ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年10月22日
 僕らはみんな死んでいる 1 (クイーンズコミックス)

 閉鎖空間に隔離された人物たちが、さあ殺し合ってください、という今日的なフィクションの様式を、きらの『僕らはみんな死んでいる♪』は逆手にとっている。同じ日に死亡した8名の男女が神を名乗る何者かによって一室に集められた。そして一つの提案が出される。望むのであれば生き返りのチャンスを与えよう、と言うのである。それはつまりラブゲーム、そこにいる誰かと恋をすること、〈たとえばユーとユーがアチチになれば ふたりは生き返ってゲーム終了!!〉なのであって、元の世界に帰れるのだった。こうして、今まで互いに素性の知らなかった8人の奇妙な共同生活が幕を開ける。と、まあ、基本的にはワン・アイディアの産物と見なして良いだろう。不可抗力に課せられた条件は、各人の心理を深く掘り下げるための方便になっているのだと思う。このとき重要なのは、殺人のゲームとは違い、恋愛のゲームといった比較的に与しやすいものに対し、どのような抵抗を設けるか、障害を用意するか、すなわちドラマを駆動させるキーをいくつ作れるか、なのだが、1巻の時点では、殺人ゲームの場合との差異はじつはさほど大きくない。要は、状況の一変が精神にもたらした不安と混乱をベースに人間関係の整理をしているにとどまる。もちろん、長篇化の期待されているマンガなのだとしたら、今後の展開こそが本題になるのは間違いないのだけれども、まだストーリーが十分軌道に乗りはじめていないにもかかわらず、新たにゲームの参加者を追加してきた、このことの意味をどう判断するかは難しい。さしあたり盤上の駒を増やせば物語が動く、の論理でそれが行われているのだとしたら、当初の構想をひろげるにあたって、さっそくの手詰まり、先行きの不安を感じさせるし、いやいや、それすらも織り込み済みでまずは基礎が築かれているにすぎないのだとすれば、必然、奇数人数のなかにどう足掻いてもカップルになれない余剰が生じてしまう以上、べつに殺し合うわけでもないのに、サヴァイヴァルは過酷とならざるをえない。いきなり高いハードルを作品は前にしている。

・その他きらに関する文章
 『心臓より高く』について→こちら