ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年06月04日
 1年5組いきものがかり(1) (講談社コミックスなかよし)

 いわゆる学園ものは、家庭とはべつの単位で構成される共同体のテーマを自然と持ちえてしまうのであり、それを濃くしていくか、薄くしていくか、薄くしたかわりに何を前に出していくかによって、作品の内容は左右される、というのは、もちろん私見にすぎないのだけれど、ジャンル的な様式の強度を考えるとき、こうした仮定は必ずしも無意味ではないように思う。たとえば、フクシマハルカの『1年5組いきものがかり』の1巻を読むかぎり、このマンガは学園ものの様式をまったく信じ切ったところに描かれていて、おそらく作者本人はそのことに無自覚であるため、かえって共同体のテーマが、ひじょうに杜撰なかたちをとり、浮き彫りになっていると感じられる。あらましはといえば、とてもシンプルだ。15歳のヒロインが、吸血鬼に好かれ、狼男に好かれ、透明人間に好かれ、つまりはそのような、逆ハーレムとでもすべきサークルを「いきものがかり」と名付け、学校内に置き、恋愛というよりも性交をイメージさせるようなコメディを編んでいる。主人公を求める男性たちが人間ではない、というトピックは、たしかにストーリーを賑やかしながら転がすのに必要不可欠なアイディアだろう。しかしそれはワン・プッシュ程度の動力でしかない。じっさい、彼らが魔物や怪物であることの特殊性は、物語のレベルに深く根差しているのではなくて、展開を用意するのに都合された材料にほかならない。そこで注意されたいのは、登場人物として次第に増えていく魔物や怪物たちがみな、ヒロインを中心に「いきものがかり」という共同体に組み込まれていくこと、だがそれはたいへん安易に学園ものの様式をなぞらえている結果にすぎない、にもかかわらず作品の魅力を完全に担ってしまっていることなのである。ふつう一つのクラスを指して「1年5組」などというのに、このマンガでは、どうしてそれが題名に付せられているのか、ほとんど意味不明瞭になっているのであって、表層のイメージこそが『1年5組いきものがかり』の本質とイコールであるのは、そのあたりからもうかがえる。


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