ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年12月20日
 12/21(水曜日)の19:00から放送される「ニコ生PLANETS」の年末特番「惑星開発大賞2011」に小説とマンガの二部門で出演します。今年の作品で印象に残ったものについてちょびっと話させていただく予定となっております。詳しく内容等は→こちら でご確認ください。
posted by もりた | TrackBack(0) | その他。
2011年12月14日
 このマンガがすごい! 2012

 『このマンガがすごい!2012』の「オンナ編」に投票しました。意外と悩みはしたものの、我ながらなかなかのセレクトになったのではないかと思います。
posted by もりた | その他。
2011年12月13日
 さよならさよなら、またあした (ウィングス・コミックス)

 生きる。どれだけの悲しみに顔を曇らせても誰かがそばにいてくれたら日は差すことだってありうるんだ。何があろうと自分を諦めない姿に慈しみの降る。

 あらましを述べれば、ほとんどネタを割るのに近くなってしまうのだったが、シギサワカヤの『さよならさよなら、またあした』は、いわゆる難病ものの範疇に入れられる。二十歳までは生きられないだろうと幼い頃に宣告された女子高生と、とある事件のせいで仕方なく田舎の高校に追われた男性教師の、二人の出会いを題材にしたマンガなのである。しかしここがポイントになるのだけれど、作品のエモーションは、ヒロインが二十歳を過ぎても死なず、結婚してからの毎日を生き、生き続け、明日もなお生き長らえようとする懸命な、その強さとともにある。

 基本的には、気の重たくなるようなストーリーではない。ナイーヴであり、センチメンタルであるものの、青年期前後の主観をベースに、にやにやとちぐはぐの入り混じったラブコメが騒々しく、繰り広げられている。あるいはその、騒々しいテンションこそが『さよならさよなら、またあした』という作品に込められた祈りであって希望であろう。

 育と正嗣による主人公カップルのほか、育の親友である会社員の万喜と彼女に好意を寄せる後輩の武田のエピソードをワキに盛り込みながら、回想を経、過去と現在とを場面は行き来する。こうした構成は、まず間違いなく、心の移動のなかに横の広がりを持たせ、時間の概念に縦方向の手応えを与えている。作中人物が各々背負っているドラマは、もしかすればフィクションにありふれているかもしれない。だがそれらの面には確かな起伏が存在していて、先に述べた騒々しさ=光を受けてできた影の部分に、命と見られるのに相応しい触感が備わっているのである。言い換えるなら、他人との関係や経験と変化が膨らみとしてよく描かれているということだ。

 ほのぼのとした日常のシーンが魅力的に映し出されている分、いつかはそれも消えてなくなるのではないかという軋みにこわくなる。他愛もないことの大切さと同時に壊れやすさが、哀楽のグラデーションを濃くしていき、漂うポエジーをやさしくもせつなくもさせる。

 ああ、かくも運命は残酷だ。現実は非情である。でも一人ぼっちじゃないんだと。君を寂しくさせない誰かが必ずやどこかにいるのだと信じて欲しい。たどたどしくてささやかなコミュニケーションにあてられたページは、諦めを前に選ばれた抗いをあらわしているのだと思う。

 少数ではない人たちが日々を無駄に過ごし、後悔しては簡単に忘れ去っていく。結局のところ、我々が生きられているのはただの幸運にすぎないのかもしれない。しかしその幸運ですら、いとも容易く捨てられる。失われたら取り戻せないものもある。当たり前のことにさえ、目隠し。豊かな世界を台無しにしてしまえる。もちろん、それを浪費という。

 常に死を間近に受け止めてきた育が、ストーリーを通じて教えているのは、決して自分を諦めず、他愛のなさを豊かに生きる方法にほかならない。あるいは彼女の意識と強さがそれを実現させている。もう一度いうが、『さよならさよなら、またあした』は大変賑やかな作品である。端的に死別をモチーフにしているにもかかわらず。騒々しい。なぜか。誰かと誰かが何かを分かち合う。このことの価値をストレスとは反対の角度から掘り下げていっているためだ。

 しかし最終話のラスト、見開きのページにそこまでのテンションを裏切るかのようなカットがついに描かれる。突然の痛ましさに胸を衝かれても不思議ではないのだった。が、パセティックである以上に鮮烈な輝きを覗かせているのはどうしてだろう。あきらかに作者は、エンディングの印象に悲しみの一文字を残しながら、ヒロインの逞しい表情や言葉を介することで、悲愴と悲壮の意味を入れ替えている。生きることの有り難さを克明に浮かび上がらせている。

 後半の展開に震災後の影響があるのかどうかは知らない。けれども、1999年からの十数年を〈世界が滅びなくてよかった / あなたに会えてよかった / …目先の小さな「よかった」で / 私は十分泣きそうに幸せだった〉風景として切り取った『さよならさよなら、またあした』の結末は、ちょうどこの瞬間に希有な感動をもたらしているのである。

・その他シギサワカヤに関する文章
 『九月病』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
2011年12月04日
 tiba.jpg

 小川圭の『特攻事務員ミノワ』は、第65回ちばてつや賞ヤング部門の大賞受賞作で『ヤングマガジン』No.52に掲載された。少しばかり関係のあるようなないような前置きをするが、現在ヤンキー・マンガのシーンを形成している中堅作家たち、主に団塊ジュニアの年代であるそのほとんどは、同賞の出身者でしめられているのはよく知られているところだと思う(いや、本当は知られていないかもしれないけれど)。果たしてその手のジャンルに向いたタッチを審査員が好むからか。もしくは受賞後のコネクションがそうさせるのか。因果関係ははっきりわからないものの、ある種の伝統的な傾向を26歳の作者が描いていることは、題名に付せられた「特攻」の二文字からもうかがえるだろう。ちなみに作者は掲載誌の柱コメントで「これぞ悪人! 主人公の活躍を引き立てる名悪役といえば?」という質問に、『特攻の拓』の武丸です、と答えているのだったが、おそらくはギャグでしょう。そう、ギャグなのだ。『特攻事務員ミノワ』は、元暴走族の青年を主人公にした就職のギャグ・マンガなのである。一家を支えていた父親が亡くなったため、まだ幼い妹を養っていかなければならず、就職活動し、ようやく見つけた勤め先でも以前と変わらぬ男気ルールを発動していき、周囲に仰天される主人公の姿を、おもしろおかしく、パワフルに走らせている。簡潔なコマ割り、実にテンポのいい展開が、最大の長所だといえる。デフォルメの技術も確かであるし、こうとフォームの定まった筆致は新人離れしてさえいるのではないか。なるほど、ちばてつやの「主人公のミノワのキャラクターが抜群に素晴らしい。そのほかのキャラたちも、それぞれの位置でいいバランスを作っている。演出、構成は文句なし」という選評や「本当に楽しかった。ほぼ完璧な読みきり」というコメントには納得するよりほかない。破天荒な人物を描きながら、他との関係からは彼の硬派な気質がよく伝わってくる。箕輪の行動はその素直さに裏打ちされていることが、行間のレベルをも含め、確かに描かれているので、ほのぼのとしたエモーションを汲んだオチに、くすり、と笑えるのである。この喜劇性は、ステレオタイプとイコールであるような浪花節の魅力をいかに再獲得するか、の批評性でもある。ヤンキイッシュなイメージはもちろん、主に関西弁が使われているのも、あきらかな狙いに見える。照準のきっちりと定まったストーリーを、ありがち、と切り捨ててしまう向きはともかく、ギャグという手法ならではのアドバンテージを存分に生かした内容になっている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)