ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年01月24日
 牌王伝説 ライオン @ (近代麻雀コミックス)

 堂嶋のような兄貴分がいたら当然魅了されらあ、であろう。自らをライオンと嘯くその豪気なアティテュードに、これぞ男の生き様を堪能されたい。しかしながら相変わらずぶっ飛んだ野郎である。惹かれはするものの、さすがに無茶苦茶だよ。真似したくないし、真似できっこない。あるいはだからこそ夢を見られる。もっとも堂嶋とは誰か。志名坂高次によるハイ・スリリングな麻雀マンガ、『凍牌』のワキを固める面子のなかでもとくにインパクトの強い人物であって、この『牌王伝説 ライオン』は、掲載誌(出版社)は違えど、堂嶋を主人公にした『凍牌』の外伝的な作品にあたる。本編においては、氷のKのクールさとは対照的に、きわめてホットに描かれている堂嶋だが、無論、その熱量が溢れ出んばかりの佇まいは、1巻の序盤からマックスに際立っている。〈俺はライオンだからな どうせ命を張るならでかい相手のほうがいい〉こういうセリフがじつに似合う。見事に決まっているのだった。すさまじいのは、狼と呼ばれる勝負士、黒田との7億もの大金を賭けた対決だ。負ければすべてを失う場で、名言に相応しい啖呵が踊る踊る。逆境を前に堂々と述べる〈何よりな 俺は「怖れる事」が大嫌いなんだ ま 通れば勝ち 当たれば負け 2分の1よ 俺は堂嶋! ライオンは怖れねえっ!!〉という屈託のなさときたら、確実な根拠もないのになぜおまえはそんなに堂々としているのだ。だがそれが堂嶋なのだと納得させられる。十分なカリズマが描かれている。物語は殺伐としているにもかかわらず、読めば異様に元気が出るのは『凍牌』と同様である。トラウマの類はこの世界を乗り越えていく上でクソの役にも立たない。凄惨な過去を持った黒田を向こうに回し、自らのモチベーションがどこからやって来ているのか、堂嶋が滔々と語ったエピソードが最高に痺れる。麻雀のためだけに右足の指を五本全部切り落とすなんて、完全に常軌を逸しているのだけれども、どうしてだろう、不思議とそれがポジティヴな決断にさえ思われてしまうのは、おそらく、ノー・ペイン・ノー・ゲインもしくはハイ・リスク・ハイ・リターンの美学を一切の躊躇いもなしに貫くこと、その潔いまでの振る舞いに説き伏せられるものがあるからで、ほとんど狂気の沙汰でしかない行動ですら堂嶋にとっては持ち前の明るさにほかならない。いやいや、彼のたいへん素敵な資質は、ひょうきんな描写にもよく表れている。財布とテレビのリモコンを間違えて懐に入れていたと気づいたときの渋い顔つきには、こいつ絶対に嫌いになれないぞ、と認めざるをえない可笑しさがある。ところで作品の構成に関してだが、そういう堂嶋の個性を引き出すにあたり、平凡な青年である石原(イッシー)をある種の狂言回しに据えているのが、でかい。予想外のカリズマと出会い、じょじょに感化されていく石原の姿は正しく、堂嶋のような兄貴分がいたら当然魅了されらあ、の夢を追っている。

 『凍牌』10巻について→こちら
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2011年01月22日
 白のエデン(2) (講談社コミックスフレンド B)

 この2巻には、良いセリフがあるぞ、と思う。〈近くにいるから大丈夫って思い込んで 基本を怠った結果がこれよ バカみたい! わからなければ訊くこと 伝えたいなら言うこと そんなの小学生でもできるのにね……〉というそれは、いやまあ確かにワキの人物が漏らした個人的な感想にすぎず、必ずしも名シーンには直結しないのだったが、作品のテーマを見るのであれば、恋愛の積極性を確認し、肯定する役割を果たしており、その後におけるヒロインの行動を左右しているという意味で、えらく印象に残るし、事実そのように受け取られたい描き方をしている。どうしたって誰かに対する想いや、気持ちが不自由であるのは、それが対他関係とコミュニケーションの困難に深く根ざしているためだ。自己完結の妄想ではないかぎり、誰かに働きかけ、誰かから働きかけられる、こうした連動のなかにしか、実際の結びつき、繋がりは生じえない。そして誰かへの働きかけは、いくら懸命さをともなおうと、絶対に実るとは約束されていない。かといって諦められたらどれだけ楽か。結局のところ、諦めきれない部分に感情は縛られる。吉岡李々子、『白のエデン』の2巻である。「あとがき」にあたる項で作者が、〈そうだ! 王道少女マンガを描こう!〉と発起した結果、これが出来たと述べているとおり、イノセントな少女と暗い影を持った青年のラヴ・ストーリーに目新しさはないものの、主人公である芹川真白と高野藍の今にも壊れそうなぐらいに繊細な心がお互い、数々の障害を前にしながら、クレッシェンドに響き合っていく様子を、照れることのないポエジーで追っているところに、もっぱら作品の魅力は預けられている。しかして1巻では、真白が小さな体に抱え込んだ傷を中心に物語は展開されていたのだけれども、ここでは、屈託のない笑顔を見せる藍の側にもまた何かしらの傷のあることがひじょうに示唆的となっているのだった。上辺のやさしさとは裏腹に、女性に対して冷淡な彼の一面が覗かれる。それを知ってもなお、藍に尽くそうとする真白の健気さに、だが決してシンパシーを持たされるのではない。周囲の人間を巻き込んでも手放せない恋愛の積極性を通じ、対他関係とコミュニケーションの困難から生じた屈折をひたすら乗り越えようとする意識が、現時点では、直接であるほど剥き出されている点に、ただ心を動かされる。

 1巻について→こちら

・その他吉岡李々子に関する文章
 『彼はトモダチ』
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら

 『99%カカオ』について→こちら
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2011年01月11日
 ナンバデッドエンド 11 (少年チャンピオン・コミックス)

 難破剛、ついにぐれる。

 喧嘩上等の青春を期待された少年が、いかにぐれず、健全で真っ当な学園生活を送り続けられるかを『ナンバデッドエンド』は、コメディとシリアスの絶妙なバランスを保ちながら描いて来たのだったが、9巻と10巻におけるドラマティックなほどの急転回を経て、ああ、やるせないことこの上ない、『ナンバMG5』から続くシリーズのなかで最大の絶望へと至った。あんなにも必死で自分の居場所を守ろうとしていた主人公の剛が、その努力も空しく、白百合高校から追放されてしまうのである。作者の小沢としおが、やはり只者でないのは、作中人物たちはもちろん、読み手の多くが決して望みはしなかった展開を、ここに用意したことだろう。

 やられた。うわわわ、の驚きがあり、ちくしょおおっ、の悔しさがある。はたして試練は終わったのか。それとも受難は続くのか。この11巻では、すべてが御破算になろうとする瞬間が、そしてすべてが御破算になったあとでも青春は続いていくという残酷が、悲劇的に繰り広げられている。

 あらかじめ生まれや育ち(遺伝と環境)に規定された人間が、他でもありえた可能性(オルタナティヴな人生)をあらためて選び取ろうとする。『ナンバデッドエンド』の背景には、そういう、現代に特徴的なテーマが控えられているのであって、それが、ヤンキー・マンガのジャンルで培われてきた学園もののノウハウを生かし、通俗性に臆さないレベルのエンターテイメントへと引き上げられているところに、すぐれた魅力があるのだけれども、呪われ、戦い、勝った、の幸運は、先に述べたような挫折に邪魔され、さらに遠のいた。他でもありえた可能性にトライすべく、学生服と特攻服の二重性を生きなければならなかった剛が、しかし不可避な暴力に巻き込まれ、本来ならば捨て去りたい方の選択肢を強いられていく10巻は痛ましかった。せっかく両親に秘密を打ち明け、和解し、一歩前進できたと思ったのも束の間、結局のところ定められた運命は変えられないのか、ちょっとした躓きで何もかもが無駄になった。いとも簡単に〈全部終わっちまった……〉のである。

 再起のチャンスはあった。退学処分を言い渡された彼を救おうとし、クラスメイトたちが奔走する。その甲斐もあって、学校はいったん意見を取り下げるのだが、剛の存在を認められない者もいた。あくまでも利己と保身を通したい校長は、〈難破は必ずまた騒ぎを起こす… 更生させるなぞ理想にすぎん 人間は変わらんよ…〉と非情にも言い放ち、それを受けた強硬派の教師、桐山は、剛の入学の裏に隠された秘密を暴き出してしまう。

 過去にも再三見られた中学時代の恩師、長谷川との関係が、ここにきてある種の伏線になっているのが、うまいというかずるいというか、とにかく泣ける。泣けるのだ。9巻で長谷川が進路に〈迷ったら白百合の先生に相談しろ〉と剛に発した言葉が、桐山との対面においては、まるで皮肉のように思われる。そう、どんなトコにもゲスはいるんだな。〈バレたんだ… 桐山に長谷川がオレの白百合行きに手ぇかしたこと 願書と提出する書類に手ぇ加えたことがバレたんだ〉と妹の吟子に告げる剛の、穏やかな表情は、決着してしまったことはもう取り返しがつかないのだと教えているようでいて、最高潮につらい。長谷川を助けるべく、〈お前が学校やめたら まぁ…昔のことを報告しても しょーがないからな…〉という桐山との取り引きに応じ、剛は自主退学を申し出るのだった。

 そこからの物語はもう、だめだ、だめだ、目にするだけで胸の奥から込み上げてくるものがあるよ。剛の身を案じる人びとの、気持ちがわかるぐらいのやさしさに、ぼろぼろ涙がこぼれそうになる。〈何で走るのをやめた 何があったか教えてくれ〉と尋ねる伍代はほんとうにいい奴である。だが、それに答えられない剛を誰が責められよう。長谷川に事情を話せず、約束の果たせなかったことを謝るしかできない剛にどんな咎があろう。そしてとうとう剛は、次のような苦しみに支配される。〈オレが白百合なんか行ったから 大事な人みんなに嫌な思いさせちまった… 白百合なんて行かなきゃよかった〉

 この反省は、反省のさらなる反省というねじれた構造を持っている。フラストレイトした気分をどこにも逃がせないという厄介な病理に通じている。結果、難破剛は、ついにぐれた。

 かつての友人たちや、あたたかな両親とさえ、穏当に接せられないという意味での不良少年であり非行少年が、次第に道を踏み外していく。その仕方なさを皆が知っているだけに手を差し伸べられない。せめてどこかに出口があって欲しい。さもなくば、哀しすぎるではないか。

 あまりにもせつない。

 8巻について→こちら
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 6巻について→こちら
 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

 『ナンバMG5』
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