ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年02月25日
 花めぐりあわせ 1 (りぼんマスコットコミックス)

 タイム・スリップのファンタジーを使った『おもいで金平糖』の、とりわけ2巻の内容においてレトロな時代への傾倒を見せていた持田あきだが、この『花めぐりあわせ』でよりストレートにそれは出、直接、明治の日本を舞台としたロマンスを描いている。なぜ明治か。作者の趣味である以上の理由があるとすれば、持田がその時代に対して現代の日本にはない(あるいは現代の日本に通じる)力強さを感じ取っているからではないかという推測は容易に立てられるし、実際、そのようなヴァイタリティが作品の魅力へ繋がっているところがあると思う。

 明治35年、貧しい田舎の村から東京の大型書店へ奉公しにいくこととなった少女、穂積きょうが『花めぐりあわせ』のヒロインである。盲目である母親のためにも精一杯がんばるつもりが、しかし一つだけ手違いがあった。奉公先の三室堂が求めていたのは男手だったのだ。働く場所をなくしてしまいそうになった彼女だけれど、必死になって懇願し、かろうじて三室堂に置かせてもらえるようにはなった。無論、店主夫婦の風当たりは強い。だが、辛い目に遭うばかりでもなかった。三室堂の養子である観月慧一郎や三室堂に雇われている作家の佐助に助けられ、励まされ、学びながら、徐々にその見聞を広めるのである。

 作中で、見聞を広めていくという経験は概ねヒロインの喜びと等号で結ばれている。最初は読み書きもできなかった彼女の無学は、当然、物語の背景によっているのであって、読み手の側からは非難の対象とはならない。むしろ無学であることを補っていこうとするその勤勉さは、この物語がどれほど健全であるかを教えているのだし、そうした物語に相応しい主人公であることを証しているのである。差別を導入することでドラマに起伏を作り出すのは、少女マンガに限らず、フィクションのセオリーだけれど、それがここでは近代化の途上であるような風景を通じ、男女の間や貧富の中に明確な壁を横たわらせているのだった。が、その壁を図らずも乗り越えてしまうヴァイタリティが、すなわちヒロインのアピールとなっているわけだ。

 なおかつ、普通、差別を導入すれば暗くなってしまいがちな局面を、なるたけ前向きに明るく、おおらかに描けているのが最大の美点だろう。ヒロインが知り合う(自分と同じ使用人の立場に置かれた)幼い少年、軍が折檻を受けるシーンは結構シビアであるものの、作中のレベルではそれが平常として存在している。これを悪と見なそうだとかこれを変えようだとかの判定は、少なくとも現時点では、登場人物に委ねられていない。ただ、その境遇において、いかなる試練をまっとうするか。悩みや苦しみにくじけまいとする姿を、登場人物の少女や少年たちが共有していること、それこそが作品をダウナーに陥らせない傾きとなっているのである。

 確かに、きょうと慧一郎によるラヴ・ストーリーが本題なのだろうし、現代における格差やネグレクトの比喩と解釈できる部分もあるにはある。しかし、やっぱり。ふとした瞬間に様々な抑圧を振り払ってしまうかのような力強さ、徒手空拳のヴァイタリティに対して何よりエールを送りたくなる。今後の展開をも左右する基調であるに違いないと思う。

・その他持田あきに関する文章
 『おもいで金平糖』1巻について→こちら
 『君は坂道の途中で』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
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2013年02月20日
 男樹〜村田京一〈四代目〉〜 1 (ヤングジャンプコミックス) 男樹〜村田京一〈四代目〉〜 2 (ヤングジャンプコミックス)

 作中に描かれている若者のファッションを見るにつけ、古いよね、と言わざるをえないのだったが、80年代の時点で既に古くなりつつあったマンガ家なのだから、何を今さら、であろう。むしろ、その不変であるようなイズムは、学ランやスーツという基本のデザインにこそ現れているのだと思うしかねえんだ。本宮ひろ志は。そして、まさかの『男樹』新章である。

 ああ、誰が何と言おうと『新・男樹』は傑作であった。それはやはり、京太郎と大友、二人のカリスマに絶対的な主従関係を結ばせたのが大きい。無論、三島や正次もなくてはならない名脇役だったけれど、オリジナルの『男樹』で京介が父から継ぎ、さらには伝説化させた「村田」のブランドを、京太郎が真性のアウトロー・大友を擁し、国家や警察までをも巻き込みながら止揚していく、その破格さに目を奪われるものがあったのだ。京太郎は京介の実の息子であり、「村田」のブランドにおいて、京介の父・正三が初代、京介が二代目、京太郎が三代目ということになる。

 ハッピー・エンドにはなりえない破滅型のファンタジーをハッピー・エンドに持っていった京太郎は決して敗北しない。大友も無敵だと思われた。しかし、男のドラマにとって女は添え物でしかなかったはずの既定路線を変更し、京太郎の娘である京子をメインに置いた『男樹 四代目』で、いとも容易く京太郎と大友は、死ぬ。もしかしたら、女性を主人公として立てることで『男樹』や『新・男樹』で繰り返されてきたエディプスコンプレックスの物語を越えようとしたのかもしれないし、野郎のロマンに翻弄された久美子や舞の物語に決着をつけようとしたのかもしれない。だが、それは当然、本宮に固有のドラマツルギーを見事なほど破綻させてしまう。

 文字通り、終わった、と実感させられたのが『男樹 四代目』だったと言えよう。そうであるがゆえに、『男樹〜村田京一〈四代目〉〜』のスタートは、まさか、と思われる。

 それが男尊女卑であるかはともかく、女性に「村田」のブランドは継げなかったということだろう。結局のところ、京子は四代目じゃなかったわけだ。つまり、題名から明らかなように、真の四代目として登場したのが、京子の腹違いの弟・京一なのである。

 京介は紛れもない極道だった。日本一のヤクザになることで彼のロマンは満たされた。対して、暴対法以降の時代背景もあり、京太郎はテロリストの役割を兼ねていた。その、本来国家と相反する人間が国家を上書きするというロマンを京太郎は達成しつつあったのだが、彼を脅威と見なした権力の同盟に弱点を突かれ、打倒されてしまう。『男樹 四代目』とは、いわばそのような物語であった。では、『男樹〜村田京一〈四代目〉〜』の主人公である京一が果たそうとしているロマンとは何か。段階的にヤクザを兼ねるが、ヤクザではない。テロリストでもない。それは作中でとある人物にこう予感されている。〈村田京一が目指しているのは… 政治 行政… 更にヤクザ 経済界 それらを一本の線でつなげられる 日本には今 誰もこの席にはいないと言われている真の… フィクサーだ 絶対に…〉

 独自にロシアとのコネクションを作り、あと一歩で国家そのものになりうるところだった京太郎から九千億の遺産と「村田」のブランドを継いだ京一は、手はじめに有望な若者を召集、彼らを従え、弱冠20歳の大学生でありながらヤクザの世界ばかりか政治や経済の世界にも介入していくというのが1巻と2巻の筋である。ここで重要なのは、京一は父・京太郎を越えるカリスマを得られるのか。また、大友を越えるカリスマが彼の元に現れるのかであろう。

 今のところ、前者に関しては、京子が京一を指して〈あの子は悪魔のにおいがするの おじいちゃんとも父の京太郎とも違う… 怖い… とんでもなく恐ろしい子の様な気がする〉と述べている程度の印象に止まっている。後者に関しては、現大友組の若頭にその可能性を見られたが、実際には使い捨ての駒で終わっている。大学で知り合った側近の矢沢もそのスケールではないと思う。勿論、自分以外のカリスマを必要としない点が、京一の、京太郎とは異なったカリスマなのだと判ずることはできるものの、物語の動力としてはいささか弱い。あるいは大友を下した若松勝成の娘であり、京一の女房となる真理がそのポジションに就くのか。いや、真理は京子とともに、久美子や舞の物語を変奏していくのだという気がする。

 いずれにせよ、『新・男樹』は京太郎が『男樹』の京介を越えることで傑作となった。京太郎の敗北を描いた『男樹 四代目』は、残念ながらシリーズの中で最も魅力が薄い。これを挽回できるかどうか。今一度、本宮ひろ志に期待したいところである。
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2013年02月15日
 Die Young [Explicit]

 ロクデナシを救済するというロック・ミュージックに備わった一側面をとてもよく実感させる。アイルランドはダブリン出身の4人組、WOUNDSのファースト・アルバム『DIE YOUNG』である。だいたい、『DIE YOUNG』なるタイトルからして、こう、積立預金的なアティテュードを匂わせねえんだ。紋切り型ではあるものの、このバンドのサウンドを的確に示していると思うし、曲目を見ると「DEAD DEAD FUCKING DEAD」とか「NO FUTURE」とか並んでいる。

 ハイライトはやはり、その、3曲目の「DEAD DEAD FUCKING DEAD」と続く4曲目の「NO FUTURE」であろう。曲名通りの、馬鹿の一つ覚えでもここまではなかなか知性の退行をうかがわせないよね、というフレーズをコーラスで連呼するのだから、まあ、誤解する余地もないほどに直接的なパッションが何よりの持ち味であることをアピールしているのだった。他の含みはほとんどない。

 サウンドのスタイルはパンキッシュでアグレッシヴなロックン・ロールだといえる。ハードコアというより、イギリスから近年登場してきたPULLED APART BY HORSESやDINOSAUR PILE UPなどのパワー・グランジに近いタフネスを持っているけれど、それらが90年代のアメリカン・オルタナティヴを陽性のマチスモで再構築していたのに対し、WOUNDSはもっと不健康そうである。俺たちにはこれしかできねえもんな、という素朴さで合奏したら、パンクにもグランジにもハード・ロックにも似たアプローチとなってしまった印象だ。

 阿呆でもすんなり入る判りやすさが大きな魅力である。「NO FUTURE」なんかはもう、ノー・フューチャーって響き、かっこいいよね、そこにノー・ホープって加えながら、皆で一緒にでかい声で叫んだら決まるんじゃないかな、という明快さだけで成り立っちゃっているところがある。ギターのコードはシンプルであって、リズムにも小難しいパターンはないのだが、無論、それはこのようなバンドの美点にほかならない。

 基本的には勢いに重きを置いたサウンドだ。ラストに収められたバラード型の「DEAD ROAD」にさえ、力強いプッシュがある。エモーショナルだが、ナイーヴではない。がさつであるがゆえのテンションとエネルギーをどばどば溢れさせている。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
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2013年02月01日
IV (日本独占リリースCD) Parting the Sea Between Brightness & Me

 国内のバンド、INFECTIONとENDZWECKの熱演はもちろんこうしたハードコアのファンであれば好感の持てるものであったろう。が、個人的には次に出てきたトリオ、STORM OF VOIDによるストーナー・ロック・タイプのインストゥルメンタルがなかなかに決まっていて、ぐいぐい身を乗り出す。エモさよりヘヴィなグルーヴの目立ったサウンドは、この日のラインナップのなかでも異色だったように思う。そして、LOMA PRIETAだ。

 最新作の『I.V.』がとてもスリリングな内容だっただけに期待していた米カリフォルニア州サンフランシスコ出身の4人組、LOMA PRIETAである。いや、実際にそのライヴもまた気迫に充ち満ちたもの。体感する価値の十二分にあるものだった。ステージの真ん中にベースが立ち、左右にギターが並ぶ。シンメトリーとなったギターの二人が前のめりにヴォーカル(主にスクリーム)を発していく。絶妙なリズムをパワフルに叩き出すドラムも凄まじく、キレのよいサウンドをより強靱に。マシンガンのようにぶちかまされるパッションを連続的に倍加させる。そこかしこに耳目を引くフックがある。やはり「FLY BY NIGHT」は激情のアンセムであろう。底知らずのエネルギーが、切ない旋律を飲み込みながら、フラストレーションを撃ち抜き、最高のカタルシスを現出させるのだ。ハードコアのジャンルが持つ様々な文脈、イディオムをミックスするなかに、整合性にも似た美学が響き渡る。このバンドならでは、と思わせるほどのインパクトが怒濤となって押し寄せてきたことに、ガッツ・ポーズを隠しきれない。

 だがまさか、それ以上に侮れなかったのがTOUCH AMOREである。この米カリフォルニア州ロサンゼルス出身の5人組によってもたらされたのは、正しく現場で鍛え上げられてきたかのような質実剛健のパフォーマンスだ。エモさもあり、パンキッシュなところもあるサウンドは音源で聴かれる通りだが、どうしてそれがこんなにもエキサイティングなのか。もうねえ、方法論的に自分たちが決して間違っていないことをちゃんとライヴで実践できているから、と言うよりほかない。ルックスは必ずしも冴えていないのに、どのアクションもすばらしく映えているのあって、無論、演奏の完成度も高い。そして、ナイス・ガイであることと熱血漢であることを両立し、まざまざと見せつけたヴォーカルのアピールがでかい。彼が観客にコンタクトを送る度、会場の温度は着実に高まる。さっきまでが限界と思われていた沸点が何段階も繰り上がっていくのである。いやはや、すごかった。2011年のセカンド・アルバム『PARTING THE SEA BETWEEN BRIGHTNESS AND ME』からのナンバーを中心にショーを進めながら、すべての瞬間をクライマックスに変えてしまう。ラストの間近、フロアーへ降り立ったヴォーカルと観客とがもみくちゃになりながら大合唱を繰り返していたあの光景はヴァイオレントと違う。何かあたたかみのある印象を覗かせた。非常に良いシーンだ。
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