ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2012年11月11日
 絶品! らーめん娘(3) (ヤンマガKCスペシャル)

 いま現在、最も無意味なマンガを述べよ、ということであれば、間違いなくこれを挙げたい。いや本当に。他と比べてどうとかではなく、もしかしたら世界で唯一このマンガだけが無意味なのではないかとさえ思う。誤解があってはいけないのだが、褒め言葉のつもりはまったくなくて、ひどい、くだらない、と積極的に非難するのもばからしいマンガなのである。友木一良の『絶品!らーめん娘』は。しかし滅茶苦茶を言うようだけれど、ごめん。それでも『絶品!らーめん娘』のことが気になって仕方がないのだ。いつの間にか欠かさずに読んでいるマンガの一つになっているのだから弱る。弱るのだよ。こんなのを楽しみにしていると世間にバレた日にはもう絶対に後ろ指さされちゃうもんな。

 ジャンルとしてはギャグ・マンガである。片田舎で人知れず(!)営業されているラーメン屋を切り盛りする三姉妹とそこを訪れる青年客が繰り広げるシチュエーション・コメディ(の亜流)ともいえる。全編、下ネタに終始しているのだが、ギャグ・マンガだから無意味なのではない。ギャグのほとんどが下ネタだから無意味なのでもない。そのなかに盛り込まれている掛け合いの壮絶な即物性が、実際に一切の含みも持っていないことを指して、無意味なのだと言いたい。

 たとえばこの3巻に入っている「牛乳」というエピソードだ。長女に頼まれたお使いで牛乳を買ってくるのを忘れてしまった三女が、それを挽回すべく次女に自分の胸を揉んでもらいミルクを出そうとし、そこに青年客が下心丸出しで混じってくるというもので、驚いたことに相応の起承転結はあるし、ちゃんとオチも付いているのだけれど、あまりにも直接的なリビドーを前に、はたしてこれがギャグとして成立しているのか。はたまたどこで笑えばいいのか。よくわからないのである。

 あるいは直接的なリビドーの描写に欲情すればいいのか。おそらくはある種のコード(規制)を意識して成年に設定されてはいるが、あきらかに幼女を模して裸エプロンにした三女をはじめ、その手のフックを兼ね揃えた登場人物たちがあたかも痴女のように振る舞っているのは、まあ確かに『絶品!らーめん娘』の売りではあるのだろう。作中では所謂本番行為(セックス)は避けられているものの、ロール・プレイをベースにした性風俗のイメージに近いコミュニケーションが展開される。しかしエロ・マンガはもとより、現代におけるポルノの基準からしても、程度は著しく低い。絵やストーリーは極端なまでに簡素化されていて、これを見ることでスケベな気分になれる層が一体どこにいるのか。やはりよくわからないのである。

 つまりは総じてよくわからないのである。たぶん『絶品!らーめん娘』という題名は今日においてアニメ化されるようなヒット作のいくつかが「××娘」と冠していることのパロディだろう。しかしユーモアやアイロニーの類をどこにも求められないので、そんなことすらどうでもよくなってくる。もちろん、読みながらゲラゲラ笑ったりムラムラ催したりする向きがあっても構わないのだったが、個人的な感想は正直なところそれらと縁遠い。

 結論として『絶品!らーめん娘』のことがよくわからないのは、何もかもが無意味だからなのだと思うよりほかねえんだ。完全に自分の理解を越えているのであって、理解しようとする意欲をも無意味に変えてしまう。だがそれは決して、悪い意味で、ではない。欲情には意味がない。サービス・カットには意味がない。後ろめたさには意味がない。善良な配慮には意味がない。プロパガンダには意味がないし、 ポリティカル・コレクトネスにも意味がない。ありとあらゆるジレンマを徹底的に放棄することで、ただ突き抜けた明るさだけが獲得されていく。その明るさが滑稽であったりイヤらしかったりするのとは別次元の楽しさを確立しているため、ああ、こんなにも目が離せないのかもしれないけれど、ごめん。本当はそれもよくわかっていない。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2012)