ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年06月29日
 はずんで! パパモッコ3 はずんで! パパモッコ4 (はずんで!パパモッコ)

 メルヘンだなあ。メルヘンである。現代における良質なメルヘンが山本ルンルンにはあると思う。少なくとも、この『はずんで!パパモッコ』に関してはそうだ。1、2巻に引き続き、3、4巻が同時に出た。相も変わらず、ゆったりと接せられるような人間観や光景を描いているのだったが、前巻までに確立された登場人物の「キャラクター」は、親しみを増し、作品の世界そのものをより生き生きとさせている。一話完結型のスタイルは、エピソードごとに両手ですくえる水たまりほどの感動を残していく。他方、設定とストーリーの連続性は、登場人物たちにコマで示されている以上の深さや厚み(内面やエモーション)を与える。リアリズムではなく、デフォルメを強調した可愛い絵柄でありながら、体温のよく通ったドラマを得られるのは、おそらく、このためだろう。

 タイトルにある「パパモッコ」とは、作品の所謂マスコットであって、主人公である双子の父親が(発明家である彼が発明品のトラブルによって)モッコちゃんというぬいぐるみに姿を変えられてしまったものだ。喩えるなら「ドラえもん」に近い。保護者としての「キャラクター」である。単に、心はおっさん、体はぬいぐるみ、であるはずなのだが、絵柄の異化もあってか、発明家であることの利便性と保護者であることの信頼性を印象的にしている。その父親が作った発明品の数々が、物語を転がすための装置だとしたら、双子の少女に溢れている好奇心は、それを働かせるためのキーであろう。また、装置を働かせる上で必要な動力をもたらしているのは、彼女たちを取り巻く人々や生活の存在にほかならない。こうした構図は、作品自体の奥行きでもある。

 科学が機能し、父親の突飛な発明品が受け入れられている世界ではあるものの、SF的であるというより、砕けたファンタジーのテイストに全編が覆われている。そこにメルヘンを思わせるものがある。ぬいぐるみが喋ったり、ロボットが悩んだりするのは、科学の成果としてではない。あくまでもファンタジーの柔らかさからやってきているのである。

 優れたメルヘンは、時々、幸せとは何か、を問いかける。答えを暗示のなかに持ち合わせることがある。主人公の双子、イチコとニコの家族に母親が欠けているのは、ある場合には、幸せとは何か、の答えに家族がなりえるからだろう。無論、『はずんで!パパモッコ』において注意されたいのは、母親がいないことの不幸せではない。それでも、双子と父親の家族の肖像が幸せを含んだものに見えてくる点であろう。悲しみや寂しさが描かれていないというのではない。悲しみや寂しさはある。確かにある。だが、それに囚われることを不幸せだとしたとき、それはいかにして上書きされるのか。まさしく、幸せとは何か、の答え合わせであるような人間観と光景とが、オール・カラーの明るいページに浮かび上がらされているのだ。

 ともすれば、寂しさが『はずんで!パパモッコ』の基調でもある。イチコとニコにかぎらず、あるいはヒトであるような存在にかかわらず、登場人物たちの寂しさを通じて、ほとんどのエピソードが作られている。誰かがいなくなってしまうという悲しみ。他の誰かにいて欲しいという寂しさが、学園や往来の賑やかさと並列されているのである。寂しさが嫉妬やワガママに変形していることもある。軽はずみな嫉妬やワガママが喜劇に繋がっていく場面も少なくはない。本質的にはハッピーなマンガである。ニコニコしちゃう。しかし、その幸せの重量は、寂しさをよく知った者の眼差しによって計られ、運び込まれてきている。がゆえに、無根拠な優しさよりもずっと優しい。

 個人的には、リッパーのエピソードと(マカセテくん改め)マカセテちゃんのエピソードが好きである。ストーリーの連続性が顕著なのも、実はそれらのエピソードだと思う。

 『ないしょの話〜山本ルンルン作品集〜』について→こちら
2014年06月22日
 本気!外伝クジラ 2 (プレイコミックス)

 氣志團のことを立原あゆみはちゃんと認識してるんだな、ということがわかる。白銀本気からは非公認である気志団にネーミングを由来している氣志團が立原あゆみの公認となっているのが、おもしろい。それはともかく、1巻以上に総集編としての役割を強めているのが、『本気!外伝 クジラ』の2巻である。最大のトピックは、やはり、久慈雷蔵と白銀本気の直接対面(再会)だろう。本気本人から久美子の死が語り直されるなど、ファン・サービスとしての見所は多い。が、ファン・サービスの域は出ていないので、未読の方には是非とも、本編は当然のこと、『サンダーナ』までのシリーズに目を通していただきたいですね、と思う。個人的には、もっと九(カブ)のその後の姿が見られたら嬉しかった。あるいは『仁義』シリーズのように(登場人物を世代交代させ)九を主人公にした続編を描いてくれたらいいのに、と。ところで、本刊と同時にリリースされた『本気!名シーン名言集』は、過去三回に渡って『プレイコミック』に付せられた小冊子を一つにまとめたもので、これといった追加要素がないのは残念だった。

 1巻について→こちら

・その他立原あゆみに関する文章
 『火薬』について→こちら
 『仁義S』
  12巻について→こちら
  11巻について→こちら
  10巻について→こちら
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
 『涙星〈アース〉チンピラ子守歌』1巻について→こちら
 『本気』文庫版
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1・2巻について→こちら
 『本気!〜雑記〜』第1話について→こちら
 『恋愛』
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『極道の食卓』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『ポリ公』
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『月の教室』について→こちら
 『喰人』1巻について→こちら
2014年06月21日
 Perfect World

 震撼のNADJA、再来日公演である。今回のライヴに際し、特に注目していたのは、近作である『DAGDROM』や『QUELLER』や『TANGLED』のモード、つまりは以前にも増してヴォーカルとダイナミズムの入った演奏が繰り広げられるのかどうか、であった。結論からいえば、ヴォーカルは(バンドの性質上、当然のごとく)なかったものの、2012年の初来日公演に比べ、ぐっとダイナミズムの前に出た演奏となっていたように思う。無論、それは(NADJAの前に登場したVAMPILLIAのパフォーマンスに顕著であった)動的なアトラクションの実践を意味しているわけではない。反復を基礎としたスローなうねりにミニマリズムをひょいとはみ出してしまう振幅が生じていたのだ。しかし、ギターにベース、ドラム・マシーンの基本ユニットにより粛々と奏でられる轟音は、紛れもなくNADJAならではのものであって、ドローン、スラッジ、シューゲイザーに喩えられるサウンドの、ああ、なんと蠱惑的なことか。確かに初見のときほどのインパクトはなかった。けれど、断絶のイメージに満たされながらも甘美に鳴り渡るという。寒々しい風景を描き出しながらも叙情性は豊かという。神秘や感動すらも伴った世界の出現を(聴覚を経由として)目の当たりにせざるをえない。エイダン・ベイカーのギターとリア・バッカレフのベースには、「音量」と「音響」と「音圧」のすべてにおいて、圧倒されるものがある。他方、机上にずらりと並べられたエフェクターが、彼らの非常にデリケートでもあるプレイに、より複雑なテクスチャーを施していく。エクスペリメンタルとも評されるアプローチだが、それは同時に果てのない天上を覗き見させる。スペクタクルへと通じているのだった。惜しむらくは、前回以上に演奏時間が短かったことと前回以上に観客の入りが芳しくなかったことであろう。

 前回の来日公演について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2014年)
2014年06月18日
 A-BOUT!!~朝桐大活躍編~(5)<完> (少年マガジンコミックス)

 正直、「朝桐大活躍編」要らなかったのでは、というのが大方の感想であろう。もちろん、そんなことないぜ、「朝霧大活躍編」おもしろかったぞ、という向きがあってもよい。が、無印の『A-BOUT!!』以上に朝桐の活躍が描かれなかったことだけは確かであって、そのために勢いが削がれてしまったこともまた疑いようがない。『A-BOUT!』の魅力とは、おそらく、無礼講のロマンである。後先を考えていない(かのような)展開に、たとえ強引であろうと辻褄が合ってしまう。デタラメは排除されるものとしてではなく、作中に不可欠な力学として存在している。それを可能にしていたのは、間違いなく、主人公である朝桐のハイ・エナジー・ローIQであった。この点さえ外さなければ、いくら脇道に逸れたところでギャグを盛り込もうが、登場人物の持ち味をぶち壊す寸前まで滅茶苦茶をしようが、収拾はついたはずだったのだ。しかし、2年に進級した朝桐をどう動かしていくのか。方向性に揺らぎが生じてしまったように思う。

 主人公を留年させることで再び1年生を中心にした下克上と内ゲバのミックスをやるのかと思いきや、それはフェイクに終わった。さらに新規の登場人物を火種にすることで他校との勢力分布図を拡大させるのかと思いきや、それもフェイクに終わった。で、まあ、要するに何をやりたかったのか、という疑問が出てきてしまった。その後、なるほど、これがやりたかったのか、と説得されるほどのストーリーを用意すべきであった。けれど、そうはならなかったのである。当の朝桐が(あえて、バカのくせに、といってしまおう)自分が何をしたらいいのかよくわかっていない状況に置かれることが目立ちはじめてもいた。それは作者の迷いでもあったのではないか。いずれにせよ、年功序列のパワー・バランスを引っかき回すことに着目した『A-BOUT!!』の内容(全19巻)を経、第2部にあたる「朝桐大活躍編」に入ってよりこちら、ハイ・エナジー・ローIQによる無礼講のロマンは薄まっていたのは確かだ。(00年代のヤンキー・マンガに顕著であった)テーマ主義への反動であるかのような脳天気さ、あるいはテーマ主義を突破しようとするかのようなフル・スウィングこそが最大のアドヴァンテージだと信じていた人間からすると、やはり失速したとの印象が強い。

 この「朝桐大活躍編」の5巻には、『週刊少年マガジン』での最終回のほか、『マガジンスペシャル』に掲載されたエピソードが入っている。たぶん、そちらが真のエンディングであろう。そこでの朝桐の次の言葉は印象的である。〈何かを手に入れたくて…… 三嶺に来たけどよ‥‥ まだ見つかんなくてよ‥‥ それが‥‥ 何なのかさえわかっちゃいねえ‥ でも‥‥ 今がサイコーだってことは‥‥ わかってんだ いつもよ…… !!〉と。結局のところ、その通りの作品であった。『A-BOUT!!』は。ただし、朝桐に「何か」を意識させず、ライヴ感たっぷりの「今」を前面に描いていたことが、先述の繰り返しになるけれど、作品に何よりのアピールを備えさせていたのだ。

 それにしても余談だが、吉岡と東郷の存在が自分のなかでしばしばごっちゃになるときがあったのは、ここだけの話にしておきたい。

 『A-BOUT!!』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
2014年06月15日
 In Fact 【初回限定盤】(DVD付) In Fact 【通常盤/初回プレス仕様】 In Fact 【通常盤】

 そう、〈何度も / 声が嗄れても / 君に呼び掛けてる〉そのフレーズの逞しさに手を引かれていくような気がしたのだった。4人体制になったことでセンターが発生しないというKAT-TUNのトライアルは、先頃の『楔-kusabi-』アルバムにおいて着実な成果を上げていたと思う。かくして、その成果をタイアップ付きシングルのフォーマットに落とし込んだのが、この「In Fact」になるのだろう。基本の路線は「FACE to Face」や「楔-kusabi-」(楽曲の方)と続いてきたミステリアスなムードのダンス・ナンバーであって、それはKAT-TUNにとっての新しい様式とも見なせるものだが、クラブ・ミュージックを参照したアップ・テンポのビートと(線の細さが転じて)ヒロイックな叫びに喩えられるようなヴォーカルのメロディとが、これまで以上にマッチしている。総体的にフックが強いのである。

 低音のキックとベースのうねりに衝動がじらされる。しかし、バックのトラックは次第に激しく、ダイナミズムを得、塞ぎ込むのとは反対の角度に気持ちを煽っていくだろう。鋭くされた高揚がある。4人のヴォーカルによって歌われるのは、このグループに最も似つかわしい光と影の物語だ。ユニゾンで繰り返されるコーラスは、光を掴まえようとしているのにどうしてか影ばかりを踏んでしまう悲劇を、悲劇のままでは終わらせまいというロマンティシズムの内側に同居させている。確かに〈帰ろう / 僕らは / 僕らのあるべき日まで / 今日も / また / 君と答え探す〉と誓いながら〈ぐっと / 握った手の平を開いたら / 希望が震え出す〉のだけれど、そこはあくまでも〈霧の中で〉ある。逆説的に換言するのであれば、そこがあくまでも〈霧の中で〉あるがゆえに〈帰ろう / 僕らは / 僕らのあるべき日まで〉と願う声に信じられるものが生まれているのではないか。こうした両義性は、やはりKAT-TUNのイメージに相応しいし、リリックのみならず、ダウナーを完全に振り切ったサウンドにも反映されている。KAT-TUNをめぐるコンテクストを踏まえたとき、〈僕ら〉はもちろんKAT-TUNを指し、〈君〉はファンを指していると考えてもよい。エンディングに向かって、一層勢いを増していくキックの連打は、絶対に霧を抜けられる、という予感であり、確信だ。

 タイトル・トラック以外では、通常盤初回プレス仕様に入っている3曲が、ちょっと侮れませんね、と思わされるものである。アコースティックな調べがセンチメントな情景を描き出していく「MY SECRET」にせよ、タイトル通りといおうかブラック・ミュージックのエッセンスを導入した「BLACK」にせよ、ギターのカッティングに合わせてグループにまつわる固有名詞が引用される「DANGEROUS」にせよ、今のこの4人だからこそ、と納得させられるヴォーカルのパフォーマンスを聴かせてくれる。魅力的なバランスがあって、非常に洗練されている。

・その他KAT-TUNに関する文章
 『楔-kusabi-』について→こちら
 『FACE to Face』について→こちら
 「WHITE」について→こちら
 「CHANGE UR WORLD」について→こちら
 『NO MORE PAIИ』について→こちら
 「Going!」について→こちら
 「Love yourself 〜君が嫌いな君が好き〜」について→こちら
 『Break the Records -by you & for you-』について→こちら
 「RESCUE」について→こちら
 「ONE DROP」について→こちら
 「White X'mas」について→こちら
 『KAT-TUN III - QUEEN OF PIRATES』について→こちら
 「DON’T U EVER STOP」について→こちら
 「LIPS」について→こちら
 「喜びの歌」について→こちら
 『Cartoon KAT-TUN II You』について→こちら
 『Live of KAT-TUN “Real Face”』DVDについて→こちら
 「REAL FACE」について→こちら

 DVD『KAT-TUN LIVE Break the Records』について→こちら
 DVD『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』について→こちら

 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2012 CHAIN』(2012年4月20日・東京ドーム)について→こちら
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 PART2:WORLD BIG TOUR』(2010年・東京ドーム)
  7月24日の公演について→こちら
  7月17日の公演について→こちら
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2010 公開リハーサル』(4月28日・さいたまスーパーアリーナ)について→こちら
 コンサート『不滅の10日間ライブ KAT-TUN TOKYO DOME 2009』(09年・東京ドーム)
  6月15日の公演について→こちら
  5月22日の公演について→こちら
  5月18日の公演について→こちら 
 コンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(08年8月5日・東京ドーム)について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2014年)
2014年06月11日
 SHONANセブン 01 (少年チャンピオン・コミックス)

 以前、『くろアゲハ』の項で述べたように『SHONANセブン』は『湘南純愛組!』の続編である。が、『湘南純愛組!』の続編としては主人公(の一人)である鬼塚英吉のその後を直接描いた『GTO』が既に存在している。これに対し、鬼塚たちよりも数世代下の不良少年を主人公に置くのが『SHONANセブン』であって、つまりは舞台や設定は『湘南純愛組!』と同じなのだけれども、時代とキャスティングが違う、という意味での続編になっている。

 ずばり、舞台は鬼塚たちが在籍したあの湘南辻堂高校だ。中学から上がったばかりの新入生たちがそこで「SHONANセブン」と呼ばれるトーナメント式のタイマン戦で最強を目指していくというストーリーがあり、新入生のなかでも一際目立っているのが主人公の黒髪一輝である。オリジナルの藤沢とおるは原作にとどまっていて、実際の作画は高橋伸輔が手がけている。高橋は、どちらかというと馬場康誌や本田真吾の系譜に連なるマンガ家なのだが、アクションと美少女を魅力的に描く、という点に関しては適任であるように思う。正直なところ、現時点では湘南辻堂高校が舞台になっていること以外に『湘南純愛組!』とのリンクをさほど感じさせない。ただし、謎めいた美少女が降って湧いたようなトラブルを主人公にもたらす(主人公の鉄腕ぶりがそれを解決していく)型のフォーマットは『湘南純愛組!』や『GTO』で確立されたものであろう。ユーモラスな日常とシリアスな抗争のコントラストは、絵柄の違いはともかく、確かに『湘南純愛組!』を彷彿とさせる。

 しかし、『湘南純愛組!』において「湘南」とは「ナンパ」をイメージさせる記号でもあったはずだ。が、『SHONANセブン』では、作中で「SHONANセブン」誕生の設定として語られている通り、不良少年と「暴力」のイメージを前に出すための象徴となっている。これが時代の違いによるものか。前作の終盤を踏まえたものか。単に藤沢の認識が変わったのか。今はまだ不明である。とはいえ、暴走族やケンカ上等の価値観が古くさくなりつつあったのが『湘南純愛組!』であったとすれば、その価値観の揺り戻しが『SHONANセブン』には起きている。このことは、むしろテーマのレベルでヤンキー・マンガ史を見ていくとき、注目せざるをえないポイントになるのかもしれない。
2014年06月06日
 Bureaucratic Desire for Extra Capsular

 2012年の来日公演は観られなかったので、前回と比べてどうだったかはわからないのだけれど、ああ、そのライヴはスタジオ・アルバム以上の有機性に富み、懐の深いものを感じさせるんだな、との印象を抱いた。ヘヴィ・ロック界の異端、レジェンド、驚愕のEARTHの再来日公演である。ドローン、アンビエント、ドゥームと喩えられるサウンドは、確かにスローでありながら重心は低く、決して間口の広いものではない。しかし、トリオ編成の極めて濃厚なインストゥルメンタルによって導き出されていたのは、必ずしも殺伐や虚無のダウナーに足をからめとられるかのようなイメージではなかった。中心人物であるディラン・カールソンのギターは、初期の作品で聴かれるヘヴィなリフと近年の作品におけるメロディアスなフレーズとを、終わりがいつくるのか読めないパターンの繰り返しに次ぐ繰り返しのなかで完全に合致させている。その響きは、抽象的というより、直感的であり、なおかつ肉感的でもある。本来の楽曲が展開らしき展開に乏しいため、演奏が進むにつれ、単調であるがゆえに息苦しさが増すかと思いきや、逆であって、焦点を絞りに絞り込んだパフォーマンスは、徹底した迷いのなさが限界を忘れさせるのに似た陶酔を連れてくるのだった。意外だったのは、ドラムのリズムが重要な役割を果たしていると思われたことだ。スタジオ・アルバムではメンタルへの強い訴えかけを持ったEARTHのサウンドが、ライヴにおいてはフィジカルな方向に引っ張られていたのは、おそらく、それのおかげだろう。とするのであれば、ハード・ロックやヘヴィ・メタルを照準に入れたとアナウンスされている新作『PRIMITIVE AND DEADLY』の内容も今回のライヴに近いものになるのではないか。実際、『PRIMITIVE AND DEADLY』のナンバーも(ディランのMCから判断するに)披露されていたはずである。無論、これでEARTHの全貌を知ったとはいうまい。が、現在進行形のレジェンドたる片鱗は垣間見られた。アンコールまでを含め、その密度は生半可でなかった。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2014年)
2014年06月03日
 Rain

 GOODTIME BOYSは英サウサンプトンやカーディフ出身のメンバーによって活動している。5人組である。これまでにSELF DEFENSE FAMILYとのスプリットであったり『ARE WE NOW OR HAVE WE EVER BEEN』『WHAT'S LEFT TO LET GO』といったEPを発表している。そのサウンドは所謂UKのバンドのイメージからすると少々裏切られるものだと思う。わかりやすく述べるのであれば、DEFEATERやTOUCHE AMOREに近い。エモイッシュなハードコア(ポスト・ハードコア)なのだった。AT THE DRIVE-INをいくらかメタリックにしたかのような印象もある。レーベルがDEFEATERと同じBRIDGE NINE RECORDSなのもあり、知らなかったらアメリカのバンドだと信じかねない。無論、ここで重視されたいのは、そうした国籍に捕らわれない指向(の越境)がアンダーグラウンドのシーンまたはハードコアのジャンルではしばしば起こりうる点であって、楽曲に備わったポテンシャルと演奏から溢れ出てくるエネルギーがいかに迫真的であるかなのだ。そして、正式なファースト・アルバムとなるこの『RAIN』なのだけれど、率直な話、1曲単位のフックやインパクトは先に挙げたEPの方が大きい。ちょっとばかり頭でっかちになったといおうか。叙情を深めたアレンジのせいか。初期衝動と同一に見られる瞬発力が弱まった気がしてしまう。しかし、裏を返せば、それは勢いのみで判断されるのとは異なったレベルの完成度を作品が得ていることでもある。事実、メランコリックでありながらアグレッシヴ、あるいはデリケートでありながらダイナミックなサウンドには圧倒されるものがある。TOUCHE AMOREの『IS SURVIVED BY』に対するイギリスからの返答という喩えをしたところであながち間違えてはいないだろう。それだけのアピールを紛れもなく持っている。

 バンドのBandcamp→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2014年)
2014年06月01日
 Easy Pain

 06年のファースト・アルバム『SETTLE DOWN CITY』以来の手応えではないだろうか。米ケンタッキー州ルイヴィル出身の3人組である。JESUS LIZARDやUNSANE、あるいは初期のグランジを土台にしたと覚しきジャンクなヘヴィ・ロックが身上であった。が、地響きをイメージさせるほどのダイナミズムは、08年のセカンド・アルバム『OLD WOUNDS』や、続く2011年の『IN AND OUT OF YOUTH AND LIGHTNESS』を経ながら、次第にサウンドの後方へと下がっていった。かわりに主張を得てきたのが、不吉なグルーヴを執拗に繰り返すというミニマリズムのアプローチであって、機嫌の悪さにも似たテンションが、ダイナミズムとは別の形でアウトプットされていたわけだ。それが練り鍛えられ、本作『EASY PAIN』において、ついにスタイルの完成と同義の構成力を持つに至った。軋んだリズムと呪詛のようなヴォーカルが召還させるアトモスフィアにはSWANSの『TO BE KIND』に通じるものがある。しかし、YOUNG WIDOWSの場合、トリオ編成であることに起因するのか。前衛や実験の多様性であるより、極めてシャープな身振り、機動性の高さを重視した印象となっている。もう一つ引き合いを出すなら、THE ICARUS LINEの『SLAVE VOWS』にも似た暗さ、ザラザラとしたテイストのなかにダウナーなアプローチを兼ね揃えているのだけれど、これはガレージ産、ノイズ育ち、ジャンクなヘヴィ・ロックをルーツとすることに由来するものであろう。アルバムのタイトルを終盤のコーラスに組み込んだ2曲目の「COOL NIGHT」は、スローなドゥーム・メタルとブルーズみたいでもある。全編に渡り、過剰なまでのエネルギーを剥き出しにするのではなく、抑制を加えることで、ぶち壊しの狂気とスレスレの緊張感を生み出していく。バンドの新しいマスターピースに挙げられる内容だと思う。

 『OLD WOUNDS』について→こちら
 『SETTLE DOWN CITY』について→こちら

 バンドのオフィシャル・ブログ→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2014年)