ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年08月01日
 どうしたって別れはつらい。好き合っていればなおつらい。だからこそ、どうして離れ離れにならなければいけないのか、と人は思う。最富キョウスケの『電撃デイジー』は、7巻にきて、大きく物語を動かした。ヒロインの照と自らがDAISYであることを隠し続ける黒崎の、二人の距離が縮まりつつあるなか、今は亡き照の兄と黒崎にまつわる因縁がふたたび浮上、心穏やかでないながらも無事を保っていたはずの日常が切り裂かれるのである。照がDAISYと交わす携帯メールのやりとりは、これまでにも両者の内面を具体化するにあたり、効果的なパートを果たしていたが、ここではそれがさらにエモーショナルなシーンをつくり出す。ふつう、マンガの表現において、モノローグは、読み手には通じているものの、じっさいに伝えたい相手には届けられない、つまりはその作中人物のパーソナルな表明にとどまる。だが『電撃デイジー』では、モノローグの一部は、携帯メールの文面として書かれ、対象への告白に近しく機能する。黒崎とDAISYの、照が薄々勘づいている合致もじつはそこに担われていたのだけれど、状況の不幸は、そのような告白を経ることで強まってきた関係を、ひどく哀しいものへと転じさせてしまう。すなわち携帯メールという手段が、ラヴ・ロマンスの悲劇性をより高めている。それにしてもこの巻のクライマックスである。DAISYが照に向けて打つ携帯メールの文章がせつない。直接に会って話していれば、せめて携帯電話が繋がってくれさえすれば、それは生じえなかった。本来なら、愛の言葉であって、二人の結びつきをいっそう固くしてくれてもよかった。なのに、反対の感情が占めていく。きれいな印象に綴られれば綴られるほど、別れの挨拶でしかなくなっていく。寂しさを増していくのがつらい。つまりは次のとおり。〈いつもそばで 笑っていてくれて ありがとう 僕の意地悪を かわいく受け止めてくれて ありがとう ――それから―――― 君が大好きだと言った デイジーの花を 僕もきれいだと 思ったけれど 僕のそばにいる君は その花よりも ずっと きれいな女の子だと思いました〉

 2巻について→こちら
 1巻について→こちら
 
・その他最富キョウスケに関する文章
 『青春サバイバル』について→こちら
 『ペンギンプリンス』について→こちら
 『プリキュウ』について→こちら
 だから恋とよばないで 2 (Cheeseフラワーコミックス)

 少女マンガの、とくにすぐれたラヴ・ストーリーを目にしているとき、この人物は、その人物に対し、いったいいつどこで心を開きはじめたのだろう、と考えさせられることがある。要するに提示がなされていないためなのだが、それは必ずしも描き落としているというわけではない。むしろ周到に秘せられているからなのであって、ちょうど文章における行間がもっとも大切なものを隠すことで深い彫りを持つのと同じく、作品自体の表情をとても豊かにする。藤原よしこの『だから恋とよばないで』の場合、ジロー(高柳次郎)の心理がその役割を果たしていると見てよい。

 物語は、高校2年生のヒロイン、鳴瀬心(ほんらいは心のほうが適切ではあるのだけれども、文章上のややこしさを避けるべく、以降は鳴瀬と表記していく)が、若い数学教師のジローに惹かれ、じょじょに片想いを強めていく様子を、ときめかせる材料、軸の足としている。しかしそれがあくまでも一方的なものにほかならず、したがって独りよがりな言動にとどまるのであれば、展開と構成にメリとハリはついていかない。そこをジローの心理が補っていると考えるのが妥当なのである。

 いやたしかにこの2巻で、鳴瀬と親しくしているのを職員から誤解されたジローが〈ちゃんと「生徒」だと思っています 大事な生徒の1人だと〉思っており〈ほかの生徒と 一緒だよ〉と言明しているのだけれども、それは両者の関係を指しているにすぎないのであって、決して鳴瀬がワン・オブ・ゼムであることの証明とはならない。もちろん、ジローが鳴瀬に対して恋愛感情をもっているかどうか、をいっているのではない。むしろ、恋愛感情であるかどうか、という点について述べるとするなら、すくなくとも現時点では、否だろう。肝要なのは、ジローにとって、一人の生徒が、おそらくは、他とは区別され、意識されている、このような疑いを読み手に抱かせるだけの、心理の、描写が、自然と働いていることなのだ。

 言い換えるのであれば、まず間違いなく、鳴瀬はジローの心に触れている、ジローは鳴瀬に心を開きはじめている、のだったが、それがいったいいつどこからであったか、は周到に秘せられている。秘せられているがために、物語は、ほんらいは不器用なはずの主人公が、恋愛感情を通じ、積極性を得ていく様子に焦点を結ぶような構造を持ちえているのだと思う。ジローがくだけた性格の人物である以上、彼の言動はたんに迂闊さのあらわれなのかもしれない。こうした予断を加えてもなお、上記してきた推測は残る。それこそがすなわち、ラヴ・ストーリーとしての余地となっている。

 さてしかしもう一つ付け足しておきたいのは、生徒だから教師だからという立場の問題とはまったく無関係に、ジローには恋愛感情を自ら禁じているふしがある、と察せられるところなのだった。それはこの2巻に挿入された次郎の過去編が教えるとおり、喪われた兄と彼の恋人であったミヅキの存在にかかっている。もはや取り返しのつかないまでの、深い、負い目がそうさせている。そのせいでジローは女性から〈いつもフラれちゃうんだもん いつも! すぐ! 「本気じゃないんでしょ」とか「何 考えてんのかわかんない」とかサ〜〉言われてしまうのだけれど、これを鳴瀬は〈それ は きっと 先生の心の中に 誰か いるから じゃないんですか? 先生の黒い瞳が 時々 その人を想って揺れるから――――〉と、さながら女のするどい勘で、予想するのである。

 鳴瀬の予想は、今までにジローが落としたいくつものヒントを集めた結果、やってきている。ここでいっているヒントとは、しかしジローが意図したものではない。鳴瀬の真剣な眼差しによって、奇しくも発見されたものにほかならないのだが、ジローの不注意あるいは不用意な態度が事前に置いておいたものでもある。かくして新たな問いが顕在する。すなわち、なぜ鳴瀬だけがそれを見つけることができたのか、である。当然、そのことは鳴瀬自身の固有性というか、彼女をヒロインたらしめている物語上の要請によっているだろう。だが同時に、彼女の発見が、ジローへの働きかけとなり、彼の心に何らかの反応をもたらさなければ、ラヴ・ストーリーにふさわしい情緒は出てこない。

 今後、『だから恋とよばないで』の物語がいかに転がり、ヒロインの恋愛感がどうなっていくのかは、知らない。もしかしたら両想いを叶えるかもしれない。失恋に終わっても不思議ではない。いずれの可能性も、鳴瀬の積極性はもとより、ジローの心理を参照し、はじめて導かされる。こうした相関が作品自体の表情をとても豊かにしていることは、いちばん最初にいった。

 1巻について→こちら

・その他藤原よしこに関する文章
 『恋したがりのブルー』
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  1巻について→こちら