ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2015年04月22日
 Disquiet [12 inch Analog]

 希望はある。絶望もある。そして、常に絶望を意識し続けることでしか把握できない希望だってありさえするのだ。この世界と自分の運命とに対する呪詛を飛び跳ねるほどに小気味の良いテンポとポップなメロディへ逆転させるというTHERAPY?ならではの奥義を発揮した10曲目の「TORMENT SORROW MISERY STRIFE」は、希望と絶望が必ずしも二律背反の関係に対置されるわけではないことを告げているみたいである。ああ、「苦痛、悲嘆、不幸、闘争」とは、なんと救いのないタイトルか。しかし、その救いのなさがひたすらキャッチーに響き渡るんだから、ちょっとぎょっとするよな。これぞ正しくTHERAPY?の面目躍如であろう。

 一般的な代表作にあたる94年の『TROUBLEGUM』と95年の『INFERNAL LOVE』が相次いで二十周年を迎えたことは予兆であったのか。12枚目のフル・アルバム(『NURSE』以前のミニ・アルバムを含めれば14枚目)となる『DISQUIET』には、その頃の作風を彷彿とさせるものがある。つまり、シンプルなリフとコンパクトな展開、親しみやすいメロディを前面に出したスタイルを取り戻してきているのだ。もちろん、アンディ・ケアンズの可愛げのないヴォーカルはネガティヴなモチーフに十分な説得力を与えているし、一癖あるニール・クーパーのドラムが独特なパターンのリズムを楽曲にもたらしているのは相変わらずである。

 1曲目である「STILL HURTS」の出だしが、『TROUBLEGUM』の冒頭を飾った「KNIVES」を彷彿とさせる点を含め、ある種の回帰なのかもしれない。後退と見る向きもあるだろうか。だが、ここ数作のなかで最もはじけ、勢いに優れていることだけは間違いない。〈Help Me. I'm Stuck〉というあまりにもあんまりな呟きによって開かれた地獄をダイナミックに駆け抜けていく「STILL HURTS」や、疾走感をフルにした2曲目の「TIDES」は起爆剤だ。テンポをスローに落とした3曲目の「GOOD NEWS IS NO NEWS」からは、『INFERNAL LOVE』に収録されていた「MISERY」と(THERAPY?と同じアイルランドの出身である)U2の「ONE」をミックスしたかのようなメロディが聴こえてくる。

 8曲目の「VULGAR DISPLAY OF POWDER」は、タイトルがPANTERAの『VULGAR DISPLAY OF POWER』をイメージさせるけれど、事実、ヘヴィなリフに特徴のあるナンバーとなっている。スローでいてずっしりとしたグルーヴの11曲目の「DEATHSTIMATE」は、ともすればパセティックな響きのバラードでもあろう。アルバムを締めくくるのに相応しい。しかし、やはり必殺のナンバーを選ぶなら10曲目の「TORMENT SORROW MISERY STRIFE」である。〈Torment, Sorrow, Misery, Strife. Screaming All The Way To The Dying Of The Light〉そう、どこまでも暗い呪縛を歌っているはずなのに、不思議と生きることを諦めさせない励ましを与えてくれる。

 『CROOKED TIMBER』について→こちら
 『MUSIC THROUGH A CHEAP TRANSISTOR THE BBC SESSIONS』について→こちら
 『ONE CURE FITS ALL』について→こちら
 『NEVER APOLOGISE NEVER EXPLAIN』について→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2015年04月06日
 Still Full of Hell & Merzbow

 ヴァイオレンスだなあ、ヴァイオレンスだねえ、である。昨日(4月5日)は、米グラインドコア、パワー・ヴァイオレンスの新進気鋭たち、WEEKEND NACHOSとFULL OF HELLのライヴを揃って観るため、PUTV TOURの最終日へ向かったのであった。もちろん、他の出演者、国内ハードコア・シーンの手練れによるパフォーマンスも非常に会場を盛り上げてはいたが、しかし、目当てはやはり、これが初来日となるWEEKEND NACHOSとFULL OF HELLの両バンドであり、そして、実際に彼らのステージが長丁場のイベントにおける最大のピークだったといって差し支えがない。

 とにかくまあ、スタジオ音源の段階で魅了された超フル回転の演奏とエネルギーを見事なまでに再現していたのが、WEEKEND NACHOSである。ぐしゃぐしゃに軋んだ轟音が猛烈なドライヴと凶悪なグルーヴとを引き寄せていたところに、おお、と思わされていたバンドだけれど、直にライヴを目にし、確認できたのは、バックの演奏が極めてタイトに決まっているということであった。アルバムの、あの溢れるばかりの勢いからして、もう少し荒削りでルーズなパフォーマンスが繰り広げられるのではないか、と想像していたのだったが、それは良い意味で裏切られた。隙がないほどに集中力の高まったアンサンブルこそが、剛腕でねじ伏せてくると喩えるのに相応しい音圧を生んでいたのである。他方、物販のそばに立っていたときは下っ端のチンピラがヘラヘラしている風でしかなかったヴォーカルが、ひとたび楽曲がはじまった途端、鬼の形相で咆哮をあげる姿には、破れかぶれのエモーションがたっぷりと詰まっていて、ぎょっとさせられる場面が多々あった。アンダーグラウンドな佇まいも含め、大変痺れましたね、であろう。

 WEEKEND NACHOSとのカップリングを選んだので、MERZBOWとの共演はパスしてしまったFULL OF HELLだけれど、ああ、こういうライヴを身上とするのだったら、そちらも行けばよかったと思ったね。スタジオ音源で聴かれる以上にノイズの要素が前面に出たパフォーマンスとなっていたのだ。本質はグラインドコアなのだろうが、豪快さよりも生真面目というか神経質な側面が、ギターのノイズによって徹底されている。アルバムではスローな楽曲において顕著だったそれが、ライヴのヴァージョンではファストな楽曲からもまざまざと感じられてくるのである。昨年にリリースされ、海外のメディアやアーティストのあいだで高く評価されたMERZBOWとのスプリットやセカンド・アルバムにあたる『RUDIMENTS OF MUTILATION』の前、つまり2011年のファースト・アルバムである『ROOTS OF EARTH ARE CONSUMING MY HOME』の段階でFULL OF HELLのヴィジョンとスタイルとが既に完成されていたことは(不覚ながら)ライヴを体験するまで気づかなかった。裏を返すなら、生のパフォーマンスはスタジオ音源の何倍も説得力に富んでいたのだ。

 ギターのノイズは圧倒的であったが、悲痛な叫びをともなうヴォーカルや強固にリズムを叩きまくるドラムも、ちょっとただ者ではない。それらが結びつき、相乗しながら、FULL OF HELLならではの不穏なサウンドが具体化されていく。頭でっかちの前衛ごっこをして悦に入っているわけではない。そのことを観客のフィジカルな熱狂は、正しく証明していたように思う。結局のところ、WEEKEND NACHOSもFULL OF HELLも異なるインパクトを持ったバンドであった。しかし、とてもヴァイオレンスで抜群にエキサイティングであるという点に関しては負けず劣らず、紛れもなく一致していたといえる。
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