ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年03月30日
 SOUL 覇 第2章 3 (ビッグ コミックス)

 武論尊が三浦健太郎と組んだ作品に『王狼』とその続編『王狼伝』というのがある。ジンギス・カンの正体は源義経だった説にタイムスリップのアイディアをミックスしたものである。池上遼一とのタッグによる『SOUL 覇 第2章』のエンディングを目にしながら思い出したのは、実はそれであった。いや、もちろん、SFとして描かれているわけでは決してない。そうではなく、古代アジア大陸の歴史に日本人が介入すること、そして、介入した日本人はあくまでもカリスマの影武者であるような役割を果たしていることが共通しているのだ。

 しかしまあ、題名をあらためてからわずか3巻で完結した『SOUL 覇 第2章』である。これがスケジュール通りだったのかは知らないが、『覇-LORD-』との違いを簡単に述べるとすれば、要するに赤壁の戦いをメインに据えた次世代編だったのだろうと思う。もし『北斗の拳』に喩えるとすると、リンやバットが成長して以降、あるいはリュウが登場して以降のパートに相当する。古い世代と新しい世代のバトン・タッチを描いているところがある。いや、バトン・タッチは世代間のみならず、「劉備」や「孫権」のブランドをめぐって行われてもいる。関羽が燎宇から「劉備」の名を奪おうとし、本物の孫権を殺した周瑜が自らを「孫権」と称するくだりもある。

 てっきり「三国志演義」の翻案と見られていたものが、なんと「三国志」中の「魏志倭人伝」の空想化だったと明かしているのが『SOUL』でもある。この意味において、中国史を題材としているにもかかわらず、日本人(倭人)を主人公にすることができたともいえる。いずれにせよ、大胆な解釈が施されている点に変わりはない。「王」ではなしに「皇」を抱き、その下に民主制らしき形態を敷いた「蜀」があって、宗教国家として一丸となった「呉」があり、それらに対抗する「魏」がある。これが『SOUL』にとっての「三国志」である。無論、「蜀」が代替しているのは戦後日本のイメージだと容易に推測されるし、おそらく、大衆を改革しようとした燎宇や関羽の姿には『サンクチュアリ』や『HEAT-灼熱-』のテーマが入り込んできているのではないか。

 ただ、常元の扱いは最後まで定まらなかったな。いや、徹底したゲス野郎ではあったのだけれど、物語の駒としては弱かった。常元ばかりではない。終盤、諸葛亮や馬超のぶっ飛んだアピールは決して悪くはないのだが、正直、初期の呂布や董卓を越える人物はついに発明されなかった。

 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

 『覇 -LORD-』
  19巻について→こちら
  17巻について→こちら
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  2巻について→こちら
  1巻について→こちら

・その他武論尊(史村翔)に関する文章
 『SILENCER』(画・ながてゆか)1巻について→こちら
 『DOG LAW』(画・上條淳士)について→こちら
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2013年03月25日
 冬の旅

 近年、吉田修一や阿部和重、中村文則の例を挙げるとすれば、21世紀に純文学が発見あるいは再発見したものの一つは犯罪小説であったといえよう。後輩の芥川賞作家たちに触発されたのかどうかは知らないが、辻原登の『冬の旅』もまた大変立派な犯罪小説となっている。20世紀を舞台にして、ワイドショー的なリアリズムを採用しながら、一体「悪」がどこからやってき、何に宿るのかを観念のレベルで探るかのような小説になっているのである。

 その男、緒方隆雄はつい先ほど服役を終えたばかりだった。二〇〇八年、六月八日。つまりは秋葉原で通り魔事件が起こったあの日のことだ。もちろん、それは緒方の人生とまったく関わりがない。少なくとも緒方にとってはどうでもいいのである。滋賀の刑務所を出て、大阪に戻った彼が五年分の作業報奨金、約十七万円を使い果たすのは早かった。当面の宿泊費を払い、二晩、風俗店に通った。二度づけOKの串かつ屋で飲み食いもした。少なくなった手持ちを増やそうと競艇に賭けて、負けた。たったそれだけ。俗っぽいし、しょっぱくもある。お決まりのパターンであるようにも思われる。

 だが、たとえばそれをお決まりのパターンだというとき、いかなる因果によってそれはそういう風に「決まっている」「決められている」のだろうか。こうした問いを引き受けるかのように、やがて物語は、なぜ緒方が刑務所に入らなければならなかったのか。京都の専門学校を卒業してから様々な道筋を経、犯罪をおかし、逮捕されるまでの十数年間を回想していくこととなる。ああ、「私は別様に生きえたのに、このようにしか生きえないのは何故であるか」そして「おれの最初の躓きは何だったのか」

 本編のおおよそを占めるのは、緒方隆雄が三十八歳となる二〇〇八年をさらに遡った過去の出来事であって、それは90年代から00年代の前半を丸ごと包括している。バブル経済の崩壊があり、地下鉄サリン事件がある。阪神・淡路大震災が起こったとき、緒方は何をしていたのか。もしくはその後、どういういきさつがあって強盗致死事件の共犯者となってしまうのか。看護婦だった妻が失踪し、変死を遂げる。新興宗教の広報として活躍していたのに、横領がバレ、多くを失う。三十歳を目前にして、彼の人生はまるで下り坂に入っていくのである。

 一見、『冬の旅』は、緒方の物語である。が、同時に何人かの並走者がいる。刑務所のなかで誰からも惜しまれずに亡くなる老人の久島や、現代的なサイコパスを彷彿とさせる大学生の白鳥がそうであろう。彼らは人生のある時期に緒方とわずかな接触を果たしたにすぎない。実際、男性の鎖骨のその窪みにエレクトする白鳥青年が、染色体に異常を持っていること、中学生の頃に同級生の少女を殺害したこと、大学を辞めた後、神を捜してアメリカに渡ったこと、日本に帰ってきてから再び殺人をおかし、保護病棟の独房へ収監されたことなど、緒方は最後まで知る由がない。我々読み手は単に、別個に存在する緒方と白鳥の人生を並べて、覗き見するのみなのだ。

 久島についても等しく、詳細なプロフィールが次々語られる反面、緒方はその一端しか知れない。これによって、登場人物が他の登場人物にどう関与したか、影響を及ぼしたのかはある種の保留状態において推測されるよりほかなくなってくる。要するに、彼らは「点」として作中に打たれているのであって、その「点」と「点」のあいだに明確な「線」は引かれない。いや、いったんは「線」で結ばれはするけれど、切れてしまったのか。消えてしまったのか。結ばれたままだとしても、直接には可視できなくなっている。その、目ではとらえられない。具体的には示しえない「線」の存在こそが、おそらくは因果というものなのだろう。

 もしも、緒方の最初の躓きが白鳥との出会いにあったとしよう。しかし、それが真か否かは誰にも証明できない。同様に彼が犯罪をおかした際、何がそうさせたのかも一概には判じきれない。緒方も、久島も、白鳥も、完全に別個の人間である。だが、「繰り返す」存在として共通しているようにも思われる。無論、躓きを、しくじりを、犯罪を繰り返すのである。「悪」がそうさせるのだとすれば、それはどこからやってくるのか。それが宿りうる人間には相応しい条件が備わっているのか。当然ながら、誰にも断定できない。断定する資格が誰にもない。

 結局のところ、緒方隆雄は以前とは異なった形で犯罪を繰り返す。刑務所を出て、一週間も経たず。熊野まで仏参りに行った先で、自分に向かってくるパトカーのサイレンの音を聞くのである。しかし、不思議とそれは彼を勇気づける。〈これまでずっと、あれよあれよと流されるままに生きてきたが、いまは違う〉と。〈おれはおれの人生に別の意味合いをみつけた上で、縛り首になるんや〉と。あたかも天啓のように響く。そして、そこで緒方の『冬の旅』は終わる。
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2013年03月24日
 彼女の血が溶けてゆく (幻冬舎文庫)

 まさか、まさか。まさか、ファン以外の方にも安心して読ませられる浦賀和宏の小説が存在するだなんて。いやまさか、その一点が『彼女の血が溶けてゆく』における最大の驚きであって、裏を返すなら、他の作品に見られるカッティング・エッジであるような魅力は影を潜め、一編としての整合性を高めることに照準を絞った物語が書かれている。この作者にかぎっては、良くも悪くも、ということになるだろうか。思わず、きいい、と感情を逆撫でされたり、目を剥いてしまうほどの強烈さ、インパクトはない。かわりに、うっかりしたら、だよ。希望や再生にも似た光明を受け取ってしまいかねない結末が用意されており、その意味で、ファン以外の方にも安心して読ませられるものとなっているのだ。

 離婚した妻は大手の病院に勤める内科医であった。彼女が誤診によって一人の患者を死なせてしまい、遺族に訴えられ、スキャンダルの的となったことから、現在はフリーランスのライターとして週刊誌で活動している主人公は、依頼と私情とを通じ、事件に関わっていくようになる。溶血と呼ばれるその症状は必ずしも死に直結しない。ではなぜ患者は死ななければならなかったのか。やはり診断に手違いがあったのか。あるいは別の原因があるのか。かつての妻や患者の遺族に取材するうちに、主人公は予想もしなかった真相へと辿り着くのだった。

 こうした筋書きは、一般的に医療ミステリと称されるのに近い印象をもたらす。実際、普段馴染みの薄い症例や用語が事件の骨格を担ってはいるのだが、物語の指針は、医療のシステムや社会上の問題ではなく、あくでも個人の内面に向いている。登場人物の内面に秘せられた謎を、探偵役の主人公が解いていくそのプロセスに二重三重の仕掛けが凝らされているのである。かくして、医療の分野に対する目配せを経ながら内面の謎が解かれるとき、運命や不幸は遺伝子のレベルで決定されるという、つまりは浦賀和宏に特徴的なテーマをこれもまた負っていることがわかってくるだろう。根源的な呪いと換言してもよいそれをめぐり、しかし従来の作品とは毛色が違って、現実から大きく飛躍した終末論や陰謀論は絡んでこず、むしろ靴底をすり減らすかのように地道な展開のなか、サプライズの埋め込まれていることが『彼女の血が溶けてゆく』の機軸を兼ねている。

 この世界に見捨てられたと信じている者が、その認識から救われるためには、この世界の有り様を作り変えようとするよりほかないのか。所詮、それは悲劇や惨劇に等しい結果をもたらすのに相応しい方法でしかないというのに。

 降って湧いた好機をことごとく叩き潰すかのような成り行きは、もちろんこの作者が得意とするところであって、『彼女の血が溶けてゆく』も本質としては同様の手はずを整えている。当初は単なる誤診と目されていた事件が、しかし真相に近づけば近づくだけ、徐々に錯綜していくのは、登場人物たちの、この世界は利己の強さによって必ずや書き換えられるという企みの折り重なりこそが、のっぴきならないミステリの正体であったことを並行的に暴いているためだ。ああ、そうか、そういうことだったんだ、と納得のいく答えを得られたとしても決して胸がすくわけではない。基本はグロテスクなお話である。が、先に述べたことを繰り返すけれど、それでも結末でうっかり、希望や再生にも似た光明を受け取ってしまいかねない。なぜか。最後の方に置かれた主人公の言葉を借りるのであれば、〈俺は何故ここに来たのか? そう自問する。女の肌を求めたからか。それともただ寂しさを埋めるためか。どちらも正解だろう。だがそれだけではないはずだ――〉とされる〈だがそれだけではないはず〉のことが、確かに決心され、示されている。そこに暗澹たる気分を少しばかり拭うような手応えが現れているのである。

 ただし、これが肝要なのだが、作中で「贖罪」といわれる主人公のその決心は、一昔前のギャルゲー(泣きゲー)に見られた倫理とさほどかけ離れてはいまい。白痴もしくは難病を患っていることがイノセントの保証となっているような少女を媒介にして、なんらかの正当性を自分に課そうとしている。無論、「贖罪」の対象である登場人物は最早少女の年齢じゃないじゃねえか、と口を挟むことはできるものの、明らかに白痴であり難病でもありうる少女のイメージを仮託されている点に注意されたい。おそらくは意図的に、感動してもいいよ、というサインが組み込まれている。

 エンディングにゲームセンターが選ばれているのは、もしかしたらインターネット上でちょっと前に拡散された例の「ゲーセンで出会った不思議な子の話」を参照しているのかもしれない。そうした参照が善意によるものであれ悪意によるものであれ。件のエピソードが受けたりもするのだから、この意味で、もう一度いうが、ファン以外の方にも安心して読ませられるのではなかろうかと思う。

・その他浦賀和宏に関する文章
 『女王暗殺』について→こちら
 『萩原重化学工業連続殺人事件』について→こちら
 『生まれ来る子供たちのために』について→こちら
 『地球人類最後の事件』について→こちら
 『堕ちた天使と金色の悪魔』について→こちら
 『世界でいちばん醜い子供』について→こちら
 『さよなら純菜 そして、不死の怪物』について→こちら
 『八木剛士史上最大の事件』について→こちら
 『上手なミステリの書き方教えます』について→こちら
 『火事と密室と、雨男のものがたり』について→こちら
 『松浦純菜の静かな世界』について→こちら
 「三大欲求」について→こちら
 「リゲル」について→こちら
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2013年03月22日
 デスルデス (ニチブンコミックス)

 ファンの立場からすると、やはり鈴木大(鈴木ダイ)の良さはヤンキー・マンガにはねえだろう、SFやファンタジーでアクションをやってくれよ、と思っていたのだった。が、そうした期待と近いラインの作品に『デスルデス』はなっているんじゃないか。冴えないタイプの少年と異世界からやってきた美少女によるラブコメのようであり、それとバトルをミックスしているようでもある。

 不運に見舞われてばかりのその少年は果たして本当にツイていないだけなのだろうか。いや、確かに三月漢太は日々散々な目に遭っている。それでもいつだって明るい笑顔でいられるのは持ち前のメンタルがポジティヴなおかげで、これを周囲の人間は単に客観性の低いプラス思考と見なしているのだけれど、実際にはもっと大きな運命の歯車が動き、それに左右されていたのである。なんと、漢太は死神に命を狙われていたのだ。本来は死ななければならない人間であった。だが、どれだけの災難をもたらされてもことごとく生き延びてきた。この意味においてはむしろツイている。誰よりも幸運だとしていい。なぜ漢太は死なないのか。彼を殺せなかったせいでエリートの地位を失った死神、ドルニエ=F=カルアは名誉を挽回すべく、人間界に参上する。是が非でも漢太の命を奪わなければならないのだ。それがいつの間にか漢太のペースに巻き込まれ、奇妙な同居生活を営むこととなっていく。

 1巻の中身を受け取るかぎり、『デスルデス』は今どきのライトなフィクションにおけるパターンを踏襲しているにすぎない。カップルの相克が終末論めいた物語の導入になっている点を含め、目新しさはほとんどないし、正直なところ、鈴木大がわざわざこれをやる必要もたぶんない。しかし、たとえ世界が無慈悲であろうとも正義を信じ、熱血的な振る舞いを照れ隠しにしない若者の姿は、初期の『BANG2』や『BANZAI』に通じるものであって、にわかにキャッチーであるような部分ではなく、そこに好意を持つ。

・その他鈴木大(鈴木ダイ)に関する文章
 『クローズLADIES』アンコールについて→こちら
 『クローズLADIES』について→こちら
 『春道』1巻(キャラクター協力・高橋ヒロシ)について→こちら
 『ドロップ』(原作・品川ヒロシ、キャラクターデザイン・高橋ヒロシ)
  7巻について→こちら
  5巻について→こちら
  1巻について→こちら
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2013年03月18日
ダ・ヴィンチ×PLANETS 文化時評アーカイブス 2012-2013 (ダ・ヴィンチブックス)

『ダ・ヴィンチ×PLANETS 文化時評アーカイブス 2012-2013』で、マンガ全49作品のクロス・レビューに参加しております。以下、私的なお詫びというか訂正というか注釈というか。一部採点をバラしてしまうことになるため、隠しておきます。続きを読む
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2013年03月09日
 デザート(2)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

 吉沢潤一が前作の『足利アナーキー』とこの『デザート』で何をやろうとしたのか。正直なところ、よくわからないのだけれど、一種異様な個性を確立しつつあるのは明らかである。もしかすれば、浅野いにおと平川哲弘のあいだのどこかに置くことのできそうなその作風は、つまりリアリズムをファンタジーとして描くこと、あるいは反対にファンタジーをリアリズムとして描くことを基礎にしているのだったが、しかし、ポップ・パンクを愛好するこの若いマンガ家の場合、あまりにも直接的な言語の指示とほとんど暴力的なイメージの奔流とが、果たしてそれが意図なのか脱線なのかはともかく、本筋やテーマを見えにくくしてしまう。突拍子もない振る舞いに、ラディカルであったりアヴァンギャルドであったりするのに近い迫力が備わっているのだ。

 私見を述べるなら、『足利アナーキー』は、ヤンキー・マンガ版『ONE PIECE』であるように思われた。日本一のギャングを目指すという主人公の目的は、ルフィにおける海賊王のテーマを代替しているのだし、実際、それが並みいるアウトサイダーたちを特定の集団にまとめ上げていく。こうしたプロセスが本筋を担っていた。とするのであれば、『デザート』はそれの拡張ヴァージョンと解釈することもできるのではないか。本編の主人公はキノ(紀有希)とデザート(鈴木苺)男女のダブルである。一見するとボーイ・ミーツ・ガールのストーリーを持っているのだが、カップルというより同志であるような二人の関係は、ルフィとナミのそれに重ねられるだろう。当初、デザートは抑圧される人物でありながら信念をなくさない人物でもあった。その彼女がキノによって解放され、彼と道行きを共にすることとなる。他方で、キノの活躍は各々身勝手な不良少年たちを結束させるという機能を兼ねていくのだから、おお、なんて『ONE PIECE』的なんだ。

 が、そうした本筋やテーマにあたるものは、既に記した通り、あまりにも直接的な言語の指示とほとんど暴力的なイメージの奔流を通じ、必ずしもクリアには見られなくなっている。そして、そこが吉沢潤一ならではの個性になっているのである。たとえば、この2巻のクライマックスだろう。デザートと烏山の対決に目を向けられたい。ヒロインVS悪党という単純な構図を、人類や宇宙の存在までをも問う謎の哲学が、過剰なモノローグとなり、さらには飛躍したカットとなって、まったく覆い尽くすとき、ああ、ここに描かれている内容を十分に理解している人間がいたら一体何がどうなっているのか是非教えて欲しい。おそらく、作者自身も完璧には解説しきれない。つまりは感受性のレベルでスペクタクルを再現しているのであって、ロジックには転じえぬインパクトだけは見事に達成されている。

 ことによったら柴田ヨクサルにも通じる。形而上と形而下のシェイクを登場人物のアクションとして戯画に置き換える。いささかアクロバティックなアプローチをこの若いマンガ家は身につけているのである。突如、物語を放り出すかのような最終回を迎えた『足利アナーキー』に比べても『デザート』は短い連載となった。その結果、初期衝動を思わせる質のエネルギーがラストまで維持されたといえる。

・その他吉沢潤一に関する文章
 『足利アナーキー』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
  1話目について→こちら
  番外編「乙女シンク」→こちら
 「ボーイミーツガール」について→こちら
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2013年03月04日
 Anthems

 ギターとヴォーカルの2名からなるユニットに、思わずイギリスのB'zと形容したくなるのだったが、いやいや、それもあながち的を外してはいまいよ。PURE LOVEのファースト・アルバムである『ANTHEMS』には、実に堂々としたハード・ロックが盛り沢山に詰まっているのだ。無論、そのハード・ロックは日本のものともアメリカのものとも性質が異なる。イギリスの、つまりはブリティッシュ・ハード・ロックにほかならない。とはいえ、THE ANSWERのブルージーな濃さともTHE DARKNESSのキャッチーな明るさとも系統が違う。強いて述べるなら、SHARKS(not THE SHARKS)のパンク・ロックをハード・ロックに置き換えたかのような印象がある。ポップで親しみやすいメロディをアグレッシヴに力強く響かせているのである。

 ヴォーカルのフランク・カーターはGALLOWSの初代ヴォーカルであって、ギターのジム・キャロルはTHE HOPE CONSPIRACYに関わっていた。双方、ごりごりのハードコアを出自にしていながら、PURE LOVEで展開しているのが、先にいった通り、実に堂々としたハード・ロックなのはおもしろい。レンジを絞らず、マスをターゲットにしたかのようなアプローチの紛れもないサウンドが、おそらくは『ANTHEMS』という大胆なタイトルへ通じているのだろう。奇をてらうのではなく、ストレートなソング・ライティングを経て、シンプルに削り出されたフックが、個々の楽曲をくっきりさせている。

 先行してリリースされていたシングルは当然全部入っているけれど、PURE LOVEのデビューを知らしめた「BURY ME BONES」は、やはりパワフルでいて、かっこいいね。フランクのヴォーカルには、個性と呼ぶに相応しいアピールがある。男の色気がある。それがメロディの抑揚に従い、扇情的なムードを作り上げていく。雄々しいコーラス、そしてジムのギターは、まあ確かに派手じゃないし、やたらテクニカルなソロが飛び出すわけでもないのだが、ソリッドなリフを十分ソリッドに弾き、しなやかフレーズをとてもしなやかに弾きこなし、コマーシャルな楽曲を非常に熱っぽく、ストイックな印象に引き締めているのである。その他のナンバーも充実している。ヴァラエティに富んでいるといってもいい。

 前半にアーティストの方向性のよく出た楽曲が並んでいるのはもちろんのこと、後半になってもクオリティは落ちず、8曲目のスロー・バラード「BURNING LOVE」で一息ついたかと思いきや、再びギアをドライヴに入れ、ラストまでエネルギーを尽きさせない構成からは、このユニットの地力がうかがえる。ポテンシャルの高さが、失速のない構成を可能にしているのである。また、イギリスのバンドでいえば、TERRORVISIONやCATHERINE WHEEL、FEEDER、最近ではMAXIMO PARKやTWIN ATLANTIC、PULLED APART BY HORSESなどを手掛けてきたジル・ノートンのプロデュースが、モダンであることと同義となるようなエッジを際立たせていて、作品の佇まいは非常にシャープだ。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2013年03月01日
 SILENCER 1 (ビッグ コミックス)

 ながてゆか、史村翔。一部の人間からしたら(自分のことなんだが)強力なタッグによって描かれる『SILENCER(サイレンサー)』の、その1巻である。『銀の聖者 北斗の拳 トキ外伝』に史村(武論尊)がどれだけ関わっていたのかは知らないけれど、両者の持ち味がハード・ヴァイオレントなサスペンスの中によく生かされた内容にこれはなっていると思う。毒をもって毒を制すかのごとく、犯罪者に対し、手段を選ばず、ばんばん銃撃を繰り広げるヒロインの様は、女性版『ドーベルマン刑事』のようでもあるし、彼女に備わった妖しいフェロモンと激しいアクションは、現代版『蝶獣戯譚』のようでもある。が、いずれにせよ、あくどい連中が蔓延り、秩序のくたくたになってしまった世界が、まるで死線として存在するとき、それに殺されないでいるためのギラギラした眼差しが、極端なまでにカリカチュアされた不敵さを可能にしているわけだ。

 いやまあ、実にぶっ飛んだ奴だね、桂木静というヒロインは、であろう。なにせ、研修先のニューヨーク市警で、マフィアのボスをあっさり銃殺。さらには北朝鮮や中国のシンジケートにも容赦なく顔を突っ込んでいく始末である。無論、悪と見なせば、ヒット、ヒット、ヒットであって、このヒットはヒットマンのヒットと同義なのだったが、さすがに殺しすぎだよ。その、一人無法地帯ぶりは常軌を逸しているぜ、と言うよりほかない。ともあれ、明らかな問題行動を咎められることなく、むしろ同僚からは一目置かれ、日本に帰国した彼女が、今度は警視庁を舞台に八面六臂の活躍(でいいんだよね)を見せるというのが、おおよそのところ。なのだけれど、桂木が配属される生活安全対策分室にはもう一人、伊波というアウトロー・タイプの刑事がいて、これが彼女を陥れようとしたり、なかなか一筋縄ではいかない。

 先般、平松伸二が加納錠治を墓場から蘇らせたが、『SILENCER』にはそれへのアンサーを期待させるものがある。序盤、北朝鮮や中国のアンダーグラウンドが出てきたのを見、史村はもしかしたら『覇-LORD-』とは別のレベルでアジア史をやろうとしているのか、あるいは『HEAT-灼熱-』あたりの変奏を組み込もうとしているのかもしれない、と思われもした。今後、そうなっていく可能性がありえないわけではない。しかしながら、伊波が登場して以降の展開は、もっと率直にピカレスクのイメージを押しているふしがある。生活安全対策分室は、要するに『ドーベルマン刑事』における警視庁特別犯罪課のような特殊性を代替しているのだ。桂木は女性でありながら、初期の加納と同じく、史村が得意とする内面や体温を隠したタイプの主人公である。がゆえに、無慈悲にも感じられる。その特徴的なヒロインをながてがとても艶っぽく肉付けしている。
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