらか地味ではある。サポートを務めた日本勢のエネルギッシュなパフォーマンスに比べると、なおのこと控えめでもある。しかし、意図された音数の少なさが、センシティヴな面で評価されがちな原曲には乏しい骨の太さのようなものを明らかに浮かび上がらせていたのである。

 おそらく、カール・ラーソンのミュージシャンとしての成熟が、楽曲それ自体を表面上のイメージでは括りきれないレベルへと成熟させていたのである。先に挙げた「ASPIRINS AND ALCOHOL」も同様であろう。スタジオのヴァージョンにおけるキラキラとした青春の色彩とは異なる。絵は一緒であろうと、まるでセピアのカラーに滲ませるかのような筆遣いのアレンジに注意を引かれる。そこに失われたものを見ることもできる。だが、ああ、これが現在のLAST DAYS OF APRILなんだな、と納得させられるだけの魅力が同時にある。さらに気づかされたのは、カール・ラーソンのヴォーカルや美しいメロディばかりではなく、彼が弾くギターのフレーズにもLAST DAYS OF APRILという記名性が意外にハッキリと出ている点であった。エレクトリックでもアコースティックでも、デリケートな(デリケートであるがゆえに、ときには刺々しくなったりもする)心の揺らぎをよく掴まえていたのだ。

 1時間強のステージだったろうか。決して広い会場ではなかったけれど、ほぼ満員の数の観客が集まっていたことを最後に言い添えておきたい。皆、待ち望んでいたんだね。
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2016年10月15日
 CROWN FERAL

 ああ、これ自体が嵐の夜をイメージさせるし、吹き荒ぶ雨風も先の見えない暗闇も厭わずに駆け抜ける馬車のごとくでもある。米国のマサチューセッツ州ボストンやワシントン州シアトルを中心に活動を続ける4人組、TRAP THEMの通算5作目となるフル・アルバム『CROWN FERAL』には、今にも壊れそうなほどに軋みをあげていく車輪のスピードが宿されているのだ。もちろん、それはファースト・アルバム『SLEEPWELL DECONSTRUCTOR』(2007年)の頃より不変のものだが、マンネリズムがスリルを損なってしまうのとは異なったレベルで、一貫したフォームやスタイルの凄みを引き出しているところに圧倒される。

 幾度かのメンバー・チェンジを経てきたバンドだけれど、前作の『BLISSFUCKER』(2014年)と同様のラインナップで『CROWN FERAL』はレコーディングされている。それもあってか、今まで以上に整合性の出た印象だ。整合性とは、この手のエクストリームでアグレッシヴなアーティストの場合、勢いを削ぐマイナスになりかねない。しかし、そうではない。楽曲の構成と演奏とに、一丸と喩えるのが相応しい厚みをさらに得たことで、ファストなパート、スローなパート、ミディアムなパートのギャップが少なくなり、ダークで殺伐としたテンションをそのままにしながら、アッパーなロックン・ロールとも似たノリのよさを増しているのである。

 抑えめのリズムに不穏なノイズが反復させられるなか、強烈なスクリームがこだまする1曲目の「KINDRED DIRT」こそ、異様な儀式を思わせるが、2曲目の「HELLIONAIRES」から先における展開は、怒濤というほかない。デス・メタルもカオティック・ハードコアもクラストもスラッジも一飲みにし、変則的なギターのリフとバックのリズムとが、前のめりに高速であることとヘヴィであることを同時に求めていくサウンドは、先に述べたように猛り狂った嵐の夜をイメージさせる。7曲目の「TWITCHING IN THE AURAS」やラスト・ナンバーである10曲目の「PHANTOM AIR」など、地を這うタイプのグルーヴに負のオーラが凝縮しているのも、TRAP THEMの特色であろう。

 録音とミックスには、従来通り、CONVERGEのカート・バルーとゴッド・シティ・スタジオが関わっており、ともすれば、いつもと一緒、のパターンに着地してしまっても不思議ではない。実際、そうした評価をくだす向きがあってもおかしくはない。ただし、手抜きのアイディアを手癖で仕上げたかのような楽曲は一個も見受けられない。隙がない密度のアンサンブルには、すぐれた緊張感が張り詰めている。それらとキャッチーなバランスとが同居した5曲目の「Malengines Here, Where They Should Be」は、『CROWN FERAL』のハイライトだといえる。破滅的、破壊的なベクトルをキープしたまま、絶望とはかけ離れたヴァイヴレーションを、握り拳のガッツを、嵐の夜をものともしない高揚感を成立させている。

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2016年10月11日
 マル勇九ノ島さん 1 (少年チャンピオン・コミックス)

 木佐貫卓の『マル勇 九ノ島さん』は、ロール・プレイング・ゲーム、さらにはMORPGの発想が一般的になった現代ならではのマンガである。中世を模した剣と魔法のファンタジーでありながら、近代以降の認識が著しく強調されているという意味では、ライトノベルやアニメーションにおいて『ソードアート・オンライン』や『まおゆう魔王勇者』の先行例がある。文脈的には、それらに近いと感じられる。勇者(光)と魔王(影)の対照がミッションとして複数化された世界をまたぎ、メタのレベルから勇者をサポートするかのような職業を題材としているのだ。

 ユグドラシルの大樹として定義された宇宙では、さまざまに世界は枝分かれしており、それぞれに独立している。しかし、魔王が世界を滅ぼそうとし、勇者が世界を救おうとしている点は、どの世界も共通している。一つの世界で魔王が勝利すれば、ユグドラシルの腐敗は進んでいき、一つの世界で勇者が勝利をすれば、ユグドラシルは新たな枝を伸ばしていくのである。「H・S・C(ヒーロー・サポート・カンパニー)」の仕事は、ユグドラシルの腐敗を防ぐべく、勇者の活躍をワキから助けることであった。なかでも勇者と直接関わる営業部は「マル勇」と呼ばれる。「H・S・C」の華であって、それに憧れる新入社員のフォアは、入社式の日、最低な印象の上司、営業3課の課長である九ノ島竜一に出会う。

 営業3課に配属されたヒロインのフォアが、最初に取りかかるケースに明らかな通り、勇者の挫折と再起とが大まかなテーマであろう。九ノ島は、精悍なイメージとは違った勇者と出会い、困惑するフォアに〈勇者は聖人君子じゃない / 一人の 人間だ / 人は考え迷い / 間違うんだ〉と言うのである。これはもちろん、伝説や神話として確立されているはずの英雄を、今日の視線を通じ、堕しているにすぎない。人間的であるがゆえに敗北もありえるという矮小化によって勇者が描かれているのだ。もっというなら、世界を救うという重大事を背負うにはあまりにも人間的すぎる勇者の卑近さが、「H・S・C」や「マル勇」を介在させているのである。

 フォアと同様、営業3課に配属された新入社員のフレイヤが、魔王との戦いで多くのものを失い、消沈してしまった勇者を見、〈たとえ大切な人を亡くしても / 魔王討伐という大義を蔑ろにしていいはずがない〉と述べるのに対し、九ノ島に〈フレイヤお前は正しすぎてダメだ〉と忠告させている。おそらく、フレイヤの主張は正論である。なぜ、それが否定されなければならないのか。繰り返しになるが、中世を模した剣と魔法のファンタジーだからこその価値観が、近代から現代へと至るなかで生成された認識に上書きされていることを意味しているのだと思う。少なくとも、それがドラマのレベルで作品を支えるものとなっている。

 1巻を読むかぎり、会社員のマンガや女性誌のマンガとも並べることができるような文法が入ってきている。それがちょっとおもしろいし、独自性として十分に生きていたら、と惜しまれるところがある。
2016年10月06日
 All Through the Night

 いやはや、前作の『HONK MACHINE』(2015年)が発表されて以来、それをIMPERIAL STATE ELECTRICにとっての最高傑作に挙げていたのだったが、申し訳ない。このフィフス・アルバムにあたる『ALL THROUGH THE NIGHT』こそ、彼らにとっての最高傑作だと改めたい気持ちで一杯である。生粋のライヴ・バンドとして名を馳せているスウェーデンの4人組だけれど、スタジオ・ワークにおいても極めて高い水準の作品を次々発表し、常に期待値を上回っていくのだから、恐れ入るよな、であろう。

 あくまでもロックン・ロールらしいロックン・ロールを奏でるサウンドに革新性は見あたらない。皆無だといえる。しかし、数々の古典を参照もしくは引用しながら、てらいなく紡がれるビートの心地良さに、体の芯から惹かれるものが現れているのであった。

 時代になびかないことが、エヴァーグリーンな魅力を引き出し、質と格のレベルに他との差異が生じさせられている。参照されるポイントは『HONK MACHINE』の頃よりさらに掘り下げられていると思われる。カントリー・ミュージックやソウル・ミュージックにまで遡ったかのような手触りが深まっているのである。ただし、一概にスローになったのでもなければ、落ち着きが出たとの単純化もできない。むしろ、ギターは以前にも増して踊っており、リズムの躍動感は強くなった。そのヴァリエーションの広がりに、ロックン・ロールのフィジカルな魅力が包み込まれているのだ。

 全体の構成は、これまでと同様、レコード(所謂ヴァイナル)LPのA面B面を意識したものとなっている。キック・オフを告げる1曲目の「EMPIRE OF FIRE」には、切れ味の鋭いギターのリフと色気のあるグルーヴとがたっぷり。ストリングスが入った2曲目の「All THROUGH THE NIGHT」や女性のコーラスを加えた4曲目の「BREAK IT DOWN」など、センティメンタルなナンバーが並ぶ一方、2曲目の「REMOVE YOUR DOUBT」や5曲目の「OVER AND OVER AGAIN」など、軽快に跳ねていくタイプのナンバーも充実している。

 メンバーのほとんどがメインでヴォーカルを取れるし、そうして重ねられたヴォーカルのハーモニーはフックの強いフレーズに結び付けられている。古典的なブギーとシャウトの引用であるような8曲目の「GET OFF THE BOO HOO TRAIN」を経、鍵盤の駆け抜けるスピードが印象的な9曲目の「WOULD YOU LIE」は、後半のハイライトだ。(日本盤のボーナス・トラックを除き)ラストを飾る10曲目の「NO SLEEPING」は、THE BEATLESあるいはジョージ・ハリスンのバラードを彷彿とさせる。

 『HONK MACHINE』について→こちら
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