ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年10月30日
 ひるなかの流星 1 (マーガレットコミックス)

 非常に研究熱心というか勉強熱心なマンガ家だと思うわけだ。やまもり三香は、『シュガーズ』でスイーツというモチーフをオムニバス形式のなかであまりよく生かせず(これは本当に残念であった)、『Non stop days〜シンデレラガール 佐々木希物語〜』では実話ベースのフィクションをステレオタイプなイメージ以上に押し上げられなかった(でもそれが決して悪くはなかった)のだが、カットや構成のレベルにおいて、先行する少女マンガのマナーを巧みに吸収し、独創性をほとんど持たない代わり、洗練という成果を正しく獲得していたのだけれど、それがこの『ひるなかの流星』の1巻の時点でもう一段階進んでいる。確かにスマートで達者な絵柄はやまもりに固有のものだし、いくえみ綾に象徴されるような洒脱さ(『マーガレット』の連載でありながらどことなく『別冊マーガレット』を彷彿とさせる)を受け継いでいるのは集英社の系譜だからなのだろうが、小玉ユキや岩本ナオ、ねむようこといった現在の小学館でもライト・ポップな傾向(『月刊flowers』的なトレンドのライン)を新味として踏まえているのではないか、と感じさせるのである。ストーリーは大まかに、家族の事情で田舎から東京に出てきた女子高生が、最初は都会の雰囲気に馴染めなかったものの、持ち前の大らかさでそれをクリアーすると同時に恋愛や友情に励んでいく、といったところで、やまもり版『プリンシパル』みたいなシチュエーションもある。ラヴ・ロマンスの面で軸足になっているのはおそらく、ヒロインのすずめと担任教師である獅子尾の関係であって、そうした立場の違いは少女マンガにお馴染みのパターンだ。が、しかしそれらが覚束ない手つきの仕上がりではなく、実に晴れやかな読み心地を描き出している点に真価を見られたい。一人の少女が新しい世界の入口、異性に出会い、人々と触れ合う。そこに成長のテーマはしっかり息づいている。

・その他やまもり三香に関する文章
 『シュガーズ』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
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2011年10月28日
 ハイエナ (ヤングキングコミックス)

 オビに花沢健吾がコメントを寄せているが、あとがきマンガからわかるとおり、単に作者と旧知である以上の意味合いを求めてはいけない。しかしそれを差し引いても、この藤原さとしの『ハイエナ』は、なかなかにホットでエモーショナルな作品だと思う。

 理性をベースに判断するなら、ギャンブルや色欲、遊び(だけ)のために止めどなく借金を繰り返し、自分の首を絞めていく人間は救いがたい阿呆だろう、と判じられても仕方があるまい。だがまあ、それじゃ話は終わってしまうので、心の闇や弱さをある種のエクスキューズに、背景を埋め、物語に相応しい重量を用意するのが、闇金融などを題材にしたフィクションのセオリーだといえる。そのとき、ウェットなパートを少なくすればするほど、ひりひりするような現実性が前面に出てくるのだけれど、『ハイエナ』には反対の印象が強く、もしかしたらそこからは古さがうかがえるものの、いやあるいはだからこその情け深さを得られるのだし、ホットでエモーショナルという観点を覗かせている。

 確かに、闇金融に勤める主人公は、〈人間信用するくらいなら闇金なんかやってるかよ〉と舎弟格のパートナーへ再三告げるように、一見すると非情なスタンスで業務を全うしているのだったが、各エピソードの中心となる債務者たちに彼が与えているのは、その手段はともかく、最終的に、もしくは本質的に、救済なのであって、これが場合によっては、甘い、とも、ぬるい、とも、やさしい、とも取れる決着を与えているのだった。

 おそらくはファンタジーとして見られるべき内容である。しかし、子供を持った風俗嬢が金を与えていたホストから捨てられる二話目の「幸福」に顕著なとおり、債務者が直接的に手渡されるのは、救済そのものではない。社会に人格を認められるぎりぎりのラインに踏み止まれるかどうか、の選択だろう。自分の人生の責任は自分にしか背負えない、という必然が突きつけられ、いかに応えるかによって、債務者の体温は測られており、それがまた作品本体の温度にもなっている。「幸福」の債務者は、自分の人生の責任を自分の子供に押しつけることもできたのだけれど、そうしなかった。そうしなかったことで、あらためて生き直すための機会に辿り着けているのだ。無論、いささかレディメイドな筋書きではあるものの、作者の構成力は、迫力に溢れた場面転換のあとで、救いがたかったはずの阿呆を許せるだけの慈悲を作り出している。
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2011年10月25日
 ナンバーガール (講談社コミックスフレンド B)

 桜井まちこのことをすぐれたマンガ家だと信じてやまない。が、正直なところ、傑出した長編を残しているとは見なし難い。やはりこの人の本領は短編にあるのだと思う。表題の『ナンバーガール』は、女子学生たちのフレッシュな恋愛を題材にした読み切り形式のシリーズである。若気の至りをうかがわせるようなエネルギーに溢れ、頬を赤らめるほどにピュアでいて、空回りする気持ちが、いや確かに目覚ましく目覚ましい明るさ、かけがえのない輝きに値していく様子を、コミカルであると同時にハッピー・エンドが信じられるテンションのなかに織り込んでいる。ストーリーにこれといったひねりはない。むしろ「ど」を冠したいぐらいにストレートな内容なのだけれど、桜井ならではの引いたカメラに遠景の収められたカットや、心の動きが目元と口元を通じながらくっきりと浮かんでくる表情のアップに、ああ、と膝を打つエモーションが投影されているのだった。元気いっぱいな笑顔が正しくイノセントな魅力となっているヒロインたちの姿は、初期の頃の作者を彷彿とさせる。

 しかし最も特筆すべきなのは、それらとは全く別のベクトルで描かれているにもかかわらず、おそらくはタイミングの都合でここに入れられた「夏の霧」だろう。すでに初出(『別冊フレンド増刊 別フレ2010』7月号)の段階、そして他作家とのオムニバス集である『泣きたいほど…純愛。』へ収録された際に目を通していたのだったが、うんうん、繰り返し何度読んでも大好きである、これ。とにもかくにもせつない。端的に述べるのであれば、誠実さに負けることの憂い、ペーソスが、痛々しいまでに繊細な登場人物の仕草に凝縮されている。無論、誠実さとは本来肯定されるべきものであって、それに負けるというのが妙なレトリックであるのは重々承知しているつもりなのだった。しかるに、そう喩えるよりほかない土壇場が「夏の霧」には描き出されているのだ。筋書きとしては、ずっと好きだったクラスメイトを恋人が留守の隙に奪っちゃおう、程度の小さな裏切りを追っているにすぎない。道義上問題があるのは間違いなくヒロインの方だよね、と思う。だがそれが恋愛のルールにおいては必ずしも悪ではなくなっていき、さらにはこれ以上の関係は望めそうもないという断念を連れてくる。

 主人公であるリカのアプローチに三上が乗らなかったのは、恋人の香奈に対してばかりではなく、リカに対しても誠実であろうとした結果にほかならない。そしてリカはその誠実さに誠実さを返すなら、失恋のかたちで応えるしかなかったのである。どんな夜も明けてしまう。朝もやのなかに寂しさが詰まったラスト・シーンは、この世界にはいくら手を伸ばそうが、あるいは今にも届きそうなのに、決して自分のものにはならないものがあることを、身につまされるような実感として響かせる。

・その他桜井まちこに関する文章
 『trip(トリップ)』について→こちら
 『17[じゅうなな]』
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『minima!』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『H-ラブトーク-』について→こちら
 『H-エイチ-』
  6巻について→こちら
  3巻について→こちら
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2011年10月14日
 water cube(1) (アース・スターコミックス)

 河一權が韓国のポータルサイトで発表した作品が、中村珍のアレンジを経、中澤泉汰によってリメイクされた、ということでいいのかな。残念ながらオリジナルのヴァージョンは未見なのだったが、1巻を読むかぎり、この『water cube(ウォーター・キューブ)』は、屈折した青春の風景がコメディにも似たテンションで描かれていて、そこになかなかの魅力を覚える。〈違う 僕は キミなんかどうでもいい キミを好きだったんじゃなくて 僕は キミの水着が好きだったんだ キミなんか 好きじゃない… キミなんか〉

 グッドなルックスで勉強にも長け、正しく優等生だった水希大祐にとって、女子の水着こそが至上のものであった。中学を卒業し、高校に入った彼は校内にプールがあるのを知って、思わず携帯電話のカメラを構えてしまう。はたしてその行為を担任教師の黒田に見咎められたことから、まさかの事態に巻き込まれる。性別を偽らされ、女子水球部の設立メンバーに加えられてしまうのだ。ばれたなら、ただの変態である。それに比べれば、泳げないことですら大したハンデじゃないだろう。一癖二癖ありそうな面々に囲まれ、正体を隠そうとする彼は、しかし元水泳部の藍野に心惹かれていくようだった。

 女装がある種のフックを兼ね、ボーイ・ミーツ・ガールのトリガーとなっている点は、今日的なパターンの一つであって、必ずしもユニークなアイディアではないと思う。けれども、羽目を外した設定が、現時点では何がどう転ぶのか直ちには判断しきれないストーリーの面白みに繋がっている。それこそ主人公の水希は、藍野とのディスコミュニケーションから恋愛を育んでもいいのだし、可愛らしい女子たちを前にハーレムよろしくへらへらしててもいい。あるいは彼女らと熱心に水球に打ち込んだっていいのであって、そのことを通じながら性差にこだわらぬ友情のドラマを繰り広げたっていいのである。コミカルな展開を含め、たとえば以上のような予断の許されるなかで、悩ましいティーンエイジャーの自意識が、こうと定まるべき場所を手探りしていく姿に、おそらく『water cube』ならではの温度が備わっている。

 主人公と学校の教頭である父親との関係は、裏の重要なテーマだろう。保護者の過剰なプレッシャーと所在のなさに預けられた寂しさが、少年の胸を塞いでしまう。イメージとしてはステレオタイプではあるものの、それは切実さを欠いているわけではない。ひょんなことから調子の狂った学園生活は、狭かったはずの世界が開かれうる可能性を喩えているのであって、出会いは人を変えられる。アニメ的なデザインで少女マンガの仕草を拾ってきたかのような中澤の画は、思春期の曇った気分、ナイーヴさに鮮明なきらめき、ぱあっと輝くダイナミズムを注ぎ込んでいる。

 掲載誌の『月刊コミックアース・スター』は、創刊が3月の震災とぶつかったせいかどうかは知らないが、あまり話題に上っているのを目にしない。まあ、既存作品の応用みたいなものも少なくはないし、雑誌である以上は良い部分と悪い部分もあるにはあるのだけれど、個人的にはこの『water cube』と『TRACE』(原作・NASTY CAT、漫画・雨松)に好きだといえるだけの期待をかけているのだった。
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2011年10月09日
 囚人リク 3 (少年チャンピオン・コミックス)

 とどのつまり、このマンガの根源に働いているのは、タイマン張ったらダチ、的なロジックなのだと思う。瀬口忍の『囚人リク』である。頽廃的な近未来、警官殺しの濡れ衣を着させられた少年リクが、救いの断たれた監獄に閉じ込められ、その厳しい状況下でも挫けず、いかに希望を紡いでいくかが作品の主題であろう。現在、掲載誌の扉やコミックスのカヴァーに「最凶刑務所脱獄記」とある通り、ストーリーの最終目標はほとんど明かされているといっていい。要するに、そこへ向かうプロセスに盛り込まれたドラマや、あるいはスペクタクルに、大部分の魅力は預けられているわけだ。主人公のリクはきわめて非力な人物として描かれている。無論、少年期特有の純粋さ、イノセンスが、彼にとって何よりの武器であって、実際にそれが周囲の敵を倒し、または感化し、次第に味方を増やすほどの活躍を見せるのだった。が、このとき、フィクションならではの展開は、正しく先述したように、タイマン張ったらダチ、的なロジックにおいて実現されている。しかしながら、たとえば同じく刑務所で死闘を繰り広げる『デッドマン・ワンダーランド』(片岡人生・近藤一馬)の主人公とは違い、『囚人リク』の場合、主人公には特別な出自や特殊なポテンシャルは与えられていない。とにもかくにも、己の正義感一つで他と渡り合っていかなければならないのである。かくして、悪漢たちとの対決はハードな我慢大会の様相を呈していくだろう。そのことは、リクが属する第27木工場と無慈悲なリーダー椿が率いた第16木工場との抗争を描いた3巻の内容に、とりわけ顕著だといえる。ボクサーのごとく鍛えられた椿に一対一の勝負を挑んだはいいが、リクにとれる行動はあまりにも限られているどころか、ゼロに等しい。逆転の奇跡が訪れるのを信じて、椿の猛攻に耐えるよりほかないのだった。考え方次第では、残酷なゲームにしかならない。だが、どんなときだって心の隅にとどめておかなければいけない。褒め称えられるべきは、やっぱりガッツなんだよな。リクの純粋さ、イノセンス、そして正義感が、なぜ今までの窮地をくぐり抜けるのに値したのか。それはどれだけの不条理を前にしても決して膝を折らなかったからだ。絶対に信念を曲げなかったからなのだ。ひとまずであれ、その観点によるかぎり、強い弱いの評価は無効となる。なけなしにも思われるリクのファイティング・ポーズは、〈弱ぇから引き下がっちまえって… 弱ぇから殴られっぱなしでもしょうがねぇって… 俺ぁそんなのが当たり前とか認められねえんだ〉という彼自身の言葉を、比喩のようにちょうど、証明する手立てとなりうるのである。痛くて苦しかろうが、でたらめには屈したくない、と言わんばかりのアティテュードは、曲者であるはずの野郎どもが非力な小僧にどうしてか圧倒されてしまうことの十分な理由になっている。
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