ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年04月06日
 バウンスアウト(2) (ヤングマガジンコミックス)

 近年、フィクションにおけるアウトローものは、たとえば「関東連合」や「半グレ」というモデルを新しく獲得することで、ジャンルそのものを延命させたといえる。しかし、それは単に今ふうのゴシップあるいはスキャンダル的なリアリティを導入したにすぎず、結局のところ、どんなに偉い連中も殴り殺して逃げちゃえばこわくないじゃん式の展開を描くことしかできていないし、エンターテイメントとして新しいフェイズに入ったとは見なしがたい。80年代から90年代にかけ、知的な経済ヤクザを台頭させることで、マネー・ウォーズやコン・ゲームのスリルを盛り込んでいた作品に比べるなら、むしろ、どんなに偉い連中も殴り殺して逃げちゃえばこわくないじゃん式の展開は非常に幼稚で、退行ですらあるだろう。もちろん、それが現実の社会を素直に追従した結果だとしたら、現実の社会そのものが既に退行しているのだと述べるよりほかないのであって、西条隆男(原作)と東元俊也(漫画)のコンビによる『バウンスアウト』も、そうしたフィクションの一例に挙げられるマンガだ。

 一年半ぶりに少年院を出た主人公の大和壮兵は、幼馴染みで現在はアダルト・ヴィデオの会社を立ち上げている木嶋からバウンサーの仕事を紹介される。バウンサーとは、クラブ等(この場合のクラブは、DJが音楽をかけるクラブであっても水商売のクラブであっても構わない)のセキュリティを指すのだけれど、その会社を運営しているのがヤクザであることを知り、大和は最初断ろうと思うのだった。が、偶々、覆面を被った物騒な集団が六本木のクラブを襲撃する現場に居合わせたために事態は一転してしまう。この襲撃事件をきっかけとし、大和は超野興行の会長、超野と出会い、彼が運営するバウンサー会社、バックドロップの一員に加わることとなるのだ。他方、襲撃犯である暴走連合の黒澤は、相対した大和に覆面を暴かれ、正体を知られてしまったせいで立場を悪くし、どうしても大和を追い詰めなければならなくなっていた。まず黒澤が狙ったのは木嶋である。罠にハメられた木嶋は逃れられず、黒澤が率いる暴走連合によって重傷を負わされる。というのが1巻のあらましであって、この2巻では、木嶋の仇を討つべく、大和の奔走がはじまっていく。

 作中の「暴走連合」のモデルが「関東連合」なのは明らかだが、それはともかく。アウトローものの大半がそうであるように、意趣返し、復讐、報復のテーマを、やはり『バウンスアウト』も負っていることが、物語を見ているとよくわかる。木嶋のリヴェンジが大和を動かしているのはもちろん、なぜ大和は少年院に入っていたのか。高校時代、恋人が暴走族に殺され、その報復を果たしたためであった。敵方の黒澤にしても、だ。襲撃の原因は、仲間を殺されたことのリヴェンジだったということになっている。復讐は止められるか。憎しみは止められるか。暴力の連鎖は止められるか。暴対法(暴力団対策法)の施行以降、意趣返しが必然的にテロリズムとして扱われざるをえない可能性のなか、ヤクザをモデルにしたフィクションによって探られてきた倫理がそれだとしよう。しかしながら「半グレ」を含め、ヤクザとは違い、暴対法の適用を免れているアウトローをモデルとした作品においては、少々様子が異なっているように思う。憎しみは止められない。復讐は必ずや果たされなければならない。スカウトマンを題材にした和久井健の『新宿スワン』でさえ、こうしたロジックを免れていなかったのは周知の通りである。

 憎しみは止められない。復讐は必ずや果たされなければならない。これが、どんなに偉い連中も殴り殺して逃げちゃえばこわくないじゃん式の展開と合わさるとき、比喩の上であろうとなかろうと、いかにしてテロリズムは肯定されるかの正当化と大した差異はなくなるであろう。『新宿スワン』の真虎は、どれだけ主人公のタツヒコがアンチテーゼとして機能し、がんばろうが、意趣返しとテロリズムのテーマを達成してしまった。本来、タツヒコが真虎を阻止できなかった時点で、物語は破綻したと見られるべきだけれど、それを破綻だとはしないことの切実さが現代にはあるのかもしれない。とはいえ、やはり、意趣返しとテロリズムは不幸の結果であると同時に原因でしかないし、否定の方が強くあって欲しいものなのだ。

 本題に戻るなら、『バウンスアウト』は、先にいったように(現段階では、と留保しておくが)今ふうのゴシップあるいはスキャンダル的なリアリティを導入したアウトローもの程度の作品である。どこまで取材が正確なのかは不明だけれど、現実の社会に影響を及ぼされているに違いない若者の気分や風俗、情報のパッチワークが、このマンガの説得性を支えているのだと思う。裏を返すと、それ以上の特徴は出てきていない。フィクションであるがゆえに乗り越えなければならないものをまだ見つけていない印象であって、そこが非常に残念な点でもある。

・その他東元俊也に関する文章
 『破道の門』
  10巻について→こちら
  1巻について→こちら