ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年03月29日
 シトラス 1 (マーガレットコミックス)

 誰とも理解し合えないことはすごく寂しい。しかし誰かと理解し合おうとすることでしかその寂しさは消せない。香魚子の『シトラス』は、小さな田舎町を舞台に、日常のなかで中学生たちが思わず背中を丸めてしまう瞬間を通じ、この世界のせつなさとやさしさを描く。今にも壊れ、失われてしまいそうなイノセンスを、ノスタルジックな詩趣に封じ込めた作品である。少女マンガのジャンル(『別冊マーガレット』)で発表されてはいるが、どこか松本剛の作風を彷彿とさせる。ストーリー、絵柄ともに、素朴であることが何よりの魅力になっている。山に囲まれた木ノ戸町の中学校に転校生の奈七美がやってきた。3年生のこの時期になぜ彼女が東京から越してきたのか、誰も知らない。学級委員長を任された志保は、奈七美に親しく接しようとするのだけど、反対に突き放された態度をとられてしまう。ここから物語は、志保や奈七美ばかりではなく、何人ものクラスメイトの胸中をリレーし、それらの、思春期ならではの姿をやわらかにスケッチしていく。まずこの1巻では、木ノ戸中の学生たちにとって、奈七美は都会という称号を持った異物としてあらわれている。だが価値観やスタイルがいくら洗練されていようと、彼女もまた他の子と変わりなく、自らの幼さと無力さに悩まされているところに、『シトラス』の本質が見え隠れしているだろう。そう、環境の違いを前提にしたとき人はたちまち相対化されるが、個々の営みは、期待と失望の絶え間ない接続を逃れられない、という点において、正しく共通しているのだと教えれるかのようだ。

・その他香魚子に関する文章
 『隣の彼方』について→こちら
 『さよなら私たち』について→こちら
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2011年03月28日
 Pedals

 誤解をおそれずに述べるなら、RIVAL SCHOOLSの(なんと!)およそ9年ぶりとなるセカンド・アルバム『PEDALS』は、たとえばR.E.M.の最新作『COLLAPSE INTO NOW』がそうであるように、たいへんひらかれた内容になっていると思う。それはつまり、自分たちならではのスタイルをキープしながら、旧いや新しいの尺度とはべつのレベルで、じつにアメリカのバンドらしいキャッチーさを、一定のスケールをともない、正確に再現しているということである。いささかマイルドに収まっているふしもあるにはあるのだったが、その大人び、リラックスしたテンションのなか、しかし一過性ではないエモーションを鮮やかにコントロールし、ミドル・テンポの基本形に緩急を織り交ぜ、力強くロックしているところが、まるで誠実さのあらわれにも聴こえてくる。間口の広さ、親しみやすいまでのクオリティは、もしかしたら01年の前作『UNITED BY FATE』を上回っているのではないか。少なくとも、フロントマンのウォルター・シュレイフェルズをはじめ、ごりごりのハードコアから出発したメンバーたちが、さまざまな道のりを経、かくも普遍的なサウンドを得るに至ったこと、メロディ、アレンジ、演奏のすべてが、成熟と判断するのに相応しい域へと達していることに、ある種の美徳を見出せるのであって、外圧に惑わされないだけの余裕が、各曲をひじょうに映えるものとしているのだ。経験は間違いなくその人を逞しくさせる。フットワークは軽やかだけど、あやふやじゃない。堂々とした軌跡のサウンドが頼もしい。まったく。頼もしいとはこういうことであろう。憧れさえ抱かせる。

 来日公演(2010年4月13日)について→こちら

 バンドのMySpace→こちら
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2011年03月19日
 PSYREN-サイレン- 16 (ジャンプコミックス)

 不安が常にあるのと同じように希望も常にあるよ。とっちらかった世界を綱渡りで進むしかないのであれば、幾通りにもひらかれているはずの未来がより良い行き先を教えてくれると信じるよりほかないんだ。めげながらでも踏ん張れる。ときにフィクションは、祈りをもたらし、勇気である。

 岩代俊明の『PSYREN -サイレン-』が16巻で完結した。おそらく、このアイディアには先行例がありそう、と容易に指摘できるほど現代的なスタイルの作品に独創性を見出せはしないだろう。細部の設定はもとより、バトル・ロイヤル式のサヴァイヴァルを予感させた序盤、オルタナティヴの可能をめぐる時間改変ものへとスライドしていった終盤など、大筋に関しても、じつに今時だいね、の類型に止まっているのだった。が、しかし、物語の全容を通じて確かに伝わってくるメッセージには励まされ、少年マンガとして高く買えるだけの根拠が備わっていたように思う。

 とくに主人公である夜科アゲハの、正義感、自己犠牲も厭わぬ熱血漢であるようなところが、幾分ややこしい展開においては明確なテーマになりえていた。実際、『PSYREN -サイレン-』とは、アゲハの活躍に他の作中人物たちが感化され、悪を挫いていく過程だったといえるのであって、その、目先の流行色をふんだんに盛り込んだ成り立ちに相反し、古めかしくもとれるストーリーの構成にこそ、まったく少年マンガらしいポジティヴな価値を求められる。

 一方でこれは、ペアにまつわる物語だったとも解釈される。決して一人では生きていけまいよ。敵対であれ、恋愛であれ、友情であれ、家族であれ、尊敬であれ、各人が誰かと何かしらのペアを為すことで、世界に組み込まれ、世界そのものを変えていく。少なくともそのような営みを連係させることによって、ドラマは駆動、旋回し、エモーショナルな場面を描き出していたのだし、孤独を愛するあまり、ペアを組めなかった者が、結果的に世界からはじかれていったのも、作品の基礎がどこに置かれているのかを示していた。

 その基礎は、作中人物たちの年齢にかかわらず、あまねく『PSYREN -サイレン-』の物語を支えていたといってよい。最高に好きなのは、15巻で祭と影虎の大人が、長い月日をかけて、ようやくお互いをペアと認め合うシーンである。いやはや、それまで頑なであった祭の要請に一つ返事で〈これでやっとアンタと一緒になれる・地獄でもなんでも死ぬまで付き合うって前から言ってんだろ……心開くの遅いんだよ・バカめ〉と応じてみせる影虎さん、かっこいい、であろう。事実、二人の再登場が局面に与える影響はでかい。あたかも、ペアを組んだ者がいかに強くなれるか、を象徴しているみたいでさえある。

 無論、アゲハと雨宮の、つまりは主人公とヒロインの関係に、ペアの精神が代表されているのは述べるまでもない。そうだ。このマンガは、雨宮のSOSを受けたアゲハが、彼女を守るべく、手を差し伸べ、自ら危険に身を投じる姿を、まずは始点にしていた。そしてその繋がりが、新たな繋がり、次の繋がり、さらなる繋がりに通じていき、やがてはイメージの大きな繋がりを生んだ。アゲハの行動と理念が間違いでなかったことは、正しく最終回である「繋がる世界」の感動に集約されている。

 結局のところ、アゲハが命を懸け、立ち向かった悪の正体は、ウロボロスという名前に由来のとおり、自分で自分の尾を噛む、誰とも繋がれないことの孤独が、暴力に転じたさまなのだと思う。災厄と破壊を目論んだ天戯弥勒の、16巻でいわれている〈だが この世界は仏の顔をして屑が蠢く…特異なる者への偏見に満ちた世界だ〉こうした主張自体は、必ずしも理不尽なものではない。しかし、アゲハの奮闘が、弥勒と弥勒の姉とを再び結びつけ、すなわち彼らがペアであった頃の記憶を取り戻させることで、事態に救いの現れた点を看過してはならない。

 本質を理解してもなお立場を異にするアゲハに弥勒は〈……生きろ・生きてこの世界を見届けろ・夜科アゲハ〉と告げた。これは、死なないでいるかぎり、いくらでもこの世界と他の誰かに働きかけられる、というサインだろう。不安をシェアすることができるのであれば、希望もまたシェアすることができる。未来を信じられる。つらさ、悲しみに行く先を隠されてしまうときもあるが、忘れない。無力じゃない。
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 ダ・ヴィンチ 2011年 04月号 [雑誌]

 『ダ・ヴィンチ』4月号の西尾維新特集で、〈物語〉シリーズの作中人物相関図と解説、その他のシリーズの解説を担当しました。

 サイゾー 2011年 04月号 [雑誌]

 それから『サイゾー』4月号では、例月どおり小説とマンガのクロスレビューに参加しております。
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2011年03月01日
 SONS OF THE NORTH

 不確かなものばかり。どんな意見にしたって所詮は流行りの消耗品にしか思われないようなとき、他人の目を気にしないぐらいに趣味だけを貫いている姿が、やたら眩しく見えることがあるんだ。BLACK SPIDERSのファースト・フル・アルバム『SONS OF THE NORTH』が出た。以前にも述べたとおり、元GROOP DOGDRILLのピート・スパイビーが、FUTURE EX WIFEを経て、現在稼働させているバンドである。ヘヴィなブルーズを基調とし、ダイナミックに展開されるロックン・ロールが、たいへん潔い。ずばり迷いのなさが鉄腕の強度を備えさせているのであって、そこに惚れ惚れ、魅力的なピークを宿している。しかしなるほど、EPの単位ではさほど気にならなかったが、こうして全体のデザインがはっきりとした作品を前にすると、かつてGROOP DOGDRILLで狙っていたのとは意外に違った方へ音楽性を向けているのがわかる。アップ・テンポなナンバーを揃えてはいるけれども、パンクであったりジャンクであったりの印象はかなり薄まった。もしかすれば、WHITESNAKEあたりのブリティッシュ・ロックをアップデートしていった先に置かれるべきサウンドなのかもしれない。ところどころLED ZEPPELINの影響もうかがえる。ギターのフレーズが色気をたっぷりにうねり、ヴォーカルのメロディがしばしばセクシーな調子になるのは、その証拠だろう。昨年の『NO GOATS IN THE OMEN』EPに収録されていた3曲目の「JUST LIKE A WOMAN」をはじめ、女性ヴォーカルがデュエットに参加している4曲目の『EASY PEASY』や、タイトルに似つかわしい派手なロールでエンディングを飾る10曲目の『WHAT GOOD'S A ROCK WITHOUT A ROLL?』などは、たとえばAIRBONEやTHE DATSUNSがそうであるならば、ハード・ロックの文脈に相応しいスタイルを持っている。ただし、いささかタイトでストレートすぎるか。個人的にはもっとジャンクに大胆なカオスを溢れさせていてくれてもよかったが、もちろん、先行でリリースされていた1曲目の「STAY DOWN」や6曲目の「ST. PETER」における猛々しさ、アグレッシヴなフィーリングが損なわれていないのは好ましい。7曲目の「MANS RUIN」における気怠さを引きずったグルーヴには、90年代のグランジやストーナーと相通じるニュアンスがしかと含まれている。いずれにせよ、タフでいてガッツを盛り沢山にした作品である。好きなことを好きなようにやる。明け透けな、俺たちにはこれしかないもんね、の態度に愚直さと誠実さの詰まった。

 『CINCO HOMBRES (DIEZ COJONES)』EPについて→こちら

 バンドのオフィシャル・サイト→こちら(音出ます)
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