ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2015年10月16日
 ハイジと山男(3)<完> (BE LOVE KC)

 山岳あるいは登山マンガにおける主人公の死亡率は異常だと思わされることが多い。たとえ主人公が最後まで生存できたとしても、彼にとって重要な人物が命を落とすという展開を迎えていることが少なくはない。もちろん、そのような危険との隣り合わせを実際に持った趣味であり職業であり行事なのだろうから、ドラマの作りとしてはまったく正しいのかもしれないし、むしろ、それを描くために選ばれた題材なのではないかと判断したくなることだってあるのである。安藤なつみの『ハイジと山男』は、登山客をサポートするための山小屋で働くこととなったヒロインの成長を中心に描いており、試練と格闘するかのようなクライマーの姿を直接扱っていないぶん、ライトな印象をもたらしてくれる。そこに他の作品と一線を画したものを見つけられるのだったが、ヒロインの成長とはつまり、高山の厳しさと豊かさとを直に経験していくことにほかならない。山をなめるな、自然をなめるな、というのは登山マンガにとっての不文律である。それを軽々しくしては誠実さを欠くのだろう。しかし、この3巻で完結した『ハイジと山男』にかぎっては、いくらでも和やかになりそうな物語をとかくシリアスな方面へ引っ張るかのようなバイアスになってしまったと思う。
 
・その他安藤なつみに関する文章
 『ワルツのお時間』1巻について→こちら
 『ARISA』
  11巻・12巻について→こちら
  10巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
2015年10月05日
 HONK MACHINE

 ニッケ・アンダーソンのキャリアを振り返るとき、哀愁を帯びた黄昏のロックン・ロールは、THE HELLACOPTERSの中期の頃よりの規定の路線である。ソロ・プロジェクトに近い形でスタートし、現在はバンドとしてのラインナップが完成されたIMPERIAL STATE ELECTRICでも、それは徹底されてきたといえる。確かにENTORMBED在籍時や初期のTHE HELLACOPTERSのイメージが強い層にしたらエキサイティングしづらい方向性であるかもしれないし、正直な話、自分にもそのように受け止めてしまう部分があるにはある。が、しかし、フォームが完全に決まっていることのかっこよさを見せつけられたら文句の一つも出てこないんだからな、と説得されるような迷いのなさ、それが導いてくるようなシンプルでいて入魂の極まったサウンドにこそ、最大の魅力があるのは間違いがないのだった。

 ああ、そして、IMPERIAL STATE ELECTRICの魅力を過不足なく堪能できるのが、通算4枚目のフル・アルバムとなる『HONK MACHINE』であろう。これまで以上に楽曲のヴァリエーションを増やしながら、にもかかわらず焦点のしっかりと定まった内容は、ある種のピークを思わせる。いや、後期のTHE HELLACOPTERSまでをも含めた上でベストといって差し支えがないものだ。随所に古典と呼ぶに相応しいナンバーやアーティストの引用を絡めつつ、心地好いテンポのロックン・ロールを次々に繰り出していき、LPのアナログ・レコード(ヴァイナル盤)になぞらえた構成が、スタンダードやオーソドックスという修辞を正しくたぐり寄せているのは、いつも通りに貫かれたマナーである。

 自分たちでこうと決めたフォームを崩すことなく、一見すると手癖のような気負いのなさだけれど、しかし、職人芸と呼ぶのに相応しいキャッチーな響きのリフとコーラスとが、2〜3分台の楽曲の数々には満載されている。バックの演奏は、ハードにドライヴすると同時にしなやかでいて、パセティックなメロディが、まるでさっき覚えたばかりであるかのようなフィーリングの瑞々しさに繋げられているのである。ギターのトビアス・エッジやTHE DUTSUNSの中心人物でもあるベースのドルフ・デ・ボーストが、楽曲によってはメインでヴォーカルを張るなど、ニッケのみならず、他のメンバーの活躍も著しい。ヴォーカルの声質が異なろうと、まったく違和感はない。すべてがIMPERIAL STATE ELECTRICというブランドに一致してしまうのは、フォームが完全に決まっていることのかっこよさの証明だろう。

 6曲目の「WALK ON BY」は、異色のナンバーであるかもしれない。ニッケがSONIC'S RENDEZVOUS BANDのスコット・モーガンと組んでいたTHE SOLUTIONを彷彿とさせる。女性のヴォーカルが入ってくるリズム・アンド・ブルーズ、ソウル・ミュージックのアプローチである。それがごく当たり前に馴染んでいる。フォームが完全に決まっているということを不自由だとはしない。フォームそのものの柔軟さが、幅の広い参照と引用とを実現しているのだ。IMPERIAL STATE ELECTRICならではのメロウな疾走を醍醐味とした7曲目の「ANOTHER ARMAGEDON」は、もちろん、素晴らしい。「ANOTHER ARMAGEDON」をはじめ、出だしの部分で掴みの強いナンバーが以前にも増して充実していて、先に述べた通り、バンドの歩みにとってある種のピークを思わせる。会心の一作となっている。

 『POP WAR』について→こちら

バンドのオフィシャル・サイト→こちら

・THE HELLACOPTERSに関する文章
 『HEAD OFF』について→こちら
 『AIR RAID SERENADES』について→こちら
 『ROCK & ROLL IS DEAD』について→こちら
 『STRIKES LIKE LIGHTNING』について→こちら 
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2015年10月02日
 またあした 2 (りぼんマスコットコミックス)

 前作の『流れ星レンズ』に比べ、いくらかハジけた少女や少年を登場人物にしているけれど、それでも純粋な気持ちは他の誰かに必ずや影響を与えるのだ、他の誰かから純粋な気持ちを与えられることで自分が変わることもあるのだ、という点が強調的になっているあたり、ああ、村田真優だと思わされる。『またあした』である。

 明るく楽しい性格で、女友達には恵まれているが、男子との付き合いはとんと苦手なヒロイン、椛永遠(もみじとわ)であった。が、高校へ進学し、周囲に不良として見られている男子、豹藤望や、周囲に優等生として一目置かれている男子、孔雀優と知り合い、関わり、興味を持っていくうち、自分でも気づかぬまま、恋愛というものに接近していくこととなる。以上が1巻からの大まかなあらすじであって、基本的にはウブなヒロインと二人の王子様による三角関係を土台にした(定型に添った)作品だといえる。

 不良のようだが、実は心優しい豹藤と、優等生を装ってはいるが、実は性根の悪い孔雀のコントラストは、三角関係をベースにしたラヴ・ロマンスに、はっきりとした輪郭を与えている。フックであろう。異性の立場においては、永遠だけが彼らの素顔を知っていること、それが導入の部分となっていて、自分の素顔を見せられる異性は他にはいないことの大切さをめぐり、ストーリーは展開するのである。もちろん、一人の少女がそれまで無縁であった恋愛の感情を知り、戸惑い、悩むこと、ここに思春期のときめきと成長のテーマを見て取ることができる。

 友達から恋人に。友情から恋愛に。永遠が踏むステップは、それが異性からの押しの強いアプローチによるものであれ、意外と早い。そして、知り、戸惑い、悩むのは、好きになった相手の気持ちが果たして自分の気持ちと同様なのか否かを疑問符なしでは考えられないことのもどかしさについてだ。そう、であるがゆえに〈恋って面倒なんだな 相手が何考えてるか分かんなくて 怖くて 振りまわされるのは 好きになった方 人の気も 知らないで〉と思うのだし、相手の気持ちを確かめずにはいられなくなるのであった。

 ストーリーの表面で判断するのであれば、この2巻で、永遠の気持ちがはっきり豹藤に向かっていることが示されているため、三角関係そのものは非常にアンバランスなものとなっている。孔雀と豹藤のあいだで揺れ動く永遠という構図は採用されていない(ように一見すると思える)のである。しかし、注意されたいのは、永遠の意識のなかでは〈優ちゃん(孔雀)には 言わなくても分かるのに でものんちゃん(豹藤)には 言わなきゃ分かんない〉とされるような区分が生じている点であろう。

 先に述べた通り、相手の気持ちを確かめずにはいられないことが永遠にとっての恋愛のトリガーとなっている。それは永遠と豹藤の結びつきを問うものである。他方、俯瞰するのであれば、自分のことを本当に理解しているのはどちらの異性かという問いが、孔雀の介入には託されている。いずれにせよ、ヒロインの前には、たとえ当人が気づいていなかろうと、二つの選択肢、二つの可能性が置かれていることに変わりはないのだ。

 驚くべきことに、永遠をあいだにしながらも、豹藤と孔雀の直接の衝突は、ここまでほとんど描かれていない。それは一人の少女に、いかなる選択肢をもたらされているか、いかなる可能性が開かれているか、を軸にし、作品が編まれている(編まれていた)からなのだと思われる。だが、2巻のラストは明らかな波乱を予感させる。豹藤と孔雀の直接の衝突はあるのか。予感は同時に、どのような選択肢も可能性も、いつしか一つに絞られなければならないことを、うかがわせている。
 
・その他村田真優に関する文章
 『イン ザ チョコレート』について→こちら
 『妄想シンデレラ』について→こちら
 『ドクロ×ハート』について→こちら
2015年10月01日
 EVERYTHING EVER WRITTEN

 8年ぶりとなる久々の来日公演は素晴らしいものであった。IDLEWILDである。個人的には、初期のグランジというかエモというかパンクというか、のササクレ立った楽曲に心躍るのだけれど、同じく初期の頃から特徴的だったナイーヴなメロディとリリカルなフレーズとを全面化した現在のスタイルを決して否定しはしない。そこには若き日の熱情を残しながらも、成熟と呼ぶに相応しい境地へと達することの価値が、はっきり現れているように思うのだ。

 一際目立った派手さはない。あっと驚くような展開もない。しかし、このバンドならではの叙情性が、ギターのリフやヴォーカルのラインとともにそこかしこに散りばめられ、「もののあはれ」にも似た感動を作り上げていることは、今年リリースされた通算7枚目のフル・アルバム『EVERYTHING EVER WRITTEN』からも確認できる。エレクトリックなパートは、正しくロック・バンドのダイナミズムを感じさせる一方、ケルト・ミュージック風というか、フォーキーでありつつ、ストリングスをも含めたパートは、スコットランド出身である彼らのルーツを掘り下げるかのような深さと広がりを持っていく。

 スコティッシュ・ロックと、一言でいうならば、その通りのサウンドであろう。ポップではあるものの、スコティッシュ・ポップではない。ディストーションによってくるギターの鋭さが、そして、それが実に印象的なリフを刻んでいることが、見事なトレード・マークになっていることは、1曲目の「COLLECT YOURSELF」において明らかだ。ロディ・ウォンブルのヴォーカルが直情的に訴えかけたり、アップ・テンポに畳みかけるタイプのナンバーは、20年に渡るキャリアを経るなかで少数派になりはじめているが、IDLEWILDの本質にとって激しいエネルギーとうねりは不可欠だと証明しているのである。

 はたまた、今回のライヴのクライマックスでも披露された12曲目の「UTOPIA」の美しさは特筆すべきものだろう。日本盤のボーナス・トラックを除く、ラスト・ナンバーである。ピアノの調べを主体にし、センティメンタルでいて穏やかな風景が、まざまざと描かれる。あらゆる困難にまつわる物語が、〈SUFFER AND GO. SUFFERING THE PEOPLE FOR A UTOPIA〉というフレーズの息づかいに集約されている。時と場所を違えようと漏れることのない切実さがある。

 RODDY WOOMBLE『MY SECRET IS MY SILENCE』について→こちら
 『WARNINGS / PROMISES』について→こちら

 オフィシャル・サイト→こちら
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