ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年06月16日
 過去にも何度か書いてきたとおり、サブ・カルチャー表現のなかでもとくにヤンキー・マンガの系においては、フィクションは生き方を教えられるか、という問題がダイレクトに顕在する、あるいは、顕在しなければならないのではないか、と思う。多くの場合、不良少年のイメージに憧れて不良少年になることが真に幸福なのかどうか、を前提とした作品のほうにテーマの深さを見られるからであるし、それ以前に、不良少年の存在をどうにか肯定化するさいの条件が、ストーリーやドラマの質自体を左右しがちなためである。

 おそらくは現在もっともメジャーなヤンキー・マンガである『クローズ』や『WORST』の作者、高橋ヒロシの画業20周年を記念し、『月刊少年チャンピオン』にて発表されたトリビュート・コミックのシリーズが、このたび『かってに高橋ヒロシ』として一冊にまとまった。参加しているのは、浜岡賢次をべつにすれば、永田晃一、鈴木大、SP☆なかてま等、つまりは個人的にに50年組と呼んでいる(昭和50年、1975年前後の生まれの)作家たちである。『弱WORST』と題しながらも、いつもどおり『浦安鉄筋家族』をやっている浜岡はさすがであって、オタク的なアイディアを採用し、見事に『クローズ』を二次創作した鈴木の『クローズLADIES』については、過去に取り上げた。

 永田の『ウィローズ』は、マンガ家マンガふうの半フィクションになっており、作者とニアイコールな男性の、その高校時代が振り返られていて、なかてまの『セニドクロに憧れて』は、たまたま知り合った女性のために一念発起、ダイエットし、トラブルに巻き込まれる不良少年の姿を描いているのだったが、たとえ手法は違えど、どちらもヤンキー・マンガ(前者は『クローズ』で、後者は『WORST』)に影響された主人公を題材にしている点で、共通している。

 さて『ウィローズ』のラストは、〈オッサンになった今でもクローズの男達のようにカッコよく生きてみたいと思っている そして10年後の俺に聞いてみたい クローズにあこがれて胸躍らせたあの頃のように……今も熱く生きてるかい?〉というモノローグによって締められている。『セニドクロに憧れて』の終盤には、このようなモノローグがある。〈近年の日本の漫画は世界から注目を浴び その日本国内でもマンガ原作の映画・ドラマなどあらゆる場面で影響力を放つ漫画に“想い”を乗せ描く漫画家がいて その“想い”を受け取る読者さんがいる… “想い”はそれぞれの解釈を経て 人々の心の中で生きている…〉。いずれの場合にも、まさしく、フィクションは生き方を教えられるか、という問題がダイレクトに顕在しているだろう。

 たしかに『ウィローズ』も『セニドクロに憧れて』も、トリビュートという枠内で、各人の個性を残しつつ、クオリティのキープされた、なかなかの意欲作といえる。しかし残念ながら、多少皮肉的に述べるとすれば、それはたんに影響を受けた側の雄弁さにすぎないのかもしれない。じっさい、永田もなかてまも、オリジナルの作品では、影響を与える側が、いかにしてその自覚を表現化し、驚き、感動を果たせるかのレベルにまでは及んでいない、今のところ。

 鈴木大『クローズLADIES』について→こちらこちら


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