ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年08月29日
 熱風・虹丸組 (2) (ヤングキングコミックス)

 四騎守槐、熱いじゃねえか。もしも読者人気投票があったら絶対上位に入ってくるね。いや、少なくとも自分は一票を投じよう。ぬおお、その生き様が燃えるぜ、ってやつだ。以前にも述べた通り、この『熱風・翔丸組』で完全に独自の路線を進みはじめた桑原真也に求めるものとは、つまり、こういうバトルとロマンの徹底化にほかならない。確かにリアリティからは程遠い。そこにどれだけの今日性を見られるかはさておき、不良マンガというのは大体、70年代の段階で既に古くさくなってしまった男のロマンを目一杯に押し出したものであったろう。そのロマンは80年代、90年代と時代をくだるにつれて、さらに古び、薄まっていったわけだけれど、それをこの2010年代に、である。バトルの形式で桑原は隔世遺伝的に再起動させている。

 カリスマの残した伝説や遺産をめぐり、強敵にぶつかる。強敵と共同戦線を結び、さらなる強敵と渡り合う。団体戦なら当然、5人対5人の正面対決だ。表徴してくるのは男の意地である。これである。これ以外に言うべき必要が何もない。大ゴマと見開きのページによるダイナミズムが、細かいことは抜きだと主張している。登場人物たちのプロフィールにしたところで、たとえそれが不幸なものであったとしても、後ろ向きのテーマに縛られはしない。対人戦争(タイマンウォーズ)の第2戦、ノスフェラトゥの次鋒である「ブチ抜き獅海」と闘った狗神塔馬の言葉を借りるなら、〈たった一度の敗北も受け止められねェテメェは 小っちェただの子供(ガキ)だ / 死ぬ程 口惜しい屈辱と真ッ正面から闘うのが 男だろ〉であって、男の生き様、男のロマンとは、過去や挫折を踏み越えるなかで果たされる成熟と同義であることを雄弁にしていくのであった。

 ああ、そして、関東最大のチーム、ノスフェラトゥを仕切り、主人公である虹川潤率いる虹丸組とナラシナ市に抗争を挑んできた荒吐篤郎及び荒吐兄弟は、もしかすると不幸に囚われた者であるがゆえに強敵として立ちはだかる。この2巻で篤郎の弟、荒吐数麒が語る呪われし「荒吐家」の血、それが地獄に喩えられることでノスフェラトゥの凄みは増していく。しかし、自分の家族の血から決して自由ではないということであれば、四騎守槐も例外ではない。だが、槐においては今は亡き兄の影が彼を窮地で奮い立たせる。対人戦争の第3戦は槐と数麒とで、ある種の対照となっているのである。もちろん、塔馬と獅海の第2戦も、敗北をよく知る人間同士の勝負という意味での対照を為していたことを忘れてはならない。どっちが勝つか。勝ったか。ひいてはそれが虹川潤と荒吐篤郎の対照と影響とを明らかにするのだろう。

 作中では幾度となく「命懸け」と繰り返される。登場人物たちの脳裏をよぎる。何に対して、何のために命を懸けなければならないのか。まあ、命懸けなんてのはちょっとポップじゃねえですよ。でも、あの狂犬のごときヒールっぷりがウリであった四騎守槐の不屈であることを体現した姿には名状しがたいものがある。リアリティを度外視した『熱風・翔丸組』のバトルとロマンとが導き出した一つの解なのだと思う。ぬおお、その生き様が燃えるぜ、ってやつである。ところで2巻のラストのヒキ、このヒキのコマはさすがにオールドスクールすぎる。まさか構成がヘタクソだったり手抜きではあるまい。が、そこまでを含めて(あるいは扉絵のポエムなどを見る限り)桑原はヤンキー以前であるような不良マンガのバック・トゥ・ベーシックスを狙っているのだということにしておきたい。
 
 1巻について→こちら

・その他桑原真也に関する文章
 『疾風・虹丸組』第1巻について→こちら
 『姫剣』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『ラセンバナ 螺旋花』(設定協力・半村良『妖星伝』)
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『[R-16]』(原作・佐木飛朗斗)12巻について→こちら
2014年08月25日
 はじめましてのシルヴァンドル (ヤングジャンプコミックス)

『恋愛遊星』や『ほしのうえでめぐる』で魅力的なSFラブコメを描き出した倉橋ユウスだが、『はじめましてのシルヴァンドル』もやはり、それらと同様、オムニバスで編まれるライト・ポップなファンタジーとロマンスになっている。個人レベルの葛藤だったりが地球規模の危機を左右してしまう式の所謂セカイ系に通じるマナーを汲んだところもあるにはせよ、総体的な印象はむしろ、スペース・オペラを由来としているかのようなスケールの大きい物語=SFと日常の小さな風景をベースにしたミニマリズム=ラブコメの並列化、ミックスという80年代、90年代の良質なオリジナル・ヴィデオ・アニメ(OVA)によく見かけられたものと近い。

 宇宙を渡り歩く旅の商人、「シルヴァンドル」と呼ばれるその少女が地球に降り立った目的は何か。シルヴァンドルは悩みを抱えた人々に出会うと不可思議なグッズを無理矢理にでもセールスしようとするのであった。そこで繰り広げられる様々な騒動を、つまり『はじめましてのシルヴァンドル』はオムニバスのストーリーに編んでいくのである。正直なところ、作者のものとしては『ほしのうえでめぐる』の方を強く薦めるのだけれど、もちろん本作にも倉橋ユウスというマンガ家のエッセンスがたっぷり詰まっているし、『はじめましてのシルヴァンドル』で特筆すべき点を挙げるとすれば、それはヒロインにあたるシルヴァンドルの造形になるだろう。端的に、可愛らしい。イノセントに見られるがゆえにチャーミングでありうるエイリアンのイメージは、古くは『うる星やつら』から近年では『侵略!イカ娘』に至るまで、ある種の様式を思わせる。訴求力がある。絵柄を含め、そのような類型とは決して無縁ではないながらも、独自のアレンジを加えることで作品の方向性にきちんとピントの合ったデザインへと引き寄せているのだ。

 シルヴァンドルの可愛らしさは、実は「シルヴァンドル」とは果たして何者かという問いに直結している。既に述べた通り、旅の商人である。作中ではこういわれている。〈この星には宇宙人が来ているのだ 目的は侵略ではなく モノを売る仕事 役に立つ物ばかりだ〉と。しかし、設定のレベルではなく、テーマのレベルで作品をとらえようとするとき、そのイノセントに見られるがゆえにチャーミングでありうる造形は、「天使」あるいは「魔女」であるような存在の比喩となっていることがわかる。また、作中ではこうもいわれている。〈どこから来たのか誰も知らんが どの星でも目撃されている あとになって学者どもはアレが 神が… 文明に遣わせた最後のテストだとぬかしていた〉と。おそらく、「シルヴァンドル」のセールスに象徴されているのは、なんらかの危機を前にした人間が挑むべき選択であり代償であり試練にほかならない。さらに付言するなら、たとえば『笑ゥせぇるすまん』の邪悪さが喪黒福造のおどろおどろしい造形からやってきているように、『はじめましてのシルヴァンドル』におけるポジティヴなフィーリングは、シルヴァンドルの可愛らしさからやってきているのである。

 シルヴァンドルは当然のこと、彼女と関わっていく登場人物たちの表情や、そのやりとりにもユーモラスと言い換えられるような親しみやすさがある。ポジティヴでいてユーモラスなパート=ラブコメとシリアスでいてエモーショナルなドラマ=SFとが、倉橋ユウスの筆致においては見事に調和してしまう。このことの大変優れて魅力的であることを『はじめましてのシルヴァンドル』は改めて確認させてくれる。
2014年08月19日
 Avowed Slavery

 けだるいダウナーとブチぎれたアッパーが同居している。ラリってるんじゃないか、と思わされる。危うさがある。THE ICARUS LINEの真骨頂である。その全5曲の『AVOWED SLAVERY』は、タイトルやアートワークから察せられる通り、昨年(2013年)にリリースされた『SLAVE VOWS』の続編、及びアウト・トラック集だろう。しかし、これがアウト・トラック集だとしたら、やはり『SLAVE VOWS』は素晴らしく充実した一作であった。なぜなら、『AVOWED SLAVERY』の内容もまた、『SLAVE VOWS』に負けず劣らず。このバンドが只者ではないことを知らしめるほどに引きが強いものとなっているからだ。

 とにかくまあ、2曲目の「JUNKADELIC」というタイトルが秀逸である。ジャンカデリックってなんだよ。無論、ジャンク(JUNK)とサイケデリック(PSYCHEDELIC)を掛けたものであろう。FUNKADELICへのリスペクトがあるのかどうかは知らない。が、こうしたタイトルとイメージとがびしっと似合ってしまうのが、THE ICARUS LINEのスタイルなのだし、実際、そのサウンドの方も、ジャンクとサイケデリックをない交ぜに、ルーズでアシッドなロックン・ロールを完璧にこなしている。ジョー・カーダモンの不機嫌なヴォーカルとシャープに尖ったギターのリフとが、ぐちゃぐちゃにひずんだダイナミズムを経由しながら、ほとんど錯乱状態のノイズへ突入するのだけれど、そのピーキーを地でいくようなアプローチには、えらく痺れるものがある。

 1曲目の「LEECHES AND SEEDS」や4曲目の「SALEM SLIMS」におけるパラノイアックでアグレッシヴ、呪詛や怨嗟の渦巻く展開には、ぎょっとさせられる。3曲目の「RAISE YER CROWN」は、禍々しいグルーヴのブルーズである。しかし、いずれのヴァリエーションにせよ、フラストレーションを飲み込んだ瞬間、わずかでも我慢ならず、反射的に爆発させてしまうタイプのスリルを含んでいる。ああ、この決して気安くないフィーリングこそが、THE ICARUS LINEの真骨頂なのは間違いない。13分に渡る5曲目の「THE FATHER / THE PRIEST」まで、暗黒の美学に貫かれているということであれば、これはもう完璧である。

 『SLAVE VOWS』について→こちら
 『ON THE LASH』EPについて→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2014年08月15日
 ANGEL VOICE 38 (少年チャンピオン・コミックス)

 古谷野孝雄の『ANGEL VOICE(エンジェル ボイス)』は、34巻よりこちら、どの巻もクライマックス過多と評して差し支えがない。要するに、目頭は熱くなるし、胸は震えるし。で、ここまで熱量の高いものを見せ続けられたら(もちろん、良い意味で)読む方が困ってしまうのだ。おいおい、こんな作品、滅多にないぜ、と思う。34巻よりこちら、というのは、つまり、主役である市立蘭山高校サッカー部(市蘭)が高校選手権千葉県予選決勝に勝ち進み、ついに宿敵であり強豪である船和学院との対決を迎え、その試合がはじまってからずっとのことである。

 端的にいって『ANGEL VOICE』のあらすじに特筆すべき点は少ない。難病を患った女子マネージャーのためにサッカー部の元不良少年たちが再起、奮闘し、不可能を可能に変えるような奇跡に挑んでいく。こうしたあらすじは、極めて通俗的であるし、予定調和として散々消費された感がある上、その感動には耐性がつき、よほどのことでなければ、白けてしまうのが普通である。しかし、どうしてだろう。『ANGEL VOICE』というマンガに関しては、そうした耐性を突き破ってくるぐらいの感動がある。とりわけ、1巻の表紙と冒頭に用意されていた伏線を見事に回収した35巻は、ボロボロ泣くね。泣けてきて弱るのだったが、泣くことが恥ずかしくはない。知っていた。こうなることは知っていた。おそらく、読み手の大半が心していたはずなのに、目頭を熱くさせられたのではないか。これは作者が一切の妥協もなく、地道に積み重ねてきたストーリーのなかで登場人物たちが自らに与えられた役割を(当然、彼らはそうとは知らず)存分に生き、そのひたむきな姿の総和、デタラメと手抜きだけは決して引き受けまいという徹底性を通じ、ああやっぱりね、の予定調和を越えてしまうまでの感動が作り出されているからにほかならない。

 この38巻では、決勝戦も終盤を迎え、試合は三点対三点のまま、延長戦に突入する。試合の内容を詳しく述べることは、『ANGEL VOICE』の場合、所謂ネタバレになりかねないので控えるけれど、市蘭と船和とが抜きつ抜かれつの激闘を繰り広げているのは確かだ。フィールドに立っている選手は、誰もが試合を制しようとし、限界ギリギリのところでふんばり、ぶつかり合う。いや、選手のみならず、ベンチや観客席にいる登場人物たち全員が、ここが正念場だぞ、という眼差しをフィールドに注ぎ、作中のドラマの盛り上がりに関与していく。それにしても、将来有望なメンバーを含んでいるとはいえ、スタートの段階では弱小だったサッカー部が、二年足らずで強豪校と渡り合えるほどの実力を得られるものか。作者が一切の妥協もなく、地道に積み重ねてきたストーリーとは、そのような疑問に正しく答えるものであろう。もしかしたら、それは努力と呼ばれ、成長と呼ばれることの結果であるのかもしれない。努力と成長を描ききった。たぶん、その通りだと思う。しかし、やはり、努力や成長である以上に『ANGEL VOICE』は奇跡を描いているのであって、フィクションならではの奇跡にどうしたら説得力を持たせられるか。こうした疑問を解消しようとするとき、努力や成長は副次的に備わった条件でしかないのである。

 努力や成長よりも奇跡が尊いというのではない。また、奇跡がまったく万能だというのでもない。物語のキーである女子マネージャー、高畑麻衣の闘病生活を見よ。奇跡は必ずしも起こらないからこそ、奇跡として期待されることを暗示している。だが、奇跡はまれに起こりうるからこそ、奇跡として期待されることを、市蘭サッカー部の活躍は証明しているのである。『ANGEL VOICE』という美しいタイトルは、繰り返しかえりみられるべきだ。それは作中の奇跡がどこからやってきているのかを、何によってもたらされているのかを教えている。そう、奇跡とは、物語上のデタラメでもなければ、作劇上の手抜きでもない。このことは、ライヴァルである船和を単なる悪役や噛ませ犬ではなく、その内情を掘り下げ、市蘭が最後に越えなくてはならない(文字通りの)壁として、きっちり仕上げてみせた作者の手つきにも明らかだろう。

 もしかしたら、影響元である森田まさのりの『ROOKIES(ルーキーズ)』が、ライヴァルにあたるチームを十全に描けなかった(このことはむしろ、実写映画版に寄せられたいくつかの批判において顕著となっている)ことから学んでいるのかもしれないが、『ANGEL VOICE』の船和は非常に魅力的に描かれている。市蘭とは異なったモチベーションを持ち、市蘭と別の使命とプライドを守るべく、結果的に市蘭の前に立ちはだかる。市蘭の勝利に向けられた執念をクローズ・アップするだけでは、これほど試合の内容は濃く、熱くはなるまい。一ページごと、一コマごとに目の離せない展開がある。その勢いは、テンポのレベルで他のサッカー・マンガを圧倒している。かといってディテールをすっ飛ばしているわけではない。細部の動きまでを通じ、凄まじい密度で試合が運んでいくため、まさか、ここでこうくるかよ、という場面が訪れた際、思わず胸が震えるのであった。

 しばしば、登場人物たち皆が主役である式のエクスキューズをするマンガ家がいる。しかし、それは単にワキのプロットを増やし、付け足すのみであるような作法を指している場合が多い。だが、『ANGEL VOICE』においては、主な登場人物が本筋から外れることなく、誰を主役に見ても過不足のない作品が成立している。もちろん、市蘭のイレヴンの勝利が最高のカタルシスなのは疑いようがない。少なくとも、それが1巻からのテーマなのである。試合は既に延長戦の後半となった。市蘭と船和、どちらが勝ってもおかしくはないまま、クライマックスのまっただなかをボールは転がり続けていく。

 10巻について→こちら
 5巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1巻について→こちら
2014年08月11日
 セブン☆スター(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 このところ、ヤンキー・マンガのジャンルでは「7人」という数にシンクロニシティめいた一致が見られる。たとえば(今年完結したが)『サムライソルジャー』の当初のモチーフには『七人の侍』が存在していたはずだし、『SHONANセブン』では「7人」の選抜メンバーをめぐるトーナメントが繰り広げられ、そして『セブン☆スター』は「7人」のローカル・ヒーロー、守護者(ガーディアン)の物語となっているのだった。まあ『山田くんと7人の魔女』はちょっと違うかな、とは思う。が、しかし、これが偶々のことか、そうでないのかは知らない。某アイドル・グループのヒエラルキーに「神7」というのがあるけれど(意図的にであれ、無意識にであれ、同時代の産物として)それと呼応している可能性だってなきにしもあらず、であろう。もちろん、以上は余談である。本題とはほとんど関係がない。

 それにしても柳内大樹である。『ギャングキング』のビルドゥングス・ロマン=成長の物語はまだ完結を見ていないのだが、『軍艦少年』における再生の物語を経、どうやら『セブン☆スター』では不良少年というモラトリアムのピカレスク・ロマンに着手しようとしているのではないかと思わせる。

 2年前、築地に「セブン☆スター」と呼ばれる伝説が誕生した。ヤクザから自分たちが生まれ育った街を守るべく、未成年に蔓延していた脱法ハーブを撲滅するために〈当時の高校の番や暴走族の頭 ギャングのトップに愚連隊のリーターなどが奇跡的に集まり結成された一夜限りのチーム〉がそれである。現在、「セブン☆スター」の一員であった川谷卓三(タクボン)は20歳になったばかり。世界一のベーシストを目指しながら、母親が切り盛りする屋形船を手伝っている。しばらく街には平和が続いていたのだったが、2020年の東京オリンピック開催に乗じ、築地に巨大なカジノを建設しようとする不穏な動きがあった。フリーマン(自由人)を名乗り、日本人初のカジノ王を目論む松田友作は、築地の街と「セブン☆スター」の面々に何をもたらすのか。というのが、1巻のあらましとなっている。

 かつての不良少年たちと都市を一変させかねないプロジェクトの合流には『サムライソルジャー』の終盤に通じるものがある。もしくは上條淳士の『8』を彷彿させたりもするけれど、それ以上に『ギャングキング』におけるピンコと「ジャスティス」のモチーフが流れ込んできているのだろう。学校を出ても社会には出られない不良少年たちが、自分の将来と居場所とを見据えた上で、制度やシステムと格闘しなければならないのである。登場人物の名前が昔の俳優に由来していることは明らかで、なかには美船敏郎(三船敏郎のもじり)も出てくる。やはり原型は『七人の侍』か。

 また、寝たきりの父親が自宅療養しているタクボンの家庭環境など、実際の設定はかなりきつい。これは近年、作者が提起してきたリアリズムとしての「想像力」を汲んだものに違いない。しかし、タクボンのみならず、フリーマンを含め、登場人物たち大半のテンションが(現段階では)極めてアッパーであることが『セブン☆スター』の特徴といえる。柳内大樹のキャリアの、あるいは『ギャングキング』の初期の、あの健康優良不良少年たちが帰ってきたようでもある。おそらくはこのことが、『軍艦少年』におけるテーマ主義的な暗さとは異なった色合いを、ピカレスク・ロマンであるような高揚を『セブン☆スター』に与えているのだ。

 正直な話、『軍艦少年』の暗さは少しばかり厳しかった。ただし、それが『ギャングキング』の中盤以降、作者によって追求されてきたリアリズムとしての「想像力」を徹底したためであったことはよくわかる。『軍艦少年』を高く買っているのは小説家の深町秋生である。深町は『まんが秘宝 男のための青春まんがクロニクル』というムックで『軍艦少年』を取り上げ、この手のジャンルの〈不愉快なほどの脳天気さと軽薄さ〉や『ギャングキング』の〈体育会系な健全さ〉を否定しながらも『軍艦少年』を〈シンプルな「喪失と再生の物語」だが、そのどんづまりな状況から這い上がる姿は力強くて美しい〉と述べている。これもよくわかる。浮ついた気分やヘラヘラとした態度では覆いきれない痛みを通し、生きることの重みを描いていたことは確かだ。が、その息苦しさがコマのレベルで判断される語り口やストーリーのテンポを、いくらかぎこちないものとしていた感は否めない。

 対して『セブン☆スター』は、もうちょっと別の路線に入っている。とりあえず、ケンカ以外の部分で登場人物がよく動く。ヴァイタリティを前に出すことで場面そのものが非常に活発になっているのである。今後にシビアな展開を予想させる箇所もある。本筋は「セブン☆スター」とフリーマンの決戦に向かっていくのだろうが、細部にはやがて作品の奥行きとなるような人間ドラマが発芽している。

・その他柳内大樹に関する文章
 『ギャングキング』
  21巻について→こちら 
  20巻について→こちら
  19巻について→こちら
  18巻について→こちら
  16巻について→こちら
  15巻について→こちら
  14巻について→こちら
  13巻について→こちら
  12巻について→こちら
  10巻について→こちら
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
 『ドリームキングR』(原作・俵家宗弖一) 
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『新説!さかもっちゃん』1巻について→こちら
 『スマイル』(永田晃一との合作)について→こちら
 『柳内大樹短編集 柳内大樹』について→こちら
  「バンカラボーイズ」について→こちら
  「オヤジガリガリ」について→こちら
 『ドリームキング』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
2014年08月03日
 Next Four Years

 血眼でガナるしかないほどに爆発したエモーションを満載である。大声で叫べよ。圧倒しろ。前のめりの勢いは憤怒に駆られながら憤怒をも抜き去っていき、兎にも角にも真剣勝負だ、という凄みを宿らせている。本体にあたるTHURSDAYがしばらく動きを見せないなか、元LOSTPROPHETS組と合流し、NO DEVOTIONをスタートさせたジェフ・リックリィだが、もう一つのプロジェクトであるUNITED NATIONSも忘れられていたわけではなかったのか。久々に2作目のフル・アルバムとなる『THE NEXT FOUR YEARS』をリリースした。ジェフ以外はメンバーの流動的なプロジェクトである。それが通例であるように今回の『THE NEXT FOUR YEARS』も08年の『UNITED NATIONS』とはラインナップを違えてきている。とはいえ、基本の路線に変更はない。まあ、細かく指摘していくなら、『UNITED NATIONS』では明らかにカオティック・ハードコアやパワー・ヴァイオレンスのニュアンスを打ち出していたのに比べ、『THE NEXT FOUR YEARS』ではギターのリフやドラムのパターンにブラック・メタルを参照した部分が大きくなっている。ここ最近、ラウド・ロックのシーンにおけるブラック・メタル寄りのアプローチは一種のトレンドではある。この意味で、着実にイディオムのアップデートを果たしてはいる。ただし、機能性や様式美に回収しきれないエネルギーの奔流こそが、やはりUNITED NATIONSの醍醐味であろう。ジェフのヴォーカルは、ときおり(彼ならではの)ナイーヴな表情を覗かせるのだったが、そこに含まれた悲哀ですらも拒絶のイメージとアジテーションとを喚起するものにほかならず、強力なビートとともに楽曲のダイナミズムへと付与されている。そして、渾身のシャウトあるいはスクリームだ。それが攻撃性をガリガリ尖らせたアンサンブルの、そのスピードに乗じ、身も蓋もないぐらいに衝動のスリルを具体化してしまう。徹頭徹尾と思わされる。血眼でガナるしかないほどに爆発したエモーションが満載である。

 『UNITED NATIONS』について→こちら

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