ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2012年01月29日
 至福、の一言に尽きる。尽きた。遂に初来日を果たしたカナダの男女二人組ユニット、NADJAの東京公演だが、アンビエント、エクスペリメンタル、シューゲイザー、スラッジ、ドゥームetc. 様々なトピックを弄しながら形容されるサウンドは、確かに轟音の贅を凝らしたものであって、ああ、これはちょっとすばらしいぞ。と、そう、正しく未曾有の領域を実感させるほどなのだった。

 先にステージをこなしたENDONとVAMPILLIAが「動」の、すなわち激しくうるさいパフォーマンスを繰り広げたのに対し、NADJAの演奏はまず最初に「静」の、つまりは決して騒がしくはないし派手でもない表情を暗がりのなかに描き出す。実際、セットの中央に固まったAidan BakerとLeah Buckareffの姿からは何の気負いも気取りも見えてこない。普通である。自然に構えているだけである。装いは平凡ですらある。しかしその、いっけん特色のない佇まいが、いつしかデリケートな緊張に包まれていき、やがて圧の高い轟音と一体化してしまうのは不思議だ。NADJAならではのマジックというよりほかない。

 マシーンのビートとスローなノイズがスピーカーを通して反復される。地響き。フロアーに背中を向けたLeah Buckareffのベースと電子楽器を並行して操るAidan Bakerのギターが、混じり合い、身体が震えるぐらいのドローン(持続低音)に満たされた空間を、より濃く、うねりが実体を持ったかと錯覚させられるまでの厚み、甚だしいまでの波動を、密度を作り上げていく。そのうねりに掴まれたなら簡単に振り切れはしまいよ。だが息苦しさは、ない。美しくて眩しい幻想に囚われるのとも似た陶酔や恍惚はどこからやってくるのだろう。絶え間なく降り注ぐ轟音がハレーションを起こし、麻薬的に作用するのかもしれない。いや。間違いなくパセティックな旋律を耳にした。メロディアスとはいわれないメロディだ。それが、凄まじく強烈なサウンドと因数分解されないカタルシスとを同じ体験において一致させているのである。

 ともあれ、最高だったよね、と言いたい。唯一もしくは最大の不満は、1時間に届かないステージの短さ、であろう。既存しているアルバムに20分超のナンバーが稀ではないアーティストである。それを何曲もプレイしたら余裕で長丁場になるはずなのだったが、アンコールを含めて結局のところ3曲かな。あっという間に演奏が終了してしまったのを物足りなく思う。

 もちろん、にもかかわらずNADJAのNADJAたるゆえんである圧倒的なポテンシャルを目の当たりにできたというのは、すでに述べたとおり。これまでに発表されてきた作品から窺い知れるように、NADJAのサウンドには、もしも拒絶反応を起こさずにそれを受け入れるならば、感性の構造や法則を変えられるだけのインパクトが備わっている。すなわち、我々によってこうだと信じられているのとは異なったもう一つの世界を顕在させる。価値観を揺るがすでもいいし、現実を忘却させるでもいい。どう喩えてもいい。認識のプログラムが入れ替わる。新しい世界に面してしまうのだ。たとえ束の間だったとしても、である。今回のライヴは全くそのことを明らかにしていた。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2012)
2012年01月15日
 TRACE 2 (アース・スターコミックス)

 こうした新展開が意図するものとは一体何なのか。NASTY CATの原作と雨松の作画で送られる『TRACE』の2巻である。が、1巻と同じ舞台、設定を共有しながら、全く別のエピソードへと話は飛ぶ。当初の主人公、神山ユウを見舞った絶望をよそに、人間と異能者であるトレイスの相剋は更なる局面を迎える。妻子のために働く月城カイは、30年前に突如として人間を襲いはじめたトラブルという謎の脅威や、人間の体内組織を超人のレベルに変質させてしまうトレイス化の奇病とは無縁に、そして平和に生きてきたはずだった。どれほど社会が深刻になろうとも自分の家族だけは絶対に幸福でいられると信じていた。しかし、いつだって悲劇は忽然としていて容赦がない。まさか、予期せずトレイスの能力に目覚めてしまったがため、カイは現在の生活を捨てなければならなくなってしまう。会社を辞めさせられ、妻子との隔離を余儀なくされるのだった。政府の管理下に置かれるのは仕方なかった。受け入れるよりほかない。だがしばらくすると、研究施設で検査を受けなければならないとされていた妻のハルカから連絡が途切れ、関係者は質問に一切答えなくなってしまう。ハルカと娘のサナを心配するカイが、あらぬ容疑をかけられ、指名手配されたのは、それから間もなくのことだ。追われ、あまりの理不尽さに為す術をなくした彼に、稲葉アキラと名乗る男がスカウトの声をかけた。果たしてこれが1巻のエピソードとどこでどう繋がっていくのかはまだわからないのだけれど、アキラとカイがとある計画を実行すべく、トレイスの仲間を集め、個性的なチームを結成していくという筋書きの、大変陽性な描かれ方は、今日におけるフィクションのマナーからすれば、プロセスとは正反対の暗い結果を予期させる。アキラの意味深長な発言はその手の伏線にも思われる。いずれにせよ、無事にカイが家族を取り戻してめでたしめでたし、は難しかろう。そう考えるなら、ユウが再登板してからが本当の本編になるのかもしれない。設定や描写に謎めいた部分は多いし、先は随分と長そう。とはいえ、フックのしっかりと効いた内容は十分な魅力を湛えている。また、シリアスなストーリーのなかで、カイの養父やアキラの上司に代表されるようなやさしい大人の存在がきらりと光っているのは、このマンガにとって大きな美点になりえている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2012)
2012年01月14日
 新潮 2012年 02月号 [雑誌]

 『新潮』2月号掲載。ここ最近、文芸誌の類に目を通していると震災後の日常を小説の舞台に使っているものが、いや確かに増えた。必ずしも直接的な被害を題材にしているわけではないのだったが、作中人物の心境に、あの体験が、部分的にであれ、紛れ込んでいる様子なのである。そりゃそうだろう。そうした在り方こそが、我々の現在なのであり、生活なのであって、リアリティなのだから、とは思う。しかしながらその大半に対し、どことなく距離を置きたくなってしまうのは、いくらかパターン化された驚きを導入したにすぎない以上の成果が見られないためだ。この場合の驚きとは、大まかに二種類ある。震災を経たことで変わってしまった自分への驚きか。あるいは逆に震災を経ても変わらなかった自分への驚きか。前者であれ後者であれ、デリケートに胸を痛んでみせるのは、作者の誠実さなのか。それとも単なるクリシェでしかないのかどうか。技法の面ではっきりしないものが少なくはない。さて本題は佐藤友哉の『今まで通り』ということになる。

 佐藤の『今まで通り』もまた、震災後の日常を小説の舞台に使っているのだけれど、おそらく例外的であるのは、上述した驚きがほとんどといっていいほど示されてはいない点だろう。反面、無感動と無関心、すなわちアパシーであることの憂鬱が作品の真ん中にきている。震災について、主人公の感想は〈大きな地震と、それによって原子力発電所が爆発して、放射性物質がばらまかれたというニュースを見ても、なにもなかった。/ 地震はすごかったけれど、すんでしまえばそれだけだし、原発についても、私の住んでいる場所からずいぶんはなれているので、あまり切迫したきもちにはならなかった〉という言葉に尽きる。専業主婦である彼女は、そのかわり、生後半年の赤ん坊と自分の関係に注意を引かれているのである。震災後の状況がどうであろうと『今まで通り』に。それが作品のあらましを担っていく。

 極めて単純化すれば、主人公の姿にはある種のストレスが投影されており、そしてそのストレスは、震災の以前から存在していたのであって、震災がもたらしたストレスよりも大きい。ではそのストレスの正体とは何か。自分と小さな赤ん坊の関係に根差したものだといえるのだが、しかしそれを育児の一語にまでは単純化できないところが、主眼にあたるのだと思う。力の強いと弱いとで対他関係が決定されるのなら、母親である主人公は赤ん坊よりも強い。けれど、赤ん坊を取り巻く社会性よりは遙かに弱い。このとき、本当に赤ん坊を保護しているのは誰なのか。果たして赤ん坊を一個の人格と認められるのか。疑問形になりうる混乱を、決して異常な事態とせず、現代的なミニマリズムのなかに落とし込んでいる。震災後の風景を採用してはいるものの、むしろ金原ひとみの『マザーズ』以降に発表された家族小説として、『新潮』1月号に掲載された舞城王太郎の『やさしナリン』などと並べたい作品だろう。ちなみに『マザーズ』は2010年から2011年にかけて『新潮』に連載されていた小説である。

・その他佐藤友哉に関する文章
 『333のテッペン』について→こちら
 『世界の終わりの終わり』について→こちら
 『1000の小説とバックベアード』について→こちら
 『子供たち怒る怒る怒る』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(2012)
2012年01月10日
 Return To Earth

 これは昨年(2011年)にリリースされた最高にヘヴィなロックン・ロールである。どしどし響くリズムに、分厚いグルーヴを練り出すギター、そしてヴォーカルはブルーズにも似た泥臭さのなかにぶっきらぼうな表情を覗かせており、それらが迷わず、轟音と快楽と天上が同義であるかのような世界のドアを叩く。90年代にブリティッシュ・ストーナーを代表する一つだったACRIMONYの元メンバーによって編成されたバンドだという。なるほどな、と思わせるうねりこそが、このSIGIRIYAの持ち味であり、彼らがファースト・フル・アルバム『RETURN TO EARTH』の魅力に他なるまい。つまり、基本の路線はACRIMONYの頃とほとんど変わっていないのだったが、リフの反復作用にサイケデリックな触感を漂わせながらも、一個一個のフレーズを派手めにすることで、メリハリの大分はっきりとした印象を打ち出している。ダイナミズムが強まったといっていいし、キャッチーなアプローチが増したといっていいほどである。実際、長尺なのはラストに置かれた「DEATHTRIP TO ERYRI」のみで、いやまたその「DEATHTRIP TO ERYRI」におけるメロディアスでドラマティックでスケールの大きな展開がたまらないのだけれど、あとはもう直感的に瞬間的に痺れさせられるナンバーが目白押し。1曲目の「THE MOUNTAIN GOAT」からたちまちめくるめく。スローでドープにもかかわらずなぜかしら。じりじり焦らされることがない。その後も決してアップ・テンポな楽曲ばかりが並んでいるわけではないのに、まるで同じ阿呆なら踊らな損々のテンションを焚きつけてくるのだ。繰り返しのパターンに加え、歌うようなギターと歌いまくるヴォーカルが強烈な3曲目の「HURRICANE」などは正に真骨頂であろう。2010年代の今、ともすればKYUSSやFU MANCHUに比肩しうる最高にヘヴィなロックン・ロールを成し遂げている。

 バンドのMySpace→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽(2012)
2012年01月09日
 WORST 28 (少年チャンピオン・コミックス)

 ついに鈴蘭史上初の番長が誕生した。時を同じくして、巨大な萬侍帝国に不穏な動きが広まりはじめる。ぬおお、これは熱くならざるをえまいよ、があああっ、なんて言うと思ったか。確かにストーリーは、完結に向け、着実に大きな変化を見せてきてはいるのだけれど、シークエンスそれ自体に魅力は乏しく、アップを多用した派手なカットが手癖にしか見えない面もあるため、いくらか盛り上がりに欠ける。しかしまあおそらく、ここから真のクライマックスに入っていき、手に汗握るような場面も出てくるのだろう。信じたいところ。

 90年代に『クローズ』でハロルド作石や井上雄彦の技法を横目にしつつ80年代のヤンキー・マンガとは一線を画すことに成功したのが高橋ヒロシである。だが、そこで確立された作風は『WORST(ワースト)』の長期連載中、ともすればマンネリズムに等しい印象を持ってしまった。もちろん、それを作者のぶれないイズムとしたい向きも少なくはないので、いまだに十分な支持が得られていると考えるべきなのかもしれない。

 以前にも指摘した気がするが、当初の『WORST』には、たぶん海外のギャング映画を強く意識しているのだろうな、と思わせる部分が色濃かった。自らをアウトサイダーとして引き受ける不良少年たちの造形や、彼らを結束させるファミリーという概念の頻出に、それは顕著であったろう。一方で、主人公である月島花の笑顔とサムズアップ、あれは明らかに『仮面ライダークウガ』のヒーロー五代雄介の引用である。ここで不良少年たちのイメージが初代『仮面ライダー』の敵役ショッカーに重ねられていた『QP』を引き合いに出すのであれば、『WORST』とは、ヤンキー=ショッカー=マフィアの喩えに悪のレッテルが貼られるとき、五代雄介みたいな正義漢を対置するのではなく、もしも同じ立場としてその自由を奪わずに放り込むことができたなら、何かポジティヴな化学反応が起きるのではないか、式の試みと解釈することが可能だったはずだ。

 ただし、物語が進むにつれ、国盗り合戦、軍記物のフォーマットに作品の構造は純化、抗争のための抗争が繰り返されると、青春と学園の枠組みは後退し、大立ち回りの場を次々与えられたワキの人物らが人気を博すのはいいが、反動的に花のカリスマ・アピールがなおざりになってしまったのは痛し痒し、であろう。

 冒頭で述べた展開がこの28巻に訪れているわけだけれど、どうしたって花が春道や九里虎の先行世代より大物には思われないし、数以外で萬侍帝国が他を圧倒する理由があまりよく伝わってこない。一つにはここまでの積み重ねがそれらの脅威とは別のものにあてられていたせいである。無論、前者に関しては先行世代にはなかった資質を花だけが備えていたと読めるわけで、後者に関してはこれから存分描かれるに違いないと踏める。したがって今後に真のクライマックスを期待したいというのも最初に言った。

 また、ここで注意しておきたいのは、ファミリーという概念が、萬侍帝国との対決を意識した武装戦線、村田将五の口を通じ、あたかも重要なテーマを再確認するかのごとく、浮上している点だ。コミックスの裏表紙にまで引かれるほどそのセリフは28巻のなかである種のハイライトを為している。いわく〈だがそれでも戦おう・自由を奪われるわけにはいかねー・野郎ってーのは自由と女とそしてファミリーのために立ち上がるもんだ〉なのだったが、アウトサイダーたる不良少年たちが「自由」のために「立ち上がる」のは至極当然のこととして、周知の通り『WORST』にはほとんど「女」の人物は登場しない。そうであるならば「ファミリー」の一言こそが、実は最も示唆に富んでいるのではないか。

 しかしてその「ファミリー」は、鈴蘭史上初の番長に花を推挙する九里虎の、こういうセリフと間違いなく呼応している。〈わしはこげな男や! ワがためンしかケンカはせんバイ! 仲間のためやらツレのためやら・そげなもんアホらしか〜って男バイ! バッテンあいつは・花はちがうやろ! お前らんごたるしょーもなかボンクラどもんために一緒に血ば流し一緒に泣きよる男やろが! 今どきめずらしか〜大バカモンタイ!〉

 結局、これなんだよなあ、花道や九里虎になくて花にのみ備わった資質ってのは、といえるだろう。そして鈴蘭の統一を果たした花の目に映っているのは、決して周りは敵ばっかりの世界ではない。〈ホントに敵なのか? 鳳仙… 竜胆… 武装… ホントはこの同じ街に住み・同じにおいがする仲間なんじゃねーのかな…〉という問いがそれを代弁している。このとき、鈴蘭の花と武装戦線の拓海が、梅星一家なるファミリーの絆で結ばれているのを伏線と考えてもいい。他方、萬侍帝国、九頭竜會會長のビスコ(蛭子幸一)が〈勝ち続けでかくなった萬侍帝国… 今 オレたちに必要なのは「大いなる敗北」かもな…〉と自身たちの先行きを占っているのは、否応なく『クローズ』の終盤で九頭神竜男が坊屋春道と相まみえたあのくだりを思い起こさせる。がゆえに、ビスコが〈ああ… そんな奴らがいたらの話しだがな…〉と続けているのを看過してはならない。

 春道と竜男のそれは、一対一の、正しくタイマンであった。『WORST』の場合、集団VS集団の決戦になるだろうことが、もしかしたらビスコの「奴ら」という複数形に暗示されているのであって、共同体の換言であるようなファミリーという概念も必ずやそこにかかっているのである。

 22巻について→こちら
 21巻について→こちら
 20巻について→こちら
 17巻について→こちら
 11巻について→こちら

 外伝について→こちら

・その他高橋ヒロシに関する文章
 『鈴蘭男子高校入学案内』について→こちら
 『クローズイラストBOOK』Vol.1について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2012)
2012年01月05日
 ごくべん (ヤングキングコミックス)

 題名に「べん」と入っていたら、まあ弁当の「べん」というケースもあるにはあるのだったが、たいていは弁護士を題材にしていると考えていいわけで、オオイシヒロトの『ごくべん ―極道弁護士 豆柴トメオ―』もその例に漏れない。つまりは極道の「ごく」と弁護士の「べん」をかけて『ごくべん』になるのだけれど、おお、なんてわかりやすいんだ。無論、内容の方も題名を裏切っていない。非常にストレートでわかりやすいものである。

 カタギの世界で最弱と馬鹿にされる新人弁護士のトメオは、しかしヤクザの世界では小津組最狂の男として知られる青年であった。その彼が東京は下町を舞台に、弱きを助け強きを挫く、的な活躍を繰り広げていく。おそらくはこのような説明でほとんどを語れてしまうマンガだろう。

 たとえば、日向武史や佐藤秀峰、浅野いにお、等をミックスしたかのような絵柄と画面の作りは、ある意味で現代的だし、大変キャッチーだと思う。それが、古臭いともとれるストーリーとテーマを汲んでいる点に、作品の真面目さ、を見られたい一方、各個の展開が安直すぎるため、雰囲気だけが熱っぽい、のレベルを大きく越えてはいない。結局のところ、弁護士の資格は、主人公を正義としておくのに適した建て前、単なるエクスキューズにしかなっていないのであって、おおよその事件が武力解決されてしまうのは、いやそれを痛快だとすることは可能だとしても、練りの面からするとやはり拙い。

 勧善懲悪の結末は決して批判されるべきではないが、設定より深く述べられているものが少ないからか、読み手に対する説得が十分ではないように思われるのだ。連載が続いていたら、作中人物の立場にしろ、コンセプトにしろ、もう少し掘り下げた部分が出てきたのかもしれない。ラストのコマには第1部完と記されている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | マンガ(2012)