ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年11月28日
 サンケンロック 20 (ヤングキングコミックス)

 Boichiが『サンケンロック』と並行して連載をはじめた『Wallman』は、白竜会が消滅してから五年後の日本を描いている。もしも両者がリンクしているのだとすれば、白竜会がまだ健在であり、韓国をも勢力下に置いている『サンケンロック』は、『Wallman』よりも五年以上前の時代を舞台にしていることになる。そして『Wallman』ではヒロインにあたるナミが『サンケンロック』に出てきているのが、この20巻なのである。が、それは『サンケンロック』の本筋において、おそらくは枝葉の部分にすぎない。白竜会は消滅する。これを前提としたとき、では『サンケンロック』の主人公である北野ケンがどうやってそこまで迫っていくのか。最終章スタートのアナウンスが、いよいよ決戦の近いことを教えている。

 しかしまあ、作者が用意している展開にとっては必要なことなのだろうし、もう一人の主人公とでもすべきテス(朴泰秀)とケンの対照をビルドアップするための手続きでもあるのだろうけれど、重要な人物の裏切りはアウトローもののパターンだよね。どうせ裏があるんでしょう、これ、と深読みしちゃう点を含め、巨大化した組織(複雑化したシステムやルール)の外側に主人公をいったん締め出すことで、本来は規模のでかい政治とリアリティとを緻密にシミュレートするのではなく、それを個人的な理想や野心、人間関係や生き様などのシンプルな問題にすり替えることができるのだ。もちろん、読み手の多くが見たいのは、ケンとテスの対照が、ドラマティックであり、エモーショナルであるような正念場を連れてくるところなのだから、方向性としては正しい。

 他方、読み手の多くがどれほど期待しているのかは知らないものの、ほとんどギャグでしかないスケベなシーンはもういいのでは、という気がする。以前のようにストーリー上のブレイクを挟まなくともいい。なにせクライマックスだ。作者の欲望がスケベなシーンを必要としているのかもしれないが、前巻で明らかな通り、シリアスな局面でのすぐれたカタルシスはそれだけで充分にサービス・カット以上の役割を果たしているのである。

 19巻について→こちら

・その他Boichに関する文章
 『ラキア』5巻(原作・矢島正雄)について→こちら
 『HOTEL』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
2013年11月23日
 いじわるシロップ 2 (フラワーコミックスアルファ)

 畑亜希美の『いじわるシロップ』は、そのいかにもスウィートぶった題名とは裏腹に極めてシリアスなプロフィールを持った女性を主人公としている。心に負荷のかかったヒロインが、ほかの誰かとのロマンスを通じ、負荷から解かれていくというあらましは、前作の『2度目の恋は嘘つき』に通じるところでもある。が、『2度目の恋は嘘つき』と比べものにはならないぐらい、こちらの主人公の境遇はヘヴィである。

 大学時代、初恋の男性と婚約したはいいが、家庭の事情により、破局してしまう。彼とのあいだにできた子供を一人で育てていたはいいが、五歳のとき、その息子が交通事故で亡くなってしまう。ショックのせいで声を発せられなくなってしまう。ヒロインである華鈴がいかなる負荷を抱えているのかは1巻の途中で明かされているし、こうしたプロフィールだけを取るなら、それは確かに不幸なものであろう。

 息子の保険金、口をきけなくなった今も自特別待遇で雇ってくれている会社、金銭的には不自由があるとはいえない。にもかかわらず、華鈴はそれらの恩恵を当然のものとして受け入れることができない。おそらくは自分の不幸を、あるいは不幸であるがゆえに自分が一個の人格としては認められていない、他からは一個の人間として必要とされていないその事実を受け入れることになってしまうからだ。かくして彼女は、甘いものが好物であったことからパンケーキ屋でのアルバイトをはじめるのだった。

 華鈴が入ったそのパンケーキ屋は二人の男性によって営業されている。日奈太と玲音の二人である。彼らは決して仲がよいわけではない。しかし、高校時代からの奇妙なライヴァル意識が腐れ縁となり、一緒にパンケーキ屋を開くことになったのだ。当然、そこにヒロインが介入してくることで、恋愛の、三角関係の様式が成り立っていき、2巻では、その様式が、物語における起承転結の「承」であり「転」であるような展開をもたらすこととなっている。

 最初に述べた通り、ヒロインのプロフィールは重たい。だが、お話はさほど暗い印象となっていない。ラブコメのユーモラスなパートをハキハキと描く作者の、これまでの作品にも見られてきた手腕がそうさせているのだ。反面、ヒロインのプロフィールがメロドラマを喚起するための単なる諸要素にしかなっていないところがある。これを欠点に挙げることができる。

 だが、最も注目されなければならないのは、心に負荷のかかった主人公が、ほかの誰かとのロマンスを通じ、負荷から解かれていくその様子なのであって、ロマンスのマジックだけが、本来は不幸であるはずの彼女の喜びや悲しみを充分に一般化しうる。そこに大きな意味が割かれていることなのである。

・その他畑亜希美に関する文章
 『真夜中だけは好きでいて』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『ベイビー☆キスをどうぞ』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『ベイビー☆お手をどうぞ』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
2013年11月22日
 cha51.jpg

 新しさはない。すごさもない。だが、おもしろい。引き込まれるものがある。『週刊少年チャンピオン』No.51に掲載された読み切り、掛丸翔の『少年ラケット』は正しくそのようなマンガだと思う。

 卓球(スポーツ)を題材にした作品である。主人公の黒部伊地朗は一年半前、住居のアパートが火事となり、男手一つで自分を育ててくれた父親を亡くし、さらには以前の記憶も失ってしまった。記憶が戻らないまま、親戚の家に預けられ、中学にあがった彼は、イチローという有名選手と同じ名前をきっかけに野球部に入ったはいいが、プレイヤーとしての実力はまったく冴えなかった。しかしある日、イチローの学校に卓球の世界では全国レベルの選手である少年、中村ヨルゲンが訪れたことから運命は変わる。ヨルゲンはイチローの過去を知っていた。二人には繋がりがあった。そう、かつて交わした約束を果たすべく、ヨルゲンはイチローのもとにやってきたのだ。

 プロフィールに欠落を抱えた主人公がいて、ライヴァルの登場があり、対決を経ることで獲得がもたらされる。プロットは非常にシンプルだといえる。ギミックを最小限に抑えながら、ヤマ場まで話を進めていき、そこでちょうど題材とテーマとが折り重なるようになっている。イチローだから野球部という安易な発想も終盤できちんと裏返るタイプの伏線だろう。

 空間を広く取った試合の場面は、登場人物たちの動きを生き生きとさせている。メンタルの代替であるセリフやモノローグが、ボールの行き来するフィジカルな描写を邪魔していない。

 主人公とライヴァルの関係にはまだまだいくらでも展開のできそうな余地があるし、まとまりがしっかりしている分、全体のヴォリュームに物足りなさを感じないでもない。読み切りの形式云々よりむしろ、連載の一話目かよ、という印象が強いのだった。が、結局のところ、それは最初に述べた通り、引き込まれるものがちゃんと作品のなかにあることの証明にほかならないのである。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
2013年11月15日
 Still

 2011年の前作『WORTHLESS』で1曲目を飾った「HOMETOWN HERO」が猛烈に好きである。そもそもがパワー・ヴァイオレンスと目されるようなバンドであって、根っこの部分にはグラインドコア、デス・メタル、スラッジ、カオティック・ハードコアの怨嗟が渦巻いていたわけだが、そこにENTOMBEDのデス・ロールや初期THE HELLACOPTERSのガレージ・パンクが流れ込んできているみたいでもあり、当然、鼻息をふんふん荒くさせるのだった。近年のCONVERGEを引き合いに出してもよさそうな路線かもしれないけれど、WEEKEND NACHOSの方がアンダーグラウンドくさいし、ロウ・ファイで未整合な分、生々しい感じがするね。その米イリノイ州シカゴ出身の4人組、WEEKEND NACHOSが『WORTHLESS』に続けて放つフル・アルバムが今作の『STILL』になる。これがまたすこぶるメーターの振り切れた作品だから、ああ、期待を裏切らないってのはまさにこのことよ、であろう。

 印象としては『WORTHLESS』のヴァージョン・アップといえる。コンパクトな楽曲のなかで何段階もテンポがチェンジするのはもちろん、ぐちゃぐちゃに歪んだスローなグルーヴは残しつつ、スピードの強調性と同義であるようなドライヴにより磨きがかかってきている。それはギターの弾くリフがシャープさを増し、一音の輪郭がはっきりしたためだと思う。CDケースの背面にBOLT THROWERやCARCASSのTシャツを着たメンバーの写真が載っているが、確かにそれらの影響を匂わせるような荒削りでフックの強いシャープさである。ツウ好みのエッセンスを消化しながら、しかし完全に現代仕様のエクストリーム・ミュージックを確立しているのだ。スタイリッシュとは無縁のサウンドも、激情を剥き身にしたヴォーカルのアジテーションも、ドドドと溢れる原初的なエネルギーをよく伝えてくるもの。アルバムのラストに置かれた12曲目の「STILL」はタイトル・トラックに相応しい。底の見えない悲しみから這い上がってき、際限を知らない怒りへと達するかのようなダイナミズムがある。

 他にも「S.C.A.B.(SOME COPS ARE BASTARDSの略)」「SICKENED NO MORE」「NO IDOLS AND NO HEROES」「SATAN SUCKER」「YOU'RE NOT PUNK」など、物騒なタイトルのナンバーが並んでいるけれど、名は態を表すという言葉の通り、おまえらみんなクソ食らえ、のアティテュードが全編に渡って漲っている。

 バンドのFacebook→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2013)
2013年11月11日
 Youth

 エモ・ポップ、ポップ・パンク、ソフト・ハードコアのようなポスト・ハードコア、それらのエッセンスを若い世代として確かに汲みながら、アップ・テンポにはじけ飛ぶのではなく、ミドル・テンポやスロー・テンポの楽曲を主にメランコリックなメロディを溢れさせている。これがアメリカ中西部で結成されたCITIZENのファースト・アルバム『YOUTH』の大きな特徴であろう。

 海外のレビューでは、TITLE FIGHTやDAYLIGHT、SEAHAVENであったり、イギリスのBASEMENT等の名前が引き合いに出されているみたいだが、なるほど、エモーションの熱い部分とシンガロングのパターンとが同期している点は正しく共通する。反面、CITIZENの場合、もしかしたらヴォーカルの声質によるところがあるのかもしれないけれど、男泣きを誘うような渋さ、濃さ、タフネスをそのサウンドのなかに聴くというよりフラジャイルでいて、センシティヴな揺らぎをもっと前に出してきている印象だ。

 エモ・リヴァイヴァルの一群に数えられることもあるらしいが、個人的には90年代のイギリスで活躍していた頃のSYMPOSIUMやIDLEWILDを思い出した。要するに普遍的なユース・カルチャーとしてのオルタナティヴ・ロックといえるのである。この意味で目新しさはない。かわりにアルバムのタイトルとなっている『YOUTH』そのものを現在進行形のイメージにし、強みに変えていく。

 1曲目の「ROAM THE ROOM」と3曲目の「THE SUMMER」は、このバンドの瞬発力がいかほどかを教えてくれる。前者はトップに置かれるだけあり、アルバムにおいて最もアグレッシヴなナンバーだ。後者では切なさと激しさとが入れ替わりながら、デリケートなドラマを鮮やかに織り成している。ベースのリフが基礎となっている楽曲が多い。そこにギターがダイナミクスを加える。ヴォーカルはときに叫び、ときに喘ぎ、胸の底から込み上げてくるパッションをアピールする。

 シューゲイザーのニュアンスが、轟音が入ってきているかのような5曲目の「THE NIGHT I DROVE ALONE」は、全体のハイライトである。続く「How Does It Feel?」「SPEAKING WITH A GHOST」と似通ったタイプの楽曲が中盤に集まっていて、正直なところ、もうちょいヴァラエティが欲しいかな、という気もするが、もしも連作短編に近い結構が目指されているのだとすれば、納得がいく。そこが良いとはかぎらないにしても、作品の評価を著しく下げるものではない。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2013)
2013年11月08日
 佐藤由幸の『弾丸タックル』は、いじめられっ子だった男子学生が、スパルタ・タイプのエキスパートと出会い、特定のスポーツ(格闘技)に取り組みはじめ、次第に才能を開花させていくという、要するに『はじめの一歩』を代表とするようなマンガのヴァリエーションであって、題材となっているのはレスリング(アマチュア・レスリング)である。ついでに述べれば、母親思いの主人公は進んで家業を手伝っていたおかげで基礎体力や自身の特性を養っていたことになっているのだが、無論、そうしたストーリーの類型性は様式の問題でしかないし、むげに否定されるべきものではないだろう。少なくとも、硬質な絵柄と迫力のあるカットを通じて、競技の躍動感はよく出ている。そのことに焦点を絞って見るなら、充分な成果を備えていると思う。ただし、ライヴァルと目される登場人物たちも揃ってき、レスリングの初心者であった主人公も最初の試合に勝利しているにもかかわらず、3巻に入ってもまだ、がしっとガッツ・ポーズを決めたくなるほどのカタルシスが不足したまま。そこが作品の弱さになってしまっている。主人公のモチベーションが確定されていない状態で、単にストーリーが前へ前へと進んでしまっているせいだ。発端はどうであれ、強くなりたい。本当はそれだけでいいのだ。そもそもが様式である以上、動機の部分にもしっかりとした基盤が必要となってくる。おそらく、作者もそのことに気づいている。気づいているので、主人公の朝日昇を試合直前に逃亡させ、カムバックさせるという手はずを取り、なんとかモチベーションを確定させようとしているのではないか。現状、肉体は具体的に描かれているものの、ハートを描くことの魅力は掴み損ねている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(2012)
2013年11月04日
 ギャル男vs宇宙人 (ビッグコミックス)

 私的な印象だが、以前から一時期の『ヤングサンデー』みたいな作風だな、と思っていた吉沢潤一なので、『ヤングサンデー』を吸収した『ビッグコミックスピリッツ』に活動の場を移してもさほど違和感はないだろう、と踏んでいたし、ヤンキイッシュ(あるいはDQN的)なリアリティを横溢させていたはずの物語がどうしてか、所謂セカイ系を彷彿とさせるスケールの抽象性へ突入していき、唐突に日常そのものが改編されてしまったかのような結末を迎えるという手順は、この『ギャル男vs宇宙人』も過去作と同様である。

 確かにこれまでとは違い、地方都市ではなく、大都会の渋谷を舞台としていたり、題名に示されているギミック、エイリアンとの対決が加えられていたり、新しい要素を付け足してはいるものの、異なった価値観の衝突を暴力の渦として描写し、描写のリミットをほとんど解除してしまうことでB級映画にも似た独特のテンションを得ているところなど、基本の路線に揺らぎはないのであって、まあ、そこが一時期の『ヤングサンデー』みたいな作風を思わせる点になりえているのだ。

 2010年代の現時点において(おそらく)誰よりも沢山のマンガに推薦のコメントをしているミュージシャンである綾小路翔が、コミックスのオビで「いいから読め。読めばわかるさ」といっているけれど、ロジカルな紹介よりはそうした勢いの方が相応しい。まとまりがあるのかないのか。全体の構成が決まっているのかいないのか。とりとめのなさが、しかし猛烈なパワー・トリップを引き起こしているのだ。事実、『ギャル男vs宇宙人』はドラッグについての話でもある。

 主人公はセンター街を根城とするギャル男の村田と、センター街の顔であるようなイケメンさん、テツのコンビだ。村田には三頭身というなんともキテレツなルックスが与えられている。それがどうして対照的な存在であるテツに大切な後輩のごとく目をかけられているのか。理屈ではない。男同士のパートナー・シップは『ギャル男vs宇宙人』の中軸である。彼らが知り合いのミュウをひどい目に遭わせた会社員に追い込みをかけるが、その会社員、杉本の正体が異常な戦闘力を持ったエイリアンであったことから、逆に追われる側として立場を逆転させられてしまうのだった。

 村田やテツの(セックスを含めた)ライフ・スタイルにはドラッグが介在している。ドラッグはまた、彼らと杉本とに共通した一つのラインである。ラリってハイになること、そのピークの追求において、人類(若者)とエイリアン(中年)のあいだに区分は見られなくなっている。

 ドラッグやそれを伴う(もしかしたらレイプなのではないかと疑いが持たれる)セックスに向けられた積極性は、両者に揃って内蔵された回路だといえる。杉本によってミュウが傷つけられたことに村田やテツは憤る。が、それは杉本の暴力を必ずしも否定するものではないだろう。それは自分の属している共同体であったり、ルールであったり、トライブであったりを、第三者が侵害してきたことへの怒りにほかならない。この意味で、村田たちにとって杉本は正しくエイリアンのポジションに位置付けられるし、その結果、異なった価値観の衝突と暴力の渦とが生じているのである。

 もちろん、表面上はドラッグやレイプが肯定されているのではないか。少なくとも善悪の基準がはっきりしていないではないか。登場人物が議論めいた言葉をふっかけるわりに欲望と倫理とがぐちゃぐちゃではないか。こうした批判は出るべきだ。しかし、『ギャル男vs宇宙人』が描いているのは、要するにハレとケの「ハレ」にあたるのだろうけれど、カーニヴァルやフェスティヴァル、パレードの状況下に動員される複数の個人(モブ)のイメージであって、そのエネルギーなのだと思う。それが「ハレ」の場であるとき、「ケ」における裁定が免責されることもある。

 むしろ、エイリアンとのどんちゃん騒ぎを経、憔悴に行き着いたはずの主人公たちが、それでも間を置けば再び、お祭り騒ぎの夢想に引っ張られていってしまう式のルーティンにこそ、注目されたい。パーティにも飽きがき、日常が改編されようとも、そうしたルーティンだけは永続していく。『ギャル男VS宇宙人』のなかで最も「生身」を感じさせる箇所だといえる。

・その他吉沢潤一に関する文章
 『★無目的無償★』について→こちら
 『デザート』2巻について→こちら
 『足利アナーキー』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
  1話目について→こちら
  番外編「乙女シンク」→こちら
 「ボーイミーツガール」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
2013年11月01日
 This Savage Land

 先般リリースされたTROUBLEの『DISTORTION FIELD』とMONSTER MAGNETの『LAST PATROL』それからこのBLACK SPIDERSの『THIS SAVAGE LAND』で、二の腕の太そうなロックン・ロールをたっぷり充電したぜ。二の腕の太そうなロックン・ロールのどこいらに価値を認めたいかといえば、やはりそのパワフルにはじかれるギターのリフがせこい立ち回りを一蹴するかのようなガッツをぶんぶん漲らせてくれるところにある。及び腰で臨むことをまったく知らない。無骨なアティテュードを前面化した楽曲、演奏、サウンドに、俄然、燃えるのである。周知の通り、TROUBLEとMONSTER MAGNETはアメリカのバンドであり、前者はドゥームを、後者はサイケデリックを基礎としているが、イギリスの出身であるBLACK SPIDERSの場合、それらと同様にLED ZEPPELINやBLACK SABBATHをルーツとして持ちながら、メロディもビートも、もっとぐっとアッパーに跳ねている印象だ。当然、MOTORHEADやAC/DCのヴァイブレーションも受け継いでいる。

 フロントマンのピート・スパイビーが元GROOP DOGDRILLだというキャリアは、現在ではもはやアドヴァンテージにならないだろう。が、彼の特徴的なヴォーカルは、やはりこの手の野郎臭いサウンドにぴったりハマっているし、パンクとハード・ロックとを、ブルーズとヘヴィ・メタルとを、体感のレベルでミックスしたバックの演奏、そこにセクシーなアクセントをひとつまみ加える。3本のギターはもちろん、ベースとドラムの響きも分厚い。楽曲の構成はストレートなのに、強いフックがあり、ちょっとやそっとじゃひしゃげないだけのグルーヴが、ダイナミズムが、全編に備わっているのだ。ファースト・アルバム『SONS OF THE NORTH』(2011年)の時点で既に完成されていたスタイルであるけれど、セカンド・アルバム『THIS SAVAGE LAND』では、その肉付きがさらに逞しくなっている。

 ドラムの紹介がそのままイントロを兼ね、ヴォーカルの「ウッッ」という気合いがばっちり決まった1曲目「KNOCK YOU OUT」から、二の腕の太そうなロックン・ロールが豪快に溢れかえっている。リフ、リフ、リフ。そして、中盤のブレイクに挿入された〈Heavy Metal Rock'n Roller Music And Dopers(註・筆者聴き取り)〉のフレーズに、正しくノック・アウトされる。勢いがある。その勢いは、続く「STICK IT TO THE MAN」に持ち越され、より激しさを増していくのである。ミドル・テンポへとスピードを落とした3曲目「BALLS」や4曲目「YOUNG TONGUES」にさえ、ヘッド・バンギングと握り拳に見合ったドライヴがある。5曲目「PUT LOVE IN ITS PLACE」のようなパワー・バラードには、立ちのぼってくるエネルギーのかわり、男泣きにむせぶセンチメントがあるだろう。アルバムのなかで最もスロットルを開けた8曲目「TEENAGE KNIFE GANG」は、ありったけのフラストレーションが衝動とともに叩きつけられる瞬間だ。

 ラスト・ナンバーの10曲目「SLEEPY DEMON」からは、ストーナーとのシンパシーが感じられる。もちろん、スロウなうねりはクール・ダウンのためなんかじゃない。ルーズでいて、酩酊しているようでいて、しかしそれでいて扇情性があり、最後の最後まで、大音量のぴったり似合った作品となっているのである。

『SONS OF THE NORTH』について→こちら
『CINCO HOMBRES (DIEZ COJONES)』EPについて→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2013)