ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2015年07月27日
 うしろの光子ちゃん 2 (りぼんマスコットコミックス)

 いしかわえみの『うしろの光子ちゃん』は、同じくいしかわの『絶叫教室』の裏面にあたるようなマンガなのだと思う。裏面とはつまり、『絶叫教室』が暗くて怖いホラーであったとしたら、『うしろの光子ちゃん』は明るくて優しいホラーになっているということであって、こうも換言できる。人間の気持ちの重みが他の人間に対するネガティヴな働きかけになることを描いていたのが『絶叫教室』であるなら、人間の気持ちの重みが他の人間に対するポジティヴな働きかけになることを描いたのが『うしろの光子ちゃん』なのである。

 14歳のヒロイン、朝花光子は、幼馴染みである少年、晴生にずっと片想いをしているのだけれど、シャイな性格が災いして、気持ちを伝えられずにいる。よくある思春期の一コマにすぎないはずだった。しかし、不慮の事故に遭い、まさか光子は亡くなってしまうのだ。晴生に対する未練から、この世に残りたいと願う光子は、魂の消滅を回避するために怨霊としての仕事を引き受け、教官と名乗る男に鍛えられることになるのだったが、やはり、そのシャイな性格が災いし、うまく標的を怖がらせられない。ばかりか、標的を助けたり、応援したり、まるで怨霊が果たすべき役割とは正反対の結果を招いていくのであった。

 本末転倒であるような展開はコメディである。けれど、光子や光子が出会う標的=少年や少女たちの他の人間を思い遣り、関わり合う姿勢をデリケートにすくいあげることで、一つ一つエモーショナルなエピソードが作られている。ヒロインの片想いを中心に描いているのもあり、『自殺ヘルパー』以来のいしかわの作品では、正統的な少女マンガに最も近い内容といえるかもしれない。後ろ向きにしか物事を考えられなかった光子だが、様々な試練を経て(既に死んではいるものの)一回性の命を前向きに生きられるようになるという変化が、成長と呼ぶのに相応しいストーリーの糸となっているのだ。

 大丈夫、がんばろう、と自分や他の人間までをも励ましてしまう純粋無垢な怨霊の物語は、この2巻で完結している。ヒット作の『絶叫教室』を復活させることになったいしかわだが、気持ちの重み、それが他の人間へいかなる働きかけをするのか、というテーマのレベルで見るなら、両者に大きな差異はないように思う。ただし、見せ方、作品の持っている雰囲気はまったく違う。センセーションとインパクトでは『絶叫教室』に分があるけれど、絶望や恐怖を払いのける『うしろの光子ちゃん』の明るさ、心強さも実に捨てがたい。

・その他いしかわえみに関する文章
 『ライアー 〜嘘の箱庭〜』について→こちら
 『絶叫学級』について
  6巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『自殺ヘルパー』(原作・吉成郁子)について→こちら
2015年07月24日
 クロコーチ (10) ((ニチブンコミックス))

 実際に長崎尚志がリチャード・ウーなのかどうかは知らないが、リチャード・ウーが長崎尚志なのだとしたら、これまで長崎が関わってきたマンガのなかで、もしかするとこの『クロコーチ』が一番かもしれないと思うことがある。エンターテイメントとしてのキレの良さ、整合性の高さでいえば、間違いなく、そうだろう。

 第二次世界大戦から現代へと至る歴史の裏側を巨大な陰謀論で編み直し、小市民的な登場人物たち(と読み手)が意味ありげな事象=マクガフィンに見入ってしまったせいで右往左往させられるというアウトラインは、長崎が関わってきたマンガによくあるものであって、『クロコーチ』では、そもそもの発端は三億円事件だったが、三億円事件と警察の対決に連合赤軍やオウム真理教を含むカルト教団など、戦後の日本におけるテロリズムのイメージを結び付けることで、巨大な陰謀論が作り出されている。

 繰り返しになるけれど、そもそもの発端は三億円事件であった。しかし、その背景には権力のダークサイドを象徴するような何者かの介入が存在しているのでは、式の発想を通じて、数々の警察が勝利したとは判断しがたい犯罪と事件とが、まるで一繋がりの連鎖反応として描かれているのである。

 主人公である黒河内とバディの清家は、確実に権力のダークサイドを象徴するような何者かに近付きつつある。だが、近付いているにもかかわらず、何者かの正体と目論みをはっきりと掴めないでいる。何者かの正体と目論みをはっきりと掴めないでいるのは作中の人物のみならず、大半の読み手にとっても同様であろう。なんてことだ、あいつが黒幕だったのか、いや、真の黒幕は別にいるみたいだぞ、の繰り返しもやり過ぎれば飽きる。しかし、単に謎とスケールとをアップし、物語を広げるのではなく、警察という組織の内部を題材としたコン・ゲームもしくはデス・ゲームへと作品の焦点を絞ることで(果たして誰が生き残るのかの部分に注意を向けさせることで)十分な魅力のサスペンスをキープし続けているのだ。

 10巻に入って、少し話の流れが変わってきたかな、と感じられるのは、過去の犯罪を追跡するという従来の路線に加え、これから起こりうる事件を未然に防がなければならないといった方向性が明確になっている点である。これから起こりうる事件とは、原発テロを指している。おそらく、それは現実の社会の(今の時代ならではの)危機を参照しているのだろう。

 ばんばん人は死ぬし、残酷な描写もあるにはある。陰惨な場面と展開も少なくはないのだったが、コウノコウジの絵柄には良い意味での軽薄さがある。作中の人物の胡散臭さを際立たせている一方、殺伐とした物語の空気を決して堅苦しくはないものにもしている。

 3巻について→こちら

・その他コウノコウジに関する文章
 『ゲバルト』1巻について→こちら
 『肉の唄』
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『アウト・ロー』(原作・木内一雅)13巻・14巻について→こちら
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2015年07月20日
 Vaenir

 スウェーデンはイエテボリ出身のドゥーム・トリオ、MONOLORDの『Vaenir(正式な表記はVænir)』が出たぞ。どうやら5曲入りの前作『EMPRESS RISING』(2014年)がファースト・アルバムで、この6曲入りの『Vaenir』がセカンド・アルバムの扱いとなるようだ。確かに1曲1曲が長く、フル・サイズのアルバムとしてカウントするのに十分なヴォリュームだといえる。

 率直にいって、サイケデリックな要素とドローン(持続低音)の要素とが強まった『Vaenir』は、『EMPRESS RISING』に比べ、いくらか間口の狭くなった印象を受ける。しかし、この手のサウンドにとって、それは必ずしもマイナスではないだろう。マニアックであるようなところが、美点と判断されることもあるのだったが、この意味において、『Vaenir』は『EMPRESS RISING』からの進化(深化)に成功しているのである。

 もちろん、ヘヴィなリフが魅力的であることは何ら変わってはない。展開はスローでありながらも、決して平坦ではない。ダイナミズムが満載されており、場合によっては、ドラムの激しさにドカドカと身をはたかれる。2曲目の「WE WILL BURN」の中盤、あくまでも反復を基調としつつ、それまで酩酊していた雰囲気の楽曲が、ギターの鋭くチェンジされたトーンを呼び水に、勢いを何段階にも増していくという転調が、すげえ好き、である。

 ヴィンテージの芳醇な音色を楽しむより、とにかく圧をあげることを指向したプロダクションは、『EMPRESS RISING』と同様であって、ヴォーカルのくぐもり、引っ込んで聴こえることが、不吉な呪詛を導いているようにも思われる。5曲目の「THE COSMIC SILENCE」は、タイトルが示唆するとおり、静寂の一段落をイメージさせる。小品ではあるが、それが16分にも及ぶ6曲目の「Vaenir」の前に置かれていることの意味は大きい。

 ああ、アルバムのタイトルともなっているラスト・ナンバー、「Vaenir」は、まるで葬送のワン・シーンである。これまで以上にスローな展開のなか、ダウナーに切り返されるギターからは、哀切さえ、こぼれ落ちる。終盤を延々と支配しているのは、サイケデリックな要素のすっかりと飛ばされたモノクロームの景色だ。

 『EMPRESS RISING』について→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2015年07月17日
 L DK(18) (講談社コミックス別冊フレンド)

 渡辺あゆの『L・DK』には、確かにこれまでにもメインのカップル以外の登場人物に照明をあてたエピソードがなかったわけではない。が、ここ数巻、とりわけこの18巻における久我山玲苑の描かれ方は、それらと少々異なっていると感じられる。

 玲苑は、ヒロインである葵の恋人、柊聖をアメリカへ連れて帰るためにやってきた従兄弟であって、目的の妨げになる葵を当初は毛嫌いしていた。しかし、葵と再三ぶつかり合ううち、玲苑の気持ちに変化が生じはじめる。それが恋愛感情であることを玲苑は認めたくはないのだけれど、否応なく惹かれていき、次第に葵と柊聖のあいだに割って入るようになるのだった。要するに、少女マンガのロマンスに不可欠な噛ませ犬(当て馬)のポジションを与えられている。

 ただし、『L・DK』に関しては、既に別の登場人物を噛ませ犬にし、三角関係のエピソードを展開していたという過去があるし、三角関係のエピソードそれ自体、シチュエーションを変えつつ、繰り返されてはいた。必ずしも新しいパターンを持ってきているのではない。だが、以前のパターンが、あくまでもヒロインである葵の心の揺らぎを中心にしたものであったとしたら、今回、本来はリリーフであるはずの玲苑の心の揺らぎに寄り添うようにし、エピソードを描いているところがある。

 換言すれば、メインであるカップルの存在を一旦ワキにずらしておいて、かわりに噛ませ犬のような立場から同居型のロマンス、ラブコメという『L・DK』のコンセプトを再編しているのである。

 少なくとも今巻に限って見れば、主人公は玲苑だとさえいえる。多くの読み手が、玲苑が出てきた段階で、現在の展開は読めていた、のではないだろうか。筋書きには驚きがないのだけれど、従兄弟の恋人に惹かれることのジレンマ、しかし、その従兄弟の恋人の目には恋愛の対象として入っていないことのジレンマ、それらをデリケートに掘り下げるような手つきが、18巻の長さの作品を再びフレッシュにしているのだ。

 まあ、玲苑が何をどうしようと、葵と柊聖の繋がりは盤石でしょうね、と思わざるをえない。この意味で本編を左右するほどの緊張は作られていないのだが、玲苑の独り相撲であるような状況には、片想いを承知しているにもかかわらず、誰かを好きになってしまった際の(当人には完全に制御しきれない。それでいて普遍的でもある)衝動が、実によく反映されている。

 13巻について→こちら
 10巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら 

・その他渡辺あゆに関する文章
 『オトメゴコロ』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『キミがスキ』
  2巻について→こちら
2015年07月14日
 FRIEND OR FOE (KCx)

 常々、葉月京は過小評価されているマンガ家の一人ではないかと思っている(作者や熱心なファンからは、ちゃんと評価されてるわい、と怒られちゃいそうだけれど、もっと評価されてもいいという意味である。たとえば『純愛ジャンキー』には、マンガ家マンガがブームであるような今日にあってさえ、人気マンガ家のアシスタントや編集者に対するハラスメントを描いている作品がほとんど見あたらないなか、それを題材にしてしまう着眼点の鋭さや、そのスキャンダリズムに終始しかねない題材を非常にエモーショナルなストーリーへと展開させてしまう手腕の確かさを見ることができる)が、この『FRIEND OR FOE』に関しても、さすが、といえるだけのオムニバスとなっている。

 あとがきの欄にあるとおり、葉月にとっては珍しい女性向けの内容であって、そのためであろう。得手であるスケベなカットは完全に控えられている。他方、サスペンスを通じ、登場人物の意外な一面にドラマの盛り上がりを仮託させるといった持ち味は健在である。また、露骨なセックスのアピールを後退させたかわり、三角関係、友情、家族などのテーマに掴まえやすさが出てきているのが特徴だ。

 サスペンスという意味で、最もぞくっと感じたのは、五篇あるうちの最後に収められたエピソードである。結婚を間近にして幸せの最中にいるヒロインの前に、自分に暴力を振るい、別れたあともストーカーのように付きまとっていた昔の恋人が、ヒロインの親友と付き合いはじめたことをきっかけとし、再び現れる。その男の目的は、ヒロインの結婚を滅茶苦茶にすること、そして、よりを戻すことであった。ヒロインの親友は利用されているのだ。男の正体を知っているヒロインは、親友に対し、男と別れることを説得しようとするが、それは厚かったはずの二人の友情に破綻をもたらしてしまう。ヒロインは親友と自分の幸せを守ることができるのか。と、こうした筋書きが、ショッキングで予想外の、それでいながら非常にエモーショナルな結末へと辿り着く。

 結末がエモーショナルなのは、決定的な不幸せを免れているためだといえる。しかし、必ずしもハッピー・エンドとはいいきれない。毒がある。恋愛と友情の綱引きが、サスペンスを経、思いもよらぬクライマックスを迎えるという点で、一番目と最後のエピソードは共通しているし、思いもよらぬクライマックスが、毒のように染み渡る余韻に繋がっているという点で、二番目と最後のエピソードは共通している。そこに『FRIEND OR FOE』つまりは「友か敵か」なるタイトルを深読みさせるほどの幅が生まれている。パブリックな基準で「友か敵か」を判断するのではなく、もっとずっとプライヴェートな部分で「友か敵か」が判断される。倫理のレベルでは誤っているかもしれない。だが、こうするよりほかない。背徳と絆の美しさとが描かれている。

・その他葉月京に関する文章
 『CROSS and CRIME』1巻について→こちら
 『Wネーム』5巻について→こちら
2015年07月12日
 [R-16]R(3) (ヤンマガKCスペシャル)

 しばしば、運命という重荷を背負わされているぞ、と感じることがある。運命と呼ばれるものが先天的に備わっているのか。後付けの解釈にすぎないのかは不明である。が、不幸な道筋を歩まなければならないことの理由を運命に求めてしまうときがある。しかし、所与の条件であれ、何であれ、結局のところ、自分の運命は自分にしか変えられない。自由とは、もしかしたら自分の運命をいかに転換させるかという態度の在り方を指しているのだと思う。

 佐木飛朗斗(原作)と東直輝(漫画)の『[R-16]R』は、不良少年を題材とし、運命に翻弄される人々の姿を描く。この3巻では、主人公である鳴海純真にとって、ファム・ファタールであるような少女、里帆の登場が大きなトピックとなっているのだったが、里帆もまた、自分の運命を呪わずにはいられないことの不幸を繋ぎ目とした群像の一部にほかならない。名門である女子校の制服を着、援助交際と水商売とで金を稼いでいる里帆は、シャンパンに酔いしれながら、〈‥パーティは‥終わらないんだネ‥〉という呟きに悲しみをしまい込む。この言葉は、おそらく、一話目のタイトルでもあった「祝宴と宿縁の子供達」に応答しているのだろう。

 もしも、運命と呼ばれるものが先天的に備わっているのだとすれば、それは親をはじめとした上の世代から下の世代(大人から子供)へと不可避に近い形で譲り渡されたといえるのかもしれない。純真の年上の幼馴染みという以外、ほとんどプロフィールの明かされていない里帆だけれど、彼女がミサトと名乗り、裏通りで働いているのは、母親が病気で死んでいる(弟も事故で死んでいる)ことと無関係ではないと容易に推測できる。純真との再会が里帆に何をもたらすのか。現段階ではわからない。だが、純真を前にして頬を伝っていってしまう涙は、その運命を決して自分から選び取ったわけではないのだと教えているのである。

 純真の親友である門倉稜一郎が出会った少女、稜一郎と同じ色の髪と瞳を持つカチェリーナ・ラズモフスカヤは、やはり、稜一郎の腹違いの妹であった。それは父親である門倉真希央によって、用意された運命の一つに数えられる。稜一郎が真希央を憎み続けていることは、すなわち、稜一郎が自分の運命を憎み続けていることを意味している。その憎しみは、どうしたら解消されるのか。街中の不良少年が憧れる伝説の単車(マシン)日章カラーのカワサキ750RS“ZII”を手に入れ、自分が無敵であることを証明するしかない。だが、果たして純真の父親である今は亡き鳴海純弥こそが“ZII”の所有者だったのだ。“ZII”を中心にした運命は、真希央と純弥の世代から稜一郎と純真の世代へと不可避に近い形で譲り渡されていく。

 これは佐木飛朗斗の作品の多くにいえる点でもあるのだが、とりわけ『[R-16]R』に出てくる人物はみな、運命の不自由さに極めて自覚的である。であるがゆえに、それを変えるために奔走せざるをえない。不良少年や少女にかぎらず、大人となった前作のキャストたちでさえ、例外ではないことが、巨大な権力を欲望する真希央や恩田寿の復讐を誓う美加の姿には投影されている。

 1巻について→こちら

 『[R-16]』(漫画・桑原真也)12巻について→こちら

・その他佐木飛朗斗・東直輝に関する文章
 『爆音伝説カブラギ』
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『妖変ニーベルングの指環』1巻について→こちら
 『外天の夏』
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら

・その他佐木飛朗斗に関する文章
 『疾風伝説 特攻の拓 外伝 〜Early Day's〜』(漫画・所十三)
  1巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『爆麗音』(漫画・山田秋太郎)
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら  
  1巻・2巻について→こちら
 『パッサカリア[Op.7]』について→こちら
2015年07月07日
 花のち晴れ 〜花男 Next Season〜 1 (ジャンプコミックス)

 現在、シーンの一角を占めるようになった往年のヒット作の続編には、いくつものパターンがある。主人公のその後を描くものであったり、主人公の次の世代や次の次の世代を描くものであったり、舞台は同じであっても前作とはまったく別の設定を用意したものであったり。もちろん、それ以外にも様々だ。神尾葉子が『花のち晴れ 〜花男 Next Season〜』で選んだのは、『花より男子』の登場人物たちの直の後輩を描くことであった。

 F4と呼ばれるカリスマ4人組が卒業して2年が経った英徳学園が舞台である。金持ちの子供が通う名門校として知られた英徳学園だが、ライヴァル校の台頭により、生徒数は減少、威光は徐々に弱まりつつあった。が、しかし、道明寺司に憧れる男子生徒、神楽木晴をリーダーにしたコレクト5が、品格に見合わない生徒を「庶民狩り」と称し、追放、生徒のレベルの低下を阻止することで、学園のプライドは保たれていた。ヒロインの江戸川音は、父親の経営していた会社が事実上倒産、貧乏になったことを隠しながら英徳学園に通っている。本来、晴は音を退学に持っていく立場にある。それがひょんなことから音に弱みを握られてしまったため、足下をすくわれる羽目に陥ってしまうのだった。

 正直、1巻の段階では『花より男子』の続編である必然はあまり感じられない。ブランドに頼ったのでなければ、金持ちと貧乏人の対照を題材にしている点が被るので、続編としたのかもしれない。もちろん、続編を描くことが前提であるがゆえに金持ちと貧乏人の対照というアイディアを引っ張ってきた可能性もあるし、前作のファンに向けたサービスも随所に見られる。ただし、作品の結構や雰囲気は必ずしも『花より男子』のそれをトレースしてはいないのである。

 注目されたいのは、ヒロインにあたる音より、男子生徒である晴の視点に多くのページが割かれていることだ。これは発表の媒体が少女マンガ誌ではないということもあるのだろう。確かに『花より男子』においても男子生徒=道明寺司の視点は大きな柱ではあったけれど、『花のち晴れ』では、晴の視点に読み手の視点が同化することで、音の存在に一種のミステリが生じている。それはちょうど『花より男子』の花沢類が、牧野つくしや読み手の視点からは一種のミステリとなっていたように、である。

 なぜ音は、自分の境遇を隠してまで英徳学園に通わなければならないのか。おそらく、それは今後に物語が晴と音のラヴ・ロマンスへと飛躍するための鍵を握っている。いずれにせよ、今の時点では、残念なイケメンさんであるような晴のユーモラスな空回りに支えられているところが多い。

 『花より男子』37巻について→こちら

・その他神尾葉子に関する文章
 『まつりスペシャル』
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『キャットストリート』
  8巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1、2巻について→こちら
2015年07月06日
 ルマニフェラス

 2012年の前作『DE VERMIS MYSTERIIS』が最高だったHIGH ON FIREである。が、しかし、なんだよ。通算7作目のフル・アルバムとなるこの『LUMINIFEROUS』も最高かよ。

 プロデュースは『DE VERMIS MYSTERIIS』と同様にCONVERGEのカート・バルー(バロウ)が担当している。カートのプロデュースは、アーティストが誰であろうとカート・バルーがプロデュースしたサウンドになってしまうきらいがあり、CONVERGEと同系のバンドの場合、CONVERGEごっこでもやってろよ、と思ってしまうことが多い。それはもちろん、カートのプロデュースに絶対の個性があることを示している反面、必ずしもアーティストの魅力を引き出しているとは言い難いのではないか。あるいは、アーティストのポテンシャルがプロデュースの側の個性に負けているのではないか。しかるに、HIGH ON FIREに限って、そんな杞憂は一切なしだ。

 カートのプロデュースにおける荒削りでありながらも分厚い音のうねりと、HIGH ON FIREの二の腕が太そうで豪快な演奏とが、ヘヴィ・ロックのドグマ(教義)とでもすべき作品を作り出すことに成功しており、そのカタルシスときたら、もしかしたら『DE VERMIS MYSTERIIS』を凌ぐほどであろう。

 リフ、リフ、リフ。攻撃的に繰り出されるギターのフレーズ、それを押し返すかのようなベースの濃いグルーヴ、そして、ドラムはパワフルなアタックをどこまでもゆるめずに繰り返していく。ファストなナンバーであろうが、スロウなナンバーであろうが、まったくの隙がない。すべての瞬間が怒濤のサウンドに飲み込まれてしまう。圧巻である。とはいえ、単に勢いで暴れまくっているわけではない。それは、加速を保ちながらも複数のテンポのギアを組み合わせることで、ヘヴィ・メタルともハードコアとも似て非なるダイナミズム(だが、ヘヴィ・メタルのジャンルでもハードコアのジャンルでも一線級に挙げられるもの)へと到達してみせた1曲目の「THE BLACK PLOT」に明らかだと思う。

 全編にクライマックスを満たしたアルバムである。ヤワなところはまったくないのに、それぞれの楽曲がキャッチーにさえ聴こえるという不思議なアルバムでもある。

 バラードともブルーズともとれる7曲目の「THE CAVE」は、バンドにとっての新境地になるかもしれない。ナイーヴな表情を覗かせるイントロに、あのHIGH ON FIREが、と驚かされるものがある。しかし、やがて嵐のごとく吹き荒れる演奏とマイク・パットの咆哮とが、のっぴきならない焦燥と混乱を招き入れる。すさまじいノイズが鳴り止んだあとに、ぽっかりと浮かんで残った叙情性は、是が非でも泣くことを許されない壮絶な生き様をイメージさせる。

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2015年07月01日
 JUMPing CAR 【通常盤】 JUMPing CAR 【初回限定盤1】(DVD付) JUMPing CAR 【初回限定盤2】(DVD付)

 うおお、ついにHey! Say! JUMPのマスターピースが誕生したぞ、と思わされる。グループにとっては4枚目のフル・アルバムとなる『JUMPing CAR』である。「ウィークエンダー」をはじめとする先行のシングルやせんせーションズ名義の「殺せんせーションズ」で一気に突き抜けた感じがあったが、その勢いと魅力とを削がず、アルバムのサイズへまで拡大することに成功したら、そりゃあ良いものになるのは当たり前だよね、であろう。しかし、これほどにはじけてくるとは。期待以上だったし、想像以上だった。明るく、楽しく、爽やか、の三拍子が揃った内容は、ここ最近のジャニーズのなかでも随一だといえる。

 イントロダクションにあたる「Fantasist」を受けた2曲目の「JUMPing CAR」のタイトル通りに跳ねるのが似合うアッパーな印象は、さながら『JUMPing CAR』全体の方向性を予告している。と同時に、マイク・リレーのラップとユニゾンのコーラスとが、9MCのグループにおいては最大の武器になることをも示唆しているのだ。

 ディスコティックといおうか、ダンサブルなタイプの楽曲の非常に目立ったアルバムである。その賑やかさと9人というヴァリエーションの豊かなヴォーカルとが見事なレベルでマッチングしていることを、「JUMPing CAR」や4曲目の「SHen SHera SHen」は教えてくれる。5曲目の「ウィークエンダー」は、シングルとしてリリースされた段階から既にHey! Say! JUMPの新しいアンセムに位置づけられるものであった。山田涼介くんのヴォーカルには、センターに相応しい甘さがある。他方、コーラスの裏に入ってくる(終盤で畳みかけてくる)有岡大貴くんのラップが、すげえ特徴的だな、と思う。

 マイク・リレーのラップとユニゾンのコーラスであっても9曲目の「Boys Don't Stop」では、それがHey! Say! JUMPの強気な一面を引き出している。他のグループとリンクするようなジャニーズ・ポップスならではのメロディを持った楽曲も多いけれど、海外のダンス・ミュージックのシーンや国内の女性アイドルのシーンまでを広く参照した現代的なビートの楽曲も多い。メロディはほとんど昔風の歌謡曲か、はたまた演歌なのに、コーラスとバックのトラックで無理矢理、今の時代に合わせてしまう10曲目の「Dangerous」は異色のナンバーであろう。

 7曲目の「愛よ、僕を導いてゆけ」は、これ、とても好き、大好きだ。KinKi Kidsのパセティックなナンバーを彷彿とさせる。バラードではないのだが、切なさに胸を締め付けられるものがある。そう、〈100万回君に「アイシテル」を届けても・ついに君が僕に「YES」をくれなくても・また100万回君に「アイシテル」を届けにゆこう・愛よ、僕を導いてゆけ〉というフレーズは、まるで「愛されるより 愛したい」という一途な想いに対応しているかのようでもある。ここではメンバー全員のヴォーカルが、憂いに満ちた決意をメロディの強さに変えながら歌い繋いでいる。実にエモーショナルな1曲なのであった。

 最後になるが、初回限定盤1のみに収録された17曲目の「DISCO JOCKEY!!!」が、また素晴らしいのだよ。OKAMOTO'Sのハマ・オカモトがベースで参加したディスコでダンスでオールナイトでオーヴァーナイトなナンバーである。マイク・リレーのラップとユニゾンのコーラスとが、ハッピーなムードを煽っていく。『JUMPing CAR』のイメージを一言で表すなら、多幸感ということになるのかもしれないが(初回限定盤1のみだとはいえ)エンディングに至ってもなお、テンションのダウンを許さない。ナイスな時間には終わりがないのだという夢をとことん信じさせる。

 『JUMP NO.1』について→こちら
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