ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2015年11月17日
 Permanence

 余談から入るけれど、LOSTPROPHETSのイワン・ワトキンスが起こした事件は相当ショッキングなものであった。初期の頃は日本のアニメや特撮からの影響を絡めながら語られることも少なくはなかったバンドのフロントマンが、幼児に対する悪辣な性犯罪で逮捕されるというのは、報じられ方によっては、この国の児童ポルノに関した規制を大きく左右したかもしれないし、ジャパニメーションやクール・ジャパンなどの文化戦略にも大きな打撃を及ぼしかねなかったかもしれない。が、(少なくとも今のところ)そうなっていないことは良かったですね、であろうか。いずれにせよ、キッズを励ますかのようなメッセージを歌い続けていたシンガーが、まさか、ではある。

 イメージは非情であって、他のメンバーが責められるべき立場にあろうとなかろうと、LOSTPROPHETSというバンド自体が大変な汚名を着ることになってしまったのは間違いない。そのことが関係しているのかどうかは知らないが、イワン・ワトキンス以外のメンバーが、THURSDAYのジェフ・リックリィをヴォーカルに迎え、新たにスタートさせたNO DEVOTIONのサウンドは、全盛期のLOSTPROPHETSといくらか距離を取ったものになっている。ミクスチャー・ロックを出発点に、エモやスクリーモを経由することでドラマティックなメロディやコーラスを全開にしていたLOSTPROPHETSとも違うし、スクリーモやハードコアのサイドからポスト・ロックのスタイルにアプローチしていったTHURSDAYとも違う。80年代のNEW ORDERやU2、DEPECHE MODE、THE CUREなどを引き合いに出せるだろう。ケースは異なるものの、ラウド・ロックのファンによく知られたアーティストが、ニュー・ウェーヴそっくりに向かいはじめたという意味で、THE SMASHING PUMPKINSの『ADORE』やPARADISE LOSTの『HOST』を彷彿とさせるところがある。

 ジェフ・リックリィにとっては、たとえばDEFTONESのチノ・モレノが本体とは別に動かしているCROSSESやPALMSに相当するような位置づけのプロジェクトになるのかもしれない。アグレッシヴな勢いもスクリームも封じ、エレクトロニックな響きの広がるなか、メランコリックにメロディが強調されていく。そもそもがナイーヴなパートを得意としていたシンガーだけに、ほとんど違和感は生じていない。今日、WHITE LIESのように本格派のニュー・ウェーヴ・リヴァイヴァルも珍しくないが、NO DEVOTIONの場合、あくまでもハードであること、ダイナミックであることをアンサンブルの基礎としているんだよな、と思わされるのは、ファースト・アルバムである『PERMANENCE』の全編を通じて、生音のドラムにずっしりと重たいアタックが主張されているためだ。キーボードやプログラミングの存在に楽曲のムードは決定されているけれど、リズムのパターンだけを取るのであれば、十分に激しいし、ヘヴィだともいえる。おそらくは最も躍動的な10曲目の「ADDITION」に、THURSDAYとLOSTPROPHETSの面影がよく出ている。

 シングルにもなった「ADDITION」だが、同じくシングルとしてリリースされていた7曲目の「10,000 SUMMERS」や9曲目の「STAY」を目白押しにした終盤が、やはり、アルバムのハイライトだろう。とりわけ、「10,000 SUMMERS」で繰り返されるポップなコーラスは、美しい高揚をもたらしてくれる。そのタイトルにぴったりのロマンティックさである。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2015年11月14日
 弾丸タックル(9)(少年チャンピオン・コミックス)

 佐藤由幸の『弾丸タックル』は、レスリングを題材にしたマンガで、気弱な少年が、兄貴肌の人物に出会い、秘められた才能を開花させていく、という『はじめの一歩』式のチャートを採用している。スポ根が不振の80年代後半から90年代前半にあって『はじめの一歩』が成功した理由を〈かっこわるい奴ががむしゃらにむしゃぶりついていくというのがよくって、また小林まことキャラが隣にいるのが絶妙のバランスなんです〉と分析したのは、島本和彦(『ユリイカ』2014年3月号)だが、そこでいわれている小林まことキャラとは(もしかしたら青木や木村の存在も含められているのかもしれないけれど)要するに鷹村守のことであろう。『弾丸タックル』も同様、小林まことのマンガを源流に抱くかのような先輩、飛鷹勝が、主人公である朝日昇のモチベーションと成長、そして物語の流れに大きく関与しているのである。

 ところで、島本がいう「小林まことキャラ」のイメージを具体的に推測するのであれば、それはおそらく『1・2の三四郎』の東三四郎になるのではないかと思う。のちの『柔道部物語』における主人公、三五十五の先輩、鷲尾弘美などもこの系譜にあたる。他方、たとえば『柔道部物語』の西野新二に代表されるようなヒールもまた、スポーツや格闘技を題材とした小林の作品にとっては重要な位置を占めるものであった。西野の果たしている役割は、健全な精神は健全な肉体に宿る、という建前に対するアンチ・テーゼだといえる。『はじめの一歩』であれば、間柴了がこれに近いのではないか。近年のヒット作では『弱虫ペダル』の御堂筋翔も(マザコンであるらしい気配を込みで)西野を彷彿とさせる。『弾丸タックル』で、等しいポジションを負っているのは、この9巻の予選(東京都大会)の3位決定戦で、とうとう主人公の朝日と直接対決することとなった斑目正である。試合に勝つためには、相手の顔面に膝を入れる反則を厭わぬ斑目は、フェアネスをあくまでも信じる朝日がはじめてぶつかることになったヒールなのだ。

 ライヴァルたちが見守るなか、まったく別の価値観に根差した脅威であるような斑目に対し、朝日はどうした戦いに出るのか。試合の運びは、体格の差やお互いに異なったレスリングのスタイルを強調していく。作品のテーマと重なるのであろう。フェアであることとアンフェアであることを天秤としたスピーディな攻防が繰り広げられている。

 3巻について→こちら
2015年11月13日
 デビリーマン 2 (ジャンプコミックス)

 福田健太郎の『デビリーマン』は、雑誌掲載時に最終回を読み、戸惑うものがあった。なので、いくつか感想を探してみたのだったが、さらに戸惑わされたのは「良い結末」だとか「感動した」だとかの声が決して少なくはなかったことである。なぜなら、年端もいかない子供が世を儚んで死ぬ、という風にも見えるラストは、所謂バッド・エンドにあたるように思われたためだ。しかし、所謂バッド・エンドとは別の角度から判断するのであれば、もしかしたら『デビリーマン』は(たとえ少年の向かった先が一般的に天国と信じられる場所ではなかろうと)現代版の『マッチ売りの少女』あるいは現代版の『フランダースの犬』であったのかもしれない。

 率直にいって、方向性がきっちりと定まる前に作品を閉じられてしまった印象である。裏を返すなら、エピソードごとに可能性を模索していたかのようなマンガであった。短編型のダーク・ファンタジー(例『笑ゥせぇるすまん』『死神くん』)にも舵を取れただろうし、複雑なルールをかいくぐっていく知能戦やデス・ゲーム(例『DEATH NOTE』『LIAR GAME』)にも舵を取れただろう。はたまた、正体不明の攻撃が次々に飛び交う異能バトル(例『ジョジョの奇妙な冒険』『うえきの法則』)にも舵を取れただろう。だが、こうという進路を獲得する段階にまでいかず、完結だけが先にきてしまったところがある。作者の狙いがどこにあったのかをはっきりと掴むことは難しい。反面、主人公の平和(たいらあえる)少年とパートナーである悪魔のマドギワーの関係については、最初の時点で確かとなっていたイメージをまったく逸れることがなかったと思う。

 平和少年にとって、マドギワーとは何だったのか。最終回の措置に対し、救いに近いものを見つけ、ポジティヴに心を動かされるのだとすれば、それは平和少年とマドギワーの関係に端を発している。他人の目にはどうであれ、彼らが彼ら自身の立場と関係に幸福を導き出した点に、所謂バッド・エンドとの相違が立ち現れているのである。幼いにもかかわらず、際どいことに躊躇しない平和少年の姿には、子供こそが純粋だという思いなしと子供を無垢とするのは誤りだという思いなしとが同居している。しかし、注意を払うべきなのは、平和少年の行動やその結果が必ずしも悪を意味してはいないことだろう。幾重にもひねくれた平和少年の性格は、今どきだと感じられるとはいえ、偽悪的であることは、所詮、偽悪的にすぎないのである。

 2巻(最終巻)における作者のあとがきなどに明らかなとおり、平和少年の正体には(普通ではないのかもしれない)含みが込められているのだけれど、後ろ盾を持たない(無くした)がゆえ、大人をはじめとした社会にはじかれ、居場所がない、という意味で『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』の子供たちと変わりがない。無力であるような小さな体を、欠落や不幸の反映だとすることもできる。平和少年にとって、マドギワーとは何だったのか。マドギワーは、平和少年を直接救ったわけではない。が、平和少年は、マドギワーによって救われている。実存と別のレベルに救いが置かれていること、それは金の稼ぎを物語としていたマンガの最終回にもたらされた憐憫にほかならない。