ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年06月17日
 MOMO 7 (りぼんマスコットコミックス)

 あなたがいれば生きていける。あなたがいなければ生きていかれない。両者はほとんど同じことを言っている。酒井まゆ『MOMO』の最終巻にあたる。7巻である。このマンガには、半径が小さい世界に対する共感を現代的なフィクションにおけるリアリティだとしたとき、一つの究極ともとれる問いが含まれていたように思う。すなわち、自分にとって絶対の人が目の前から消え去ってしまうとしたら、文字通りに広い意味での世界、つまりは地球そのものの存在を拒否することが許されるかどうか。そうした課題に、実際に神に近しい決定権の与えられた少女が直面するのだった。ヒロインがダブルであり、また年齢差をともなっている点も、上に記した内容のなかに、しっかりとした手応えを残しているだろう。生きるというのは、必ずや時間の流れと同期される。幼さを一段階ずつ乗り越えていくことが、普通、成長とされるのであって、夢とモモの非対称な関係を通じ、まじまじと見直されていたのはそれだ。狭い意味でろうが大きな意味であろうが、世界とは、おそらく複数の視線が交わる場所に他ならない。幸福も不幸も悲しみも喜びもあたたかさも寂しさも、多義的であるがゆえに悩まされるだけの価値がある。結局はその悩みを引き受けることでしか、自分以外の誰かを愛おしいと信じられる主体は確認できない。俯瞰で描かれた結末は、読み手と作品のテーマとを真向かいにさせる。物語上の帰結であると解釈されたい。ところで、本巻に併録されている読み切りの「17o'clocks」もそうだし、同時にコミックスがリリースされた『クレマチカ靴店』もそうなのだけれど、作者の細心は、喪失感が織り込み済みで当然であるような世界をいかに輝かせられるかに向けられているみたいなのだったが、その試みは目下、いや確かな成功と感動に繋がっている。

 3巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他酒井まゆに関する文章
 『クレマチカ靴店』1話目について→こちら
 『ロッキン★ヘブン』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら 
  6巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
2011年06月11日
 Ascension

 元NAPALM DEATH、そしてGODFLESHという来歴を持ちながら、そもそもが極めてポップなサウンドを実践していたアーティストだけれど、さすがに3曲目の「SEDATIVES」には、ぬおお、と驚かされる。場合によってはコマーシャルとさえいっていいぐらい。とにかくキャッチーに響いてくる。タイトでいて上向きなドラムのアタックがそうさせているのだ。いや、もちろん、これまでのディスコグラフィにもアップ・テンポなナンバーがまったくないわけではない(たとえば06年のEP『SILVER』に収録されていた「STAR」を思い出されたい)のだったが、「SEDATIVES」における大胆なはじけ具合は、従来の路線を踏まえた上でなお新鮮な魅力を放っているだろう。ジャスティン・K・ブロードリック率いるJESU(イエスー)のニュー・アルバム『ASCENSION(アセンション)』である。根本は、以前までと何ら変わっていない。確かに、09年の『INFINITY』みたいな大作指向ではなく、07年の『CONQUEROR』を彷彿とさせるようなグッド・ミュージックの集成になっているが、ヘヴィなグルーヴが、ずううん、と波打ちながら地を這う一方で、フィードバックのギター・ノイズが眩いばかりのハレーションを起こし、決して声を張らないヴォーカルがやわらかなメロディに命を与えていく。非常に濃度の高い透明性とでもいおうか、幻想的ではあるもののメルヘンと形容するにはあまりにも生々しい。曇天と霧雨が見せるファントムなのかもしれないし、終焉を受け入れた瞬間の恍惚なのかもしれない。こうしたイメージは、結局のところ、微塵もぶれていないのだった。無論、キャリアを積むにつれての洗練が、あるいは持ち前の才気を音楽性の広がりに変換してきた結果としての熟練が、『ASCENSION』の類い稀な厚みを出しているに違いない。各曲のヴァリエーションもそこに準じているのであって、先ほど挙げた「SEDATIVES」のスウィートネスもそうだし、静かに奏でられていた空漠がディストーションの渦に飲み込まれる冒頭の「FOOLS」や、天使の輪のごとききらめきを発しながら深淵に果てていく2曲目の「BIRTH DAY」、スローであるにもかかわらずダイナミックに展開される5曲目の「BRAVE NEW WORLD」に6曲目の「BLACK LIES」等々、タイトル・トラックにあたり全編をインストゥルメンタルで締め括る「ASCENSION」に至るまで。色彩を欠いていることが、どうしてだろう、神秘に満ちたせつない情景を浮かび上がらせる。JESUならではのトリックに関心は奪われてしまう。美しく、儚い。憐憫を含み、それでいて埋まることのない孤独を溝にメランコリーが流れる。

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら
posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽(2011)
2011年06月10日
 ナンバデッドエンド 13

 どんな運命も変えられる。絶対に変わる。誰にだって変えることができる。たとえそれが寝言だとしても夢を見たっていい。ささやかな夢さえ見られず、叶えることを諦めてしまったまま、クソのような世界をクズのように生きるしかなかったら、とても寂しいではないか。つらすぎるではないか。小沢としおの『ナンバデッドエンド』13巻である。

 もしも全ての望みを断たれることを絶望というのであれば、正しくそのためにぐれ、家族や友人たちすら拒否し、アウトローの道にずぶずぶはまっていく難破剛だったが、ヤクザである梶原の誘いに耳を傾けるも一線を踏み越えてしまうことは躊躇していた。藤田深雪の説得がなかったなら、ヤクザの片棒を担いでいてかもしれない。さ迷い、良心にとどまった剛は、非合法な仕事を押しつけられた仲間を救うべく、梶原と対決することになるのだった。以上が、前巻のあらすじであって、この巻では、再びそこから明るい方へ明るい方へ、歩みを得ていこうとする剛の姿が描かれる。無論、杞憂がまったく消え去ったわけではないのだけれど、ようやく取り戻された笑みに重ね合わせられているのは、間違いなく希望だと思う。

 高校をドロップアウトせざるをえなかった主人公に、梶原や不良仲間であるタカシが突きつけてくる問いは、熾烈であり、本質的なものであっただけに、よくぞそれを受けて立ったという感動が、物語の帰結としては、ある。12巻で、すがるものを失くしていた剛にタカシは〈難破さん…アンタ…どこに向かってる? これから どーするつもりなんスか? シャバ校追い出されてわかったハズだぜ オレら 向こうじゃ相手にもされねぇ…難破さん…表で勝てねぇならよ 裏で勝ってやろうよ オレらバカにしたヤツら 高ぇとこから見下ろしてやろうぜ〉と訴えかける。そしてそれはさらに、梶原の、次のような言葉に変換され、激しく剛を揺さぶるのである。〈いーこと教えてやるよ 難破…人間にはよ…運命つーのかな…しかるべき場所ってモンがあってよ オメーの生きる場所は こっちだぜ…生きる場所間違えると つれぇだけだ…〉

 生まれや育ち(遺伝や環境)のせいで悪に走るよりほかない人間がいる。ゾライズム(フランス自然主義)の変奏ともいえるこのテーマは、近年のヤンキー・マンガにおいて根幹に関わるものであり、また『ナンバMG5』及び『ナンバデッドエンド』にとっても、ギャグとシリアスの双方のパートを分け隔てることなく、実に抜き差しならないものであった。はからずも剛の退学は、運命は変わらない、変えられない、そのせつなさを実証してしまったのであって、絶望の重みもそこによっていたのだ。

 作者はしかし、それに対しての反論を試み、しっかりと成功させているので、フィクションならではの絵空事でありながら、ちゃんと地に足の着いた感動が備わっている。このとき、剛の兄である難破猛が、恋人のカズミを妊娠させたため、求職に励まなければならない、というワキのエピソードは、主人公の変節に直接絡んでこないにもかかわらず、重要な意味合いを持ちえてくる。不良少年として生きてきた人間が社会的な立場と責任をどう引き受けるか。学校の外側を舞台に、すなわち大人のテリトリーであるようなそこで、本来であればアウトサイドに転んでもおかしくはないはずの存在が、当然と定められた成り行きに逆行していく。この奮闘が、主人公の憂鬱と二重写しになり、作品自体の説得力を強く高めているのである。

 ああ、そして家族や友人たちと和解を果たした剛に、猛がこうかける言葉を聞き、おんおん泣こう。〈剛 もう誰もジャマしねーからよ やりてぇこと思いっきりやっていいんだぜ (略) 進路決める紙に美大って書いた時のオメーは 今のオレと同じ気持ちだったのかなって思ってよ…オレ オメーがさっきオレに言ってくれたみてぇに “やりたいこと見つかってよかったな おめでとう”って…なんであん時 オメーに言ってやれなかったのかな… “おめでとう”って言うかわりに…オメーをウソつき呼ばわりしてブン殴っちまった…ダッセー兄貴だぜ〉って、いいね、兄弟っていいね、家族っていいね。

 このマンガのホーム・ドラマとしても抜群にすぐれているところが、二人のやりとりにはよく出ているのだし、しばしば感情は大切なことを隠してしまうが、しばしば感情は大切なものを教えてくれる、そのような真理が、涙のなかに花開いている。

 と、まじめな話はここまでだ。何はともあれ、『ナンバデッドエンド』のヒロインはてっきり伍代だとばかり思っていたのだったが(男じゃんね、とか言わない)、ここにきて藤田さんの活躍が目覚ましく、見事にその座を奪還したな、うんうん、であろう。いや、疎遠になっていた剛からの電話を受け取り、はにかんでいるみたいな素振りを見せる伍代はさすがにキュートであるけれど、あれだけ殺伐としていた展開を経、間もなくラブコメがかった空気に持って行けたのは、やはり藤田さんという大きな発明のおかげなのだ。剛の後輩にあたる弥生ぐらいの個性では、物語を旋回させるのに必要な馬力が足りなかった。

 しかして、まさかの熱愛ムードに入った剛と藤田さんの浮かれっぷりときたら。恋は魔法というけれど、その魔法の、最高にポジティヴな面が惜しみなく達成されており、にやにやせざるをえない。幸福は一人で抱えるのではない。誰かと分かち合えてはじめて掛け替えのない価値を示す。信じられるかな。孤独な運命はいつしか絶対に変えられる。

 11巻について→こちら
 8巻について→こちら
 7巻について→こちら
 6巻について→こちら
 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

 『ナンバMG5』
  18巻について→こちら
  17巻について→こちら 
  16巻について→こちら
  15巻について→こちら
  14巻について→こちら
  12巻について→こちら
  11巻について→こちら
  10巻について→こちら
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
  1話目について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
2011年06月01日
 サユリ 2 (バーズコミックス)

 はたして押切蓮介に望むべくは本当にシリアスなストーリーばかりなのか、という近年の作風に顕著な問題はさておき、悪霊こええええ、であって、婆ちゃんつええええ、であろうなのが、この2巻で完結を迎えた『サユリ』である。ギャグの有無はどうであれ、そもそもがホラー・マンガの作家には違いがなかったのだけれど、曰く付きの一軒家へ移り住んだせいで謎の少女に祟られる家族の恐怖と不幸を前面化する、このような手法は、ジャンル上のイディオムを考慮するのであったら、超どストレートだと思えたし、実際に1巻の段階では、おっかなさしかないじゃねえか、と目を覆いたくならざるをえない描写が豊富だったわけだが、しかし、ここにきて急展開が訪れると同時に、作者ならではの精神論といおうか根性論といおうか、とにかくそれが大爆発している。過去にも述べたことがあるとおり、家族のイメージは押切にとって特徴的なモチーフだといえるだろう。家族とは時に孤独と同義になりうる。家族とは時に孤独の反語になりうる。弱さになりうるのであり、強さになりうるのである。そして『サユリ』において、前者は、悪霊こええええ、に集約されていき、後者は、婆ちゃんつええええ、に象徴されていく。前者から覗かれる闇が深ければ深いだけ、後者に垣間見られる光は頼もしさを増している。主人公一家に降りかかる悲劇を、たとえそれが当人たちの与り知らぬ怪奇現象であったとしても、決して天災ではない、人災にほかならないレベルで扱っている点は、重要だ。二つの家族の運命を加害者と被害者の理論で分け隔てていくクライマックスも、あるいは全てが損なわれて喪われて失われ尽くしたあとで新たな希望が織り直されていく結末も、正しくそこによっている。人が人を苦しめるのと同様、人は人を救うことができる。少年は祖母に向かって問うた。〈…死ぬ事が恐ろしいと思うのは…死んだ後に恐ろしい事が待ってる事を予感するからなのかな…たとえば…「地獄」とか…〉と。これに対して祖母は次のように答える。〈そりゃあお前…存在せんと割りに合わん 何故なら人間善し悪し…様々な生き方をしていくからな 死んで行き着く先が同じであるなんて事…あってはならん 真っ当に生きてきた者達が納得いくわきゃねーだろう?〉という彼女の言葉は、確かに因果応報を説いてはいても、いや決して無差別な平等を諭してはいるのではないと思う。〈この世は理不尽…全ての不幸をまたいで生きていく事など到底不可能じゃ〉すなわち誰もが不平等に生きなければならない世界で起きる様々な軋轢の引き受け方を暗に示しているので、心に残る。

・その他押切蓮介に関する文章
 『ゆうやみ特攻隊』
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『でろでろ』
  15巻について→こちら
 『ミスミソウ』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『プピポー!』
  1巻について→こちら
 『おばけのおやつ』について→こちら
 『ドヒー! おばけが僕をペンペン殴る!』について→こちら
 『マサシ!! うしろだ!!』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)